20231221

 クロエ・ジャオ監督『ノマドランド』を観た。リーマンショックのあおりを受けて家を失ったファーンは、季節労働者として働きながら自ら改造したヴァンで生活する老後を迎える。同じような境遇の仲間たちと束の間、転々としながら明るく振舞うが、先立たれた夫を忘れられずに孤独な夜には不安に苛まれる。始めから終わりまで大きな事件は起きずに静かに物語は流れていくが、通奏低音となる寂寥感と喪失が絶えず観る者の心をつかむ。アメリカの抱える社会問題は、そのまま日本がやがて抱えることになる。政治がずっと米政権を追従しているからだ。白眉な場面は、夫と故郷で悠々自適な生活を送る姉に再会するところだ。不動産投資で老後資金を得た夫婦に対して、ファーンは噛みつく。このコントラストは、人生の意味や資本主義下の価値について問いを投げかける。
 この手の映画などでいつも思うのは、どんな過酷な境遇でも人々が卑屈になっていないというところだ。どうしても、本邦だと人々は全てを憎悪しながら、やがてその攻撃が自分自身に向かう場面をよく見る。いい意味でも悪い意味でも、彼らは個人主義で周囲にどう見られるかということは二の次で、彼ら自身が何を欲しているか、本能的に理解している気がする。

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