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ネガティブ・ケイパビリティという能力


「ネガティブ・ケイパビリティ」とは?


「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を聞いたことがありますか?これは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指します。(出典:『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生著/朝日新聞出版,2017)

別の言い方をすると、「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」となります。

「ケイパビリティ=能力」というと、何かを積極的に達成するために必要なものというイメージがありますが、「ネガティブ・ケイパビリティ」の場合、そのような積極的なものとは真逆の、「〜しない能力」を指します。

例えば、芸術家や作家が、芸術作品や本を創作・執筆するときや、研究者が研究テーマを探索するときなどに必ず遭遇する、「先が見えない宙釣りの状態」を支えるのに、ネガティブ・ケイパビリティが必要になります。そして、この能力は、芸術家や研究者に限らず、全ての人に必要とされる能力と言えます。

『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』の著者である、精神科医で作家の帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)さんは、作家としても精神科医としても、このネガティブ・ケイパビリティの必要性、重要性を痛感されており、著書の中で下記のように述べています。

「ネガティブ・ケイパビリティという言葉が、その後もずっと私を支え続けています。難局に直面するたび、この能力が頭をかすめました。この言葉を思い出すたびに、逃げ出さずにその場に居続けられたのです。その意味では、私を救ってくれた命の恩人のような言葉です。」(同著p.8)(太字は私が勝手に付けています)


分かりたがる脳とネガティブ・ケイパビリティ


このネガティブ・ケイパビリティは、私たちの脳の性質とは相容れないところがあります。私たちの脳は、なんでも分かりたがる性質を持っているため、曖昧な状態や不確実な状態を嫌います。そのため、私たちはついつい早く正解に辿り着きたい、白黒はっきりさせたいという欲求に駆られるのです。

また、学校教育も、基本的にはこの分かりたがる脳の形成を後押しします。なぜなら、学校教育では、正解のある問題をたくさん解いて、正解することが良いこととされているからです。

このような環境にいる現代の多くの日本人は、なかなかネガティブ・ケイパビリティを意識したり、養ったりするのは難しいかもしれませんが、こういう概念があることを知っていれば、曖昧で不確実な辛い状況に置かれた時に、「今は自分のネガティブ・ケイパビリティが試されている時であり、ネガティブ・ケイパビリティを鍛えるチャンスだ」と考えることで、辛さを軽減できるかもしれません。


では、ネガティブ・ケイパビリティを日頃から鍛える方法はないのでしょうか?


上述の著書『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』では、芸術鑑賞がネガティブ・ケイパビリティを磨くのに良いと述べられています。音楽や美術などの芸術は、明確な正解がありません。アーティストが自らの思想や世界観を自由に表現した結果が芸術作品であり、そこには論理を超越した宙ぶらりんの状態が存在しています。

鑑賞者は、そんな宙ぶらりんの状態に放り込まれ、自分なりにアーティストの思想や世界観を理解しようとします。この時にネガティブ・ケイパビリティが鍛えられるというわけです。

ネガティブ・ケイパビリティが鍛えられれば、不確実な状況下でも自己制御ができるようになる可能性が高まります。なんでも物事を決めつけたくなる衝動を抑え、多様な意見に耳を傾けることは、アイデアの引き出しを増やし、クリエイティビティを高める上でもとても重要なことです。

そして、この自己制御の能力に大きく関係しているのが、自律神経、特に副交感神経であることが近年の研究でわかってきているので、次にその研究をご紹介します。


自己制御する能力と自律神経の関係


自律神経のうち、リラックスした状態の時に活性化する副交感神経(特に迷走神経)と脳神経系が連動・協働することによって、自己制御などに関連する社会的関わりシステムが運営されるという理論(「ポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)」)がありますが、この理論を、心拍変動という指標を使って実証した研究を紹介します。

米ケンタッキー大学心理学部のスザンヌ・C・セガストロム博士らは、168人の実験参加者(大学生)を2群に分け、1つの群には、ニンジンだけを食べ高自己制御群)、チョコレートクッキーやキャンディは食べないように指示し、もう1つの群には、逆に、チョコレートクッキーやキャンディだけを食べ(低自己制御群)、ニンジンは食べないように指示しました。

その後、(実は)解くことのできないアナグラム(文字を並び替えることによって、別の言葉や単語を作る言葉遊びの課題を全員にやってもらい、どのくらいの時間粘り強く取り組めたかを測定しました。そして、実験前後の心拍変動(RMSSD)を測定し、その変化を比較分析しました。ちなみに、心拍変動(RMSSD)の値が高いと副交感神経の活動が高いことになります。

分析の結果、高自己制御群(ニンジンのみ)は、低自己制御群よりも、食べている間、及び、アナグラムを解いている間の心拍変動の値が有意に高いことがわかりました。つまり、自己制御能力の高さと副交感神経の高さが関連していることが示唆されたのです。

また、実験前の心拍変動の値が高い参加者ほど、アナグラムに長い時間取り組むことがわかりました。つまり、副交感神経の値が高いと、自己制御能力をより発揮できるという関連が示唆されたのです。

ネガティブ・ケイパビリティと副交感神経の関連性を調べた研究は私の知る限りはありませんので、以下は推測になりますが、様々な先行研究の結果に鑑みると、副交感神経を高めることは自己制御能力の向上、そして、ネガティブ・ケイパビリティの向上につながる可能性が考えられます。

副交感神経を高める活動は、このnoteでも随所に紹介していますが、呼吸法やウォーキング、マインドフルネスなどが効果的ですので、これらを継続することで単にリラックス効果を得るだけでなく、自己制御能力、そして、ネガティブ・ケイパビリティも向上させることを意識してみましょう。

参考文献:
・帚木蓬生. 2017. ネガティブ・ケイパビリティ: 答えの出ない事態に耐える力. 朝日新聞出版.
・Segerstrom, S. C., & Nes, L. S. (2007). Heart rate variability reflects self-regulatory strength, effort, and fatigue. Psychological science, 18(3), 275-281.

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