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素直な人が眩しく見える

その瞬間、思ったことを話すことができて、それを聞いてくれる人がいる。
子どもの頃、そんなふうにその時、その場で感じたことをありのまま話すことができていたら、私も同じように眩しく見えるのかな。

眩しすぎて、結構苦しい

友人と星をみながら話した「子どもの頃にちゃんと子どもをさせてもらっていた人」のこと。

思ったことを真っ正面から伝えられる人を見ていると、なんて自分の気持ちに素直なんだ、と羨ましく思う。
なんというか、純粋なんですよね。
思ったことを一度は口に出して相手に伝えられる。それを相手がどう感じるかは置いておいて。
前置きを置いたとしても、感じた気持ちをありのまま伝えられる。
もちろん、言える人、言えない人がいると思うし、選んではいると思うけど、良くも悪くも思ったことを言える人が目の前にいると、眩しすぎて、息ができなくなることがある。

わざと落としてきたモノをわざわざ拾いには戻れない

言わない方が楽だから、迷惑かけないから、誰よりも早く真っすぐな道を一人で歩けるようになるために、持ち続けたかったモノもわざと落としてきた。
そうやって進む方が早く大人になれたし、そうすることが自分を見失わず生きていく術だと思っていたから。

でも、一つ誤算だったのは、落としてきたモノが本当は必要だったこと。
今さら振り向いたところで拾いにもいけないし、たぶん持ってもとに戻ることもできない。振り向いたら最後、奈落の底に沈むと思う。

だから前だけを向くしかないんだと、自分を鼓舞して進んでるけど、たまに平気で後ろ振り返ってる人が近くにくる。言わないけど、いろんな意味でまじかよって思ってる。

自分の過去を美談として語れるほど、美化したくてもしきれないから、活かすこともできない。
それが私の武器になるだろうし、唯一無二にもなれるかもしれないけど、私には無理だな。
だから多分今がしんどすぎるんだと思う。

眩しく見える人が増えたらいいな

これは自分にも、そしてこの話をしていた友人に向けて書こうと思って。

持っているものは重たすぎるような気もするし、見る人からみたら軽すぎるのかもしれないけど、自分の半径何メートルにいる人たちが、素直で眩しい人になれるように、重たいものを重たいよねと言ってあげられる人でいたいな。
大きなことはしなくても、手が届く範囲で、無理のないように。

落としたものを拾いに行くことも、振り返ることもしないと思うけど、せめてこれからは、落とそうと思うことがないように、そう思っても持ち続けられるように歩けるといいな。
欲をいうなら、どんな場所にいても深呼吸できるくらい、もう少し素直に生きていけるといいな。

万人にわかる、伝わることじゃなくていい。
自分の書きたいことを書いてるだけだから、伝わってほしい人に少しでも伝わればそれでいい。

また、星を見に行こう。その時は、今より少し、気持ちよく深呼吸できてるといいね。

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