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「メルボルンのコーヒー文化深掘り_その1」と「プラーラン/ウィンザー周辺の写真_その1」と6/4〜6/10の日記

お知らせ

2023年2月よりオーストラリア メルボルンへ移住。現在はMBA取得に向けて大学院に通いつつ、Absolute MMAというジムでグラップリング/ブラジリアン柔術の練習に励んでいます。
noteには、メルボルン生活をより充実したものにするため、日々をより意識的に過ごすために毎週ちょっとした文章と数枚の写真とその週の日記を投稿しています。
文章と写真の一部は無料部分、写真の残りと日記を有料部分に設定しています。有料部分は1回200円、1か月の定期購読は600円で設定しています。少しでも面白いものを載せられるように頑張っていきますので、記事が面白いなと思ったり、メルボルンの生活はどんなか気になったと言う方はぜひ、サポートよろしくお願いします。もちろんハートマーク押してもらえるだけでも嬉しいです。

今週の文章は「メルボルンのコーヒー文化深掘り_その1」
今週の写真は「プラーラン/ウィンザー周辺の写真_その1」
です。

今週の文章「メルボルンのコーヒー文化深掘り_その1」

以前、メルボルンのコーヒー文化についてざっと紹介する記事を書いた。

以前の記事は現在と有料/無料の設定が逆なので内容をざっと紹介すると、
・メルボルンのコーヒー/カフェ文化は第二次世界大戦後にイタリア/ギリシャ系の移民がたくさんやってきたことで一気に発展した。
・ロングブラックやフラットホワイトなどのエスプレッソを元にした飲み方が主流
・市民のコーヒーに対するこだわりは強く、各店にバリスタがいてシングルオリジンの独自の豆を使用しているお店も多い
という内容だった。自分の住んでいるサウスヤラ周辺のカフェも少し紹介しているので興味のある方はぜひご覧になってください。

今回は、ビクトリア図書館の製作している下記の動画と、ビクトリア博物館の記事の内容を元に、もう少し深掘りした内容を紹介する。今回は主に第二次世界大戦前の歴史をメインに紹介する。有名店や歴史のあるカフェも少しずつ巡って写真を撮ったりしているので、メルボルンのコーヒー文化を深掘りする記事は折りを見て少しずつ増やしていくつもり。

メルボルン最初期のコーヒー

上にも載せた以前の記事で第二次世界大戦後にコーヒー文化が一気に広まったことを紹介していたが、それ以前にメルボルンにはコーヒーがなかったのかというとそんなことはもちろんない。

コーヒーの起源については諸説あるものの、当初は主にイスラム世界で広まり、ヨーロッパへは17世紀前後に徐々に伝播していったものらしい。オーストラリアに関しては、そもそもオーストラリアが開拓されたのが1800年前後なので、当初から入ってきていた。詳細は知らないのであまり詳しくは書けないが、アメリカにおける禁酒法と同様/同時期にイギリスやオーストラリアにおいても禁酒運動というものが1820〜30年前後に実施されており、この流れでコーヒーが酒にかわる飲み物として大いに喧伝されていたようだ。

禁酒を勧めるポスター

ゴールドラッシュ後 コーヒーパレスの出現

(これまた詳しくは知らない歴史上の出来事である)1850年ごろからのゴールドラッシュを経てメルボルンの都市化が進むと、市内にはコーヒーパレスと呼ばれる大型の喫茶施設が建設されるようになる。これらの建物はもうほとんど残っていないものの、同時期に建設されたカフェの中にはまだ残っているものもあるようなので、時間がある時に行ってみたい。

残念ながら取り壊されてしまったFederal Coffee Palace
(https://www.walkingmelbourne.com/)

ゴールドラッシュの時期にはコーヒーパレスの他にも道端でコーヒーを販売するスタンドも多くつくられ、金鉱で働く労働者たちにコーヒーを提供していた。メルボルンで2000年ごろまでに営業していたカフェ450店のうち、半分くらいはこの頃に営業を始めたお店らしい。1900年代初頭にはエスプレッソマシーンが開発され、1930年ごろになるとオーストラリアでもエスプレッソ中心のコーヒーが提供されるようになり、戦後の流行の下地が作られていった。

そして、第二次世界大戦後の1950年ごろになると、先日の記事でも記載したようにイタリア/ギリシア系の移民がたくさんやってくるようになり、メルボルンのカフェ文化が一気に花開く。現在も有名なコーヒーロースターはこの時期に成立したものが多いようだ。

まとめ/雑感

今回まとめていて改めてメルボルンはコーヒーとともに歴史を歩んできた街だということを強く感じた。250年くらいの短い歴史の中で起こった出来事にコーヒーは強く結びついており、今回の記事では触れなかったが例えば2000年前後の不況からの復興においてもカフェが大きな役割を担ったということもあったらしい。歴史を知っていると街歩きは楽しくなるし、歴史を感じられる街はいい街だと思う。メルボルンの街を支えるコーヒーロースターや、1800年代から営業しているカフェの建物なども今後紹介していきたい。(渋谷はまた再開発をする話が持ち上がっているようだけど本当にやめた方がいいと思う)

今週の写真「プラーラン駅周辺の写真_その1」

今週の写真はプラーラン駅周辺で撮った写真です。自分の住んでいるあたりからチャペルストリートという商店街を南に進んでいった方にある地域で、以前紹介したマーケットなどもあります。このあたりは街路樹がすごくおしゃれな感じで植えられていたり、広めの公園的なスペースがあったり、道も綺麗ですごくおしゃれ、だけど別に特別な場所ではないところがまたいい、すごく好きな一角です。
以前授業でこのあたりの都市デザインに携わった会社の人に話を聞いたことがあったのですが、行政が主導しつつ民間の会社を入れて、かつ地域住民や地域で働く人の意見をしっかり反映してまちづくりを行なっている過程の説明に感銘を受けました。こうやって作られていく街が世界中で増えたらいいなと思います。

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