「自分の本音」を無視しない

私は8年前から「井上昌己さん」というミュージシャンのファン活動をしていて、ライブのために毎月のように東京に行っていました。若い頃に代表曲である「恋が素敵な理由」が大好きで良く聴いていましたが、それから20年以上が経ち、たまたま見たYouTubeで昌己さんが音楽活動を続けていることを知り、それがきっかけでライブに行ったらハマってしまいました。 今は母の介護もあるのでライブには行けませんが、ライトなファンとして配信でライブを楽しみつつ、5月にはアルバムが発売されるので、早々に予約をして新たな楽曲を楽しみに待っています。

確か2年くらい前のことだったと思います。コロナで東京には行けない日々が続き、それが少しずつ緩和されそうな雰囲気の中、今度は母の介護が本格化したことで、コロナが収束しても東京に行くことは難しい状況になっていました。もちろん、それは仕方のないことだと理解していて、母の介護が最優先事項だということは当然だと思っていましたし、納得もしていました。

そんなある日のことです。用事があって、車で外出する際に「ちょっと久しぶりに昌己さんのアルバムでも聴きながら運転しようかな」と思い、少し昔のアルバムでしたが「Sweet」というアルバムを聴き始めました。そうしたら聴き始めて1分くらいで涙が溢れて止まらなくなったのです。お天気の良い午前中、おじさんが車を運転しながら泣いているのですから、対向車の人々はさぞ驚いたことと思います。

井上昌己さんの「Sweet」というアルバムは、私にとって少し思い入れのあるアルバムでした。東京から帰る際の夜行バスに乗って最初に聴いていたのが、このアルバムでした。そのせいか、このアルバムを聴いたときに、東京にライブに行っていた頃の楽しい思い出が蘇ってきたのです。ライブが楽しかったことはもちろんですが、会場で知り合いになった人々と雑談したり一緒に食事に行ったりしたこと、東京観光も併せて楽しんだことなど・・・自分の心の中に閉じ込めていた感情が号泣という形で表に出てしまったように思います。

「子供じゃないんだからわかるよね」
「いい大人なんだから我慢しないと・・・」
「常識で考えれば当然のことだと思うよ」

そんな言葉を耳にすることは少なくないと思うし、誰もが言われた経験があると思います。そして、そんな言葉は「大人としての対応」を教えてくれる代わりに、多くの夢や楽しみ、笑顔を奪い去ってしまいます。これらは、「大人になるための適性試験」のようでもあり、合格することが「理想的な社会人」になるための切符なのかもしれません。

だけど、本音の部分ではどうなんだろう?
自分の本音を心の底に隠したまま日々を過ごしていないだろうか?

今回のように、もしかすると何かの切っ掛けで本音が飛び出してくることがあるかもしれません。そんな時は、その気持ちを無視しないで、自分自身の弱い部分を認めて、優しくしてあげたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?