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芸術についての雑感②

わたしの中にある、大切な、"寂しい"という気持ちが溢れ返るとき、それを一生懸命に掬い取るために、文学が必要となる。
常識的ではない感覚で人生を正当化してくれる可愛いらしいエゴがスクラップされて、そんな、恥ずかしくて身を背けたいような人間の羞恥の切り取りが、文学作品や音楽、造形等等から共感される。そしてそれはわたしを諫めてくれる。

まあつまり、これでいいのだ!と、他者のフィクションから自分を投影し、更に正当化することで心の温床を得るのだ。それは自分の恥ずかしさに蓋をする感じなのだ。


つい先に、なんとなく出会ったこの本↑は、
タイミングの悪戯として得た、わたしの近頃の出来事に対して、悲しくて強烈に苦しい反面、生きているという事を否応無しに見せつけるように、右利き右アッパーかまされると同じくらいに超痛くて、局所をキめてきた。

結論、近頃、遠慮なしにわたしに訪れてくるピリリとしたモノガタリはすべて、必然であることを、その傷の治療者である"時間"という特効薬を待たずに文学によって理解される、ことなのです。

#孤独を突き詰める

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