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宗教学から見る、日本人の考え方。

ちょっとストンと落ちたものがあったのでアウトプット。(長い。2700字)

宗教って聞くと、家にお坊さんが来たことあったなとか、宗教紛争をニュースで見たことあるなとか、クリスマスっていいよねとか、そんなことを考える。身近にあるものだけど、楽しいイベントのイメージとか、逆にちょっと怖い感じもしたり、でも正直よくわかんないやって思ってた。

それもそのはず、日本は戦争の教訓から宗教についての教育をあんまりしていないようで。

そんなこんなで宗教ってよく知らないし、実際どんなもんなんだろなと調べ始めた。(きっかけは組織論を調べていて、組織の統治方法として宗教がよく使われているからってところだった)

そうすると、自分より年上の方がなんでこう考えるんだろうかとか、社会で支持される考え方ってこういうところから来てるのかなとか、日本人の考え方についての発見があったので書き残しておく。

日本の宗教・信仰・思想


八百万(やおよろず)の神信仰
 
儒教・仏教
(5~6世紀 ※諸説あり) 
 |
神道(7~8世紀)
 |
国学(江戸中期)
 

国家神道・国体思想
軍人勅諭・教育勅語
(明治)
 ↓
戦後

これだけ?ってなるけど、日本人に大きな影響を与えた宗教や思想は、ざっくり知った範囲ではこんなところ。キリスト教とか道教とか関わっているものはあるけど、根付いているかどうかだと、このくらいかなと思う。

日本人の考え方の移り変わり(明治まで)

日本は元々、様々な信仰があった。例えば自然現象や自然物を信仰、古代の有力者や指導者を神格化したり、思考や災いを神と考えてみたり。具体的には、富士山信仰や、貧乏の概念から貧乏神とか、子供にお米には神様がいるからちゃんと残さず食べないと怒られるよ!と言うようなことも信仰である。とにかく神様がいたるところにいる(八百万の神)と信じられていたのが日本。

さて、そんな日本に大陸からやってきたのが儒教仏教

やってきてすぐに取り入れたのが、みんな知ってる聖徳太子。十七条の憲法には儒教と仏教両方が入って広められた。儒教は思想として大きく広がるのは鎌倉時代(1185年~)以降だけど、仏教は入ってきたとたん崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏でバトルが起きるほどに注目され、江戸時代には民衆がどこかの寺院に登録する義務(寺請制度)もあったりで国民に根付いた。儒教的思想も、例えば日本での有名な思想「武士道」なんかに根付いている。

次に神道(7~8世紀)。朝廷が八百万の神による伝承や信仰を集めて編纂し、日本の成り立ちを神話形式で表すことで体系化した(古事記や日本書紀)。
この神話の中には「天皇が神の子孫である」ということが書かれている。編纂した時期は国内が争いによって荒れており、国外も唐という脅威が迫っていたことから、天皇の統治に正当性があることを示しつつ、国内外に天皇の威光を示す必要があり神道が作られた。

そして江戸中期。儒教や仏教は日本に影響を与えていたんだけど、これらは外から来たものだから、その前からある日本オリジナルの精神や文化を形にしたいよね、という人たちが出てきた。そこから生まれたのが国学で、大成させたのは本居宣長が有名。その後宣長の弟子、平田篤胤(あつたね)が儒教や仏教を完全に無くした復古神道や、篤胤の弟子が天皇の世界制覇の計略である宇内混同秘策などを作り、国学が日本人の精神性を解明するという枠を超えていった。

日本人の考え方の移り変わり(明治以降)

明治時代に入ると、列強諸国に対抗するべく富国強兵が進められた。その一環として行われたのが、国民を統率するための国家神道・国体思想。これは西洋列強の統率基盤であるキリスト教に対し、日本の統率に国学や神道から宗教的基盤を持ってきた。神道が生まれたときと同じように、天皇が日本においての正統的な統治者であると示して、国民に崇敬を義務づけた。

その後、明治の学校や軍隊で国家神道を徹底させるために軍人勅諭・教育勅語が発布された。これらには天皇を崇敬するという内容と共に、儒教要素が入っている。

儒教の大きな考え方は、親に対する「孝」、思いやりの心である「仁」、よき人間関係を支える「礼」といった思想が中心。その中でも軍人勅諭や教育勅語に大きく入ったのは「孝」で、親に対する「孝」という考え方を、天皇に対する「忠」という言葉に置き換え、忠を守ることが当り前であるとした。このときの日本は国家神道を宗教ではなく道徳だと言っていたけど、ほぼ宗教だよねこれ(感想)。

そして戦後、国家神道は廃止。現在、憲法第20条においても公的教育機関で宗教教育(特定の宗派の信仰へ導く教育)は禁止されている。経緯から、宗教や信教の自由を保障し、国家神道に戻ることへの危うさを不安視しているのだと思う。つまり、日本は宗教的なもので最近失敗したばかりなので、宗教についての教育にはどこまで教えていいのかナイーブになっていて、結果宗教を知らない人が多い。

残っている思想。今の日本人の思想。

そうして現代。戦後に国家神道教育は無くなったものの、思想というものは残っていくものである。教育勅語などで同時に教育されていた「孝」のような儒教的思想は残っているし、それを自分の価値基準に置く人は多い。

戦後の会社でも、上の指示は絶対!みたいながっちりとした上意下達形式や、年功序列で影響力が変わる組織の形には、そういった思想は残っていたんじゃないかと思う(そうしないと組織統治が難しかったのもあると思う)。

自分もそうだけど、最近ではそういった思想が社会問題を解決するネックになるんじゃない?と考える人が増えてきた。上の会社の話も、今じゃブラック企業や社畜というようなネガティブな言葉とセットで話されることがある。

ただ、これは戦後・高度経済成長期を支えた長時間労働や企業の統治形態であって、そのおかげで今の豊かな暮らしがあるし、それに成功体験を実感した先達の方たちは信じる人が多い。人は経験したものを信じやすいので、年齢層によって考え方が違うのは当たり前なんじゃないかなと思う。

最後に

自分は宗教や信仰、思想はニュートラルに捉えたい。国家神道も、仏教も、儒教も、たとえ自分がその信仰や思想を持っていなくとも、持っている他者を理解していきたい。あなたはこう思っているんだね、わかった。が、スタート。(場合によってはもうちょっと教えて、が入る)これは信仰や思想に限った話じゃないかもしれないけど。

宗教学を学んで、先達の人々の生きてきた歴史を知り、今の世に続いていることをちょっとだけ理解できた。こうやって人や社会について深く考えられるようになるのが、宗教学のいいところに感じる。



追記:結構端折って流れを書いた。参考文献もそんなに多くないので、あっこれ違った!とか、こういう考え方もあるんだ!がでてくる。そのときは随時捉えなおそうと思う。

参考
・島薗 進『大学4年間の宗教学が10時間でざっと学べる』KADOKAWA
 ・文部科学省ホームページ『第9条 (宗教教育)』http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_09.htm
・高崎経済大学『日本の家父長的家制度について』http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun8-4/shen.pdf

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