20240116

 強風が冷たく、寒い一日になった。こういう日にはいつも『北風と太陽』の逸話を思い出す。旅人のコートをどちらが脱がせることができるか、競うあれだ。強く吹けば吹くほど旅人はコートをしっかりと着こむ。太陽がじりじりと近づけば、彼はあっという間にコートを脱ぎ捨てる。吹きすさぶことこそが強みと思っていた北風は、そのことがかえって弱みにも転じるということを分かっていなかった。人間にとってそれは風力、風車を回す動力源として利用されている。わたし個人としては、風の強い日は嫌いだが、それも何かの役に立っていると思えば少しはその気持ちも和らぐかもしれない。
 池田晶子『死とは何か さて死んだのは誰なのか?』(毎日新聞社)を読んだ。二〇〇七年に亡くなった後、未発表原稿含む、それまでに連載された原稿をまとめた著作集。まえがきでサブタイトルにもなっている「墓碑銘」の話から始まる本書は、彼女が死ぬ間際まで「生と死」について考え抜いていたことを証明する。中でも、未発表原稿である最後の医療従事者に向けた講演の草稿はとても示唆的で感銘を受けた。携帯もパソコンもワープロさえも使わず、ノートとボールペンで書き記した言葉で思考を続けた彼女の言葉は、簡素でありながら普遍的で深淵な領域へと踏み込む、研ぎ澄まされた輝きを持っている。スマホとSNSの普及で話すように言葉を書いているわたしたちは、言語の持つ意味、その重みについてあまりにも安易に考えて――いや、もはや考えもなしに――使っているのではないか。

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