ろおじ の オモイデ
小学校低学年まで、神戸の下町で暮らしておりました
その頃は、車が通れない道幅、未舗装の地面、の路地があちこちにありました
そのあたりの子どもたちは、路地のことを、「ろおじ」と言ってました
最近、そういう言い方を聞かないので、「ろおじ」が神戸弁なのか関西弁なのか、よくわかりません
「ろおじ」は、通り道であり、生活の場であり、子どもたちにとっては広場の役割を果たす遊び場でもありました
大人になってなつかしがって、かつての「ろおじ」を探って歩いてみると、こんなに短い通路だったのかと驚きました
「ろおじ」は土の地面ではなく、若干きれいに舗装されていましたが、幅の狭さは相変わらずというか、こちらの体が大きくなったせいか、さらに狭くなっているように感じました
なんで こんな細い道があちこちにあるのか、もともと細い道で町組みしてあったのか、住居が押し出して(まさか。。。)細くなったのか、不思議でたまりません
大人になって周辺を歩くと「ろおじ」以外の車道も、子どもの頃の感覚と違い、時間かからず、すぐに通り過ぎてしまう長さになっていました
そんな「ろおじ」、薄らいだ思い出の中から掘り起こしてみると。。。
通り道=車道をまわると遠い道がショートカットできる!
子どもにとっては重要な移動手段です
生活の場=路地のクランク角に銭湯がありました
銭湯は、浸かったり洗ったり、
脱衣場で休憩したり
近所の人や友達に出会ったり、の
癒しと交流の場でした
また、お風呂屋さんの近くに
小さいお好み焼き屋さんがあり、
焼きそば、お好み焼き、
持ち込みご飯での焼き飯やそばめし、
など、余裕がさほどない家庭でも
外食を気軽に楽しめる場所でした
遊び場=子どもにとっては広場ですから、
また、長くてクランク曲がりもしてますから、
鬼ごっこでもかくれんぼでも
ぼんさんがヘをこいた(失礼)でも
三輪車乗り回しでも
めんちゃ(?)でも、遊び方は豊富でした
拙ホームページからも思い出を取り出して、上記を少し補足。。。
《下記の記事ともダブってます、スミマセン》
《「ろおじ」関連部分を伐採、再編しております》
お好み焼き=家でも外でもよく食べました
「ろおじ」にある店々で
当時多かったのは生地を薄く焼いて
キャベツ千切りを 入れたお好み焼きでした
「すじ焼き」やら「にくてん」やら
「肉焼き」「豚焼き」(?)やらの名前を
言って注文して
食べていたように思います。
ひと玉食べたあとの締めに焼きそばも
おいしかったです
大人は「モダン焼き」だったかな?
ご飯焼き(?)=近所のおばさんたちが
お好み焼き屋さんに、
残り物のごはんをボウルに入れて
持ってきて、
「これを入れて お好み焼きを焼いて」とか
「やきめし 焼いて」 とか
言っていました
この料理の料金体系はいったい
どうなっていたのか? と、
以前、ホームページで投げかけたところ、
教えていただけました
(ありがとうございます)
「そばめし」説:最近は全国メジャーに(?)
きれぎれになっためしつぶ長のそばと
ご飯がまざりあったやつ
「やきめし」説:アルミのふたのようなのを
かぶせて焼いてたような記憶が・・・
「ごはん入りお好み焼き」説:これも確かに
あったそうです
料金は1枚分100円くらいだったとか。
神戸の地蔵盆=下町の「ろおじ」のあちこちに
あるお地蔵さんを回っていく、
子どもにとって一大イベントでした
大きなビニール袋を持って、
近隣の「ろおじ」数々を回り、
お地蔵さんのお供え物のおすそ分けに
預かります
獲物は、お菓子やジュース
わくわくする一夜でした。
(何か行事があるときに活躍する、
ばら寿司、いなり寿司、も、
この地蔵盆に登場していたと
ホームページにメールを頂戴し
教えていただきました)
ホルモン屋さん=当時の神戸の下町には
「焼き肉屋」という名のレストランは
ほとんどなかったようで、
のれんの名乗りは「ホ ル モ ン」、
焼くものがホルモン中心だったのか?
「ホルモン屋」さんは、
焼いてるものが子供には難解で、
大きなビンに小袋詰めの乾きものの
おつまみが入ってたりしていて
大人の世界でした
また、にんにくの香りが強い!
当時は、にんにくは一般的には
売られていなかった?と思いますので、
その印象は強烈でした
懐かしい神戸の下町、時代とともに、また震災の影響が大きく、様変わりではありますが、いろいろな駅で降りては歩いてみたりしています(以前はJRの駅からかなり南へ歩いたものですが、今は南の浜近くを地下鉄が通っていて下車とぶらぶらに便利ですよ)
「ろおじ」の歩き方
生活道路、住居と通路の距離が近い、
慎みをもって歩く
写真撮影はうまくやる自信がないので
路面中心、
公(ご商売の看板とか店構え)に
なってるものの範囲に自主規制
ジグザグやクランクも楽しむ
住んでみたい、また住みたい、と
思いながら歩く