20240729

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 ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(富田彬訳、角川文庫)を読んだ。短編集は読んだことがあったが、長篇は初めて。視点人物が固定されず、時系列も過去に遡ったり、空間もどんどんと移り変わっていく、いわゆる「意識の流れ」を全面的に表現したウルフの代表作。五十の坂を超えたダロウェイ婦人が盛大なパーティを開く一日を、彼女の過去をよく知る人物たちや、戦争帰りで精神を病んだ青年とその妻など数珠つなぎのように様々な視点人物が移ろいながらロンドンの街の情景とともに、恋愛、階級、老い、政治、戦争など社会問題や普遍的な問題について登場人物たちがそれぞれの立場から考える。
 冒頭と最後のパーティではダロウェイ夫人が視点人物として登場するが、主に彼女の元恋人であるピーター・ウォルシュによるダロウェイ夫人に対する考察で大部分が占められていることからも、恐らく自身の客観視を小説を通してウルフは行っていたように思う。この文庫にはウルフ自身による解説文が掲載されていて、初めの草稿では戦争で精神を病んだセプティマスは登場せず、ダロウェイ夫人が自殺する結末を描いていたと明かしている。老いに対する悲観的な描写はありつつも、なんとか希望の感じられる結末になっているのはタナトスをセプティマスが肩代わりしたからだろう。しかし、実際にはウルフはこの小説を書いた約十年後、本人も五十を超えダロウェイ夫人と同じ年代に差し掛かった時に自ら命を絶つことになったという事実が何とも言えない感慨を起こさせる。

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