20230222

 快晴で気温は二桁に届かなかったものの、風もなく穏やかな天候で昨日よりは暖かく感じた。成田悠輔氏の高齢者集団自決の発言が波紋を広げているが、彼の主張をそのまま具現化したような早川千絵監督の映画『PLAN75』を観た。タイトル通り、75歳を迎えた老人に金銭補助と死後の葬式や財産処理などを一括して請け負うことで自主的な死を勧めるプラン75が公的な制度として運用開始されたディストピアを描く。昨年カンヌの正式招待作にもなり話題を呼んだ。映画において恐ろしいのは誰もが申し訳なさそうに生き、そのような制度にも順応していく姿がとても現実的に描かれているということだ。正直、成田氏のような主張をする人間は別にいくらでもいると思う。もちろん彼のような主張は全面的に受け入れがたいものだが、かと言って彼の発言をもってして社会的制裁を加えるというのは行き過ぎた理論だし、むしろそうやって一人の人間を社会の風潮やメディアの論調で人生を決めるという流れのほうが恐ろしいと思う。それはポピュリズムであり、逆のことを権力側が行えば、あっという間にファシズムである。やはり、彼の理論の問題点はそこに個の問題が全く欠落しているところにあると思う。成田氏の両親がその集団自決を決行したら彼はどう思うのか、そしてそれは彼自身もその年齢に達したとき同じように考えることができるのか、彼自身に彼の言葉が向けられていない、これは彼を支持する若い世代にも同じことが言えるし、完全に教育の敗北だろう。彼が経済学者であるという点も大きく寄与していることだろう。生産性でしか人生の価値を計れていない、しかし人生とは本当にただ経済的に満たされるだけで成り立つものなのか、そんなことは様々な人生経験を経れば簡単に答えは出るだろう。そういう意味では彼が学問の世界にだけ閉じこもり、生きてきたことは不幸でしかない。しかし、それもまたわたしの価値観であり、これを押し付けることはできない。つまり、人生とはそういうものだ。むしろ社会はそういった生産性から零れ落ちるものを補うことにこそ、つまり福祉にリソースを割くべきだろう。経済的困窮への不安がなくなれば、むしろ人は誰かを助けたい、社会貢献したいという欲望が芽生えるはずだ。そこにこそ希望的観測が持てるのではないか、わたしはそう思っている。

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