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流れていくこと

#朝起きた時には想像もしていなかったことをしている今 」とか、
#狙ったわけじゃない初めてのできごと 」とか、
そういう瞬間が結構好きで。

例えば。
オール明けの新宿で思い立って福岡へ行った時とか、
会社で歯が悶えるほど痛くなって急遽親知らずを抜くことになった日とか、
超絶急ぎの仕事が舞い込んできて無事に片付いた瞬間のほっと感とか、
食事に出かけたはずが車をかりてドライブをしている夜とか、
今のこのロックダウンすらもそう。
予想もしていなかった、目指していたわけでもない、そのど真ん中にいる時。

そう、今、人生初めてのロックダウン。
今年3月のロックダウンの時はまだ東京にいたから、
私にとっては初めてのロックダウン。
もちろん狙ってなんかいない、不可抗力。
「どう?大丈夫?」と心配してくださる方々もいるけれど、
あくまでも私の体感で率直な感想を述べるなら、
「びびってたけどさほど影響を受けてはいない。日々に大きな変化はない」

そもそも私はこのコロナ禍で、ギリギリのところでベルリンへやってきた。
行けるか行けないかいつ行けるのかどう行けるのか、、の戦いの方が、
自分ごととしては何倍もインパクトが強いし、
精神力はかなり持っていかれた。
飲食店やショップが閉まったとて、正直辛いことはそんなにない。
スーパーが営業していて犬の散歩へ行けるのなら、
それだけで私の日々は成り立つような中にいる。
人といることよりもひとりでいることの方が好きだし、
出かけることも好きだけどひきこもることはもっと好きだし、
生活の中での不便はさほど感じていない。
(欲求に対する不便とか、なんとなくやっぱ人混みは怖い、はあるけど)

ただ、東京で緊急事態宣言が出た時のことを思い出すと、
いくらひきこもることが好きでも本気でひきこもるとメンタルに良くない。
自分ではストレスを感じていないつもりでも、
それなりにやられていることに後になって気づく。
あの時はちょうど仕事を辞めたタイミングでもあり、
本当に誰とも話さず食材を買い込んでただひたすら家にいた。
初めてのことに、それが正解だとその時は思ったから。
間違ってはいなかったと思うけど、やり過ぎたかも、とは思う。
思い返してみると、あの時いちばん怖かったのは、
コロナそのものの脅威よりも他人の目だったのかもしれないなぁと。
とりあえず家でじっとしていれば誰に何を言われることもない。
言葉を選ばずに述べるなら、
不特定多数の他者による吊し上げのような攻撃が嫌でしかたがなかった。
(異常とも思える不倫叩きもそれ)
弱さ(不安、怒り、フラストレーション、、)を武器に変えて振り回すことでしか
自身の精神状態を保てない人も増えたんだろうと、
納得はしないけど理解はできる、けれども。

残念ながら、
楽しみにしていたクリスマスマーケットはなさそうだけど、
ベルリンで過ごす初めての冬。
ロックダウンの中にいるとしても、
そもそも通常のベルリンを私はまだ知らない。
そういう意味で、たぶん、狙ったわけじゃない初めてのできごととして、
楽しめそうというか、
そう大きくメンタルが揺れることなく過ごせる気がしている。
比較対象があるようでないからね、そういうもの、として。

1日からチョコレートのアドヴェントカレンダーを開け始めた。
(人生初めてのアドヴェントカレンダー)
今日は少し雪がチラついて、ぽかーんw
(これまで暮らした街の中でおそらくいちばん寒いところ。長い冬への恐怖)
来週はやっとVISAの手続きへ行ける。
(私の人生においてこんな日がこようとは)
なんだかんだと、少しの彩りが、毎日の中にはある。

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