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あの時は、ありがとう

人からの相談は、いつもそっと避けてきた。
誰かの本音に向き合える自信がなくて、怖かった。

せめてもの相談は、テキスト上。
だって、それなりに丁寧な回答をゆっくり考えられるから。
適当ポンコツ人間の私ができる、最大限の方法。



でも、この前、
テキスト上じゃないところで相談を受けた。


隣にちょこんと座って、
ドキドキしながら、
話を聞いた。


自分の本音を話したり、向き合ったりするのって
めちゃめちゃエネルギーが必要だと思う。


だって、私がそうだから。

相談なんて、ほとんどしない。
どんなにしんどくても、辛くても、
絶対に弱い自分を口にしない。
というかできない。

それは、きっと向き合うことが怖いから。
ずっと逃げて、逃げて、逃げ続けた。




でも、やっぱり逃げてばかりじゃダメみたい。

だって、こうやって私のことを信じて
本音を話そうって、
この人になら話してもいいかもって、
そう思ってくれる人がいるから。


誰かの本音から逃げてきた私は、
ようやく誰かの本音に向き合おうと思えた。


目を見て、言葉を聞いて、
面と向かって聞こえてくる声は、いろんな思いが混ざっていた。

文字だけのキャッチボールじゃ分からなかった
たくさんの思い。
無くしたことに気づけたはずの落とし物が、
そこにポツンとたたずんでいた。

見て、聞いて、感じたものは、
素っ気ない文字に勝るわけがない。

そんな当たり前の事実に、ようやく気づけた。
気づかないふりをしていたことに、
気づけた。



人と話すことが好きで、
「話す」ってことが、
どれだけエネルギーに満ち溢れていて、
可能性がいっぱいで、
幾度と救われてきて、
自分の武器だったはずなのに、

話すことの偉大さを忘れていたみたい。



テキストで上手く、バレないように繕うことは
きっと都合がいい。

でも、やっぱり限界がある。
繕いにほつれが現れてしまう。

ほつれた糸を引っ張ると、
そのほつれはどんどん大きくなる。

真っ向から向き合えば、そんな手間はいらない。

繕った世界は、なんとなく居心地が悪い。
見栄えが良くても、中身はぐちゃぐちゃ。

だったら、最初から向き合おう。


真っ向から向き合って、
本音にしっかり向き合える、
そんなことができる人になりたい。













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