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瞬間的エッセイ7

《私を、受け入れる》ということ。
女性性とはなにか?
わたし自身、幼少の頃からぼんやりと萌ばえ、大人になるにつれそれが悩みとなり、いつしか苦しみになり続けている視点。

TVのコマーシャルや街中のあらゆる広告媒体に蔓延る日本特有の"女性なのに像"は、直接的な悪意が無いだけに潤滑的に我々の脳内へ扇動されていく。"女流作家、女流棋士、女優、女性ピアニスト、若い女性の経営者・・

私が、わたしじしんのネガティブな女性性を強く意識する根幹には、男性への嫉妬と羨望が存在しているのかもしれない。
死を持ってしても切り離せない永遠なる自己性・自己感覚から少しでも距離を置きたいと常に思っているけれど、その"私自身"は、存在している括弧付きの〈私〉でしか表現できない。

でもその〈私〉の外側で規定された性・環境・境遇・経験、そして信じることのできない言葉でしか表現できない葛藤それこそが、芸術の素材になり私が生を全うするまでの試練なのだろうか…

苦しいね。

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