2021年の予言を400円で売ります


再度の緊急事態宣言の発出、米議事堂で乱入・発砲・死亡事件と、年明け早々大変な幕開けになりましたね。

不安あるところに予言あり! ということで、2021年の予言を400円で販売しようと思うのですが、これは混乱に乗じた火事場泥棒みたいなインチキ商売ではありません。

以下の長たらしい注意書きにぜひ目を通していただいて、詩人が売る予言の用法容量を理解した上で服薬して頂きたいのです。

そんなものはいいから騙されたい! という方は目次から予言まで飛ばして購入して頂いても構いませんが責任はとれません。


はじめに:詩人は予言者になれるか?~2019年末の予言が的中した件について~

私は詩人です。
他にもいろいろな名乗りはありますが、しかし詩を書いて発表している自分を言い表すとき、私はそう名乗るようにしています。
数ある呼称の中で、一側面に過ぎなかったとしても、私を言い表すための正しい呼称の一つであることは確かなのです。

一方で、私は占い師ではありません。
いろんな名乗りをしていますが、占い師を自ら名乗ったことはありませんし、占いの素養もありません。

ところで私は2019年末に詩人として、「2019年末予言の書」という詩を書きました。


2019年末といえば、私はコロナのコの字も知らず、丸ノ内で営業マンをしていて、十二月の二十七日、無事仕事を納めて実家に帰省する新幹線の中でふいに「詩的熱狂に憑かれて」書いたのがこの詩です。
そして題名を「2019年末予言の書」として出したのですが、このとき、2020年に起こる事柄や未来を予測してやろうという気はさらさらありませんでした。

しかし、今となって見返してみると、「東京に人はいなくなる」「オリンピックは失敗する」「祭囃子が遠のいて インフルエンザが大流行」などのフレーズは、2020年という時代を予見していたとしか思えないものがあります。

以下に全文を引いておきますので、ご自身の目で確かめてみてください。
繰り返して言いますが、私はこれを2019年の末に書きました。


十二月の二十七日をすぎたころから
東京に人はいなくなる
オリンピックは失敗する
東京に人はいなくなると声高に叫んでいる
おじさんもみんないなくなる
みんながみんないなくなる
宇宙人がやってくる
彼らもやがていなくなる
故郷に帰ることができないまま
子供の数が減り老人が増えて
東京に宇宙人はいなくなる
東京に人はいなくなる
十二月二十六日僕は新幹線のチケットを買った
この切符は僕を過去へと
連れて去ってくれる切符
取り返しのつかないことになったとき
僕たちには思い出がある
明日地球が終わるなんて本
むかし公民館で読んだ
三十日には有休を取った
何しろ地球も間も無く終わる
みんなよくおぼえておくように
ぼくのよげんは絶対だ
明日、仕事が終わる
若者みなみな飛び降りて
老人みなみな行き倒れ
祭囃子が遠のいて
インフルエンザが大流行
僕は派遣の営業マン
外国人はおいくらですか
安くないなら要りません
会食のコース二万は常識
君たちと呑む 酒はまずいな
税金で食べる松坂牛
鳥インフルが大流行
貧乏人を大粛清
牧場に人はいなくなる
牛の王国ができあがる
東京に人はいなくなる
君と歩いた表参道の夜
月の光だけが街路樹と
マルティニーク・ル・コントの
マフラーを青く照らす
2019年末の夜


最後の連に出てくる「マルティニーク・ル・コント」は、丸ノ内OLをしていた頃に愛用していたブランドで、表参道に旗艦店があります。
この詩に書いたのも、この表参道店のことでした。
「君と歩いた表参道の夜」が、「取り返しのつかないことになったとき 僕たちには思い出がある」「思い出」に呼応する、回想の連となっているわけです。

どんな事情かは存じませんが、この詩を書いてから一ヵ月も経たず、2020年1月13日にマルティニーク表参道店は閉店することになりました。


取り返しのつかないことになってしまいました。
今となってはこのハガキも何か啓示的なものに見えてきましたね。

さて、ここで問題です。
私は予言者になれるでしょうか?


前置き:ノストラダムスという詩人について~ノストラダムスは予言をわざと難解にした?~


ノストラダムスという詩人をご存知でしょうか?
この詩人の名前を、予言者として記憶している人の方が、実は多いのではないでしょうか。
日本でどうしてそのように彼の名前と、あの恐ろしい終末の予言がセットで広まってしまったのかという辺りについての予備知識をお持ちでない場合は、先にこちらの記事など参照して頂けるとわかりやすいかもしれません。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55379?imp=0

以下は引用です。

山本 そもそもノストラダムスはルネサンス期(16世紀)のフランス人医師で、本業以外にも、化粧品やジャムの作り方を本にまとめるなど多才な人物でした。
一方で『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』などの予言詩を多数著しており、予言者としても知られていた。それを作家の五島勉さんが『ノストラダムスの大予言』で紹介し、日本で広く知られるようになったのです。
海外ではノストラダムスの名前はオカルト好きの間では有名ですが、普通は知らない。国民のほとんどが知っているというのは日本だけです。
しかし、『ノストラダムスの大予言』には五島さんの自己流解釈が多分に含まれています。
確かにノストラダムスは「1999の年、7の月 空から恐怖の大王が降ってくる」と予言めいた詩を書いていますが、自身の詩を「3797年まで絶え間なく続く出来事の予言である」と言っており、1999年に人類が滅亡するというのは五島さんの創作なんです。
この五島勉という作家が何者なのかというと、この記事では「五島さんはノストラダムスの研究者ではないですよね。もともと週刊誌のライターで、その後、作家に転身して、米軍兵に犯された女性のルポルタージュなどを書いていた」という風に言及されています。
『ノストラダムスの大予言』自体も、ノストラダムスの『予言集』を正確に訳し、研究者としての解釈を付したものではありません。
山本 『トンデモノストラダムス本の世界』('98年)を執筆する前に、『ノストラダムスの大予言』を改めて読み直したのですが、本当にめちゃくちゃでした。
例えば原典にある「カルマニア」(現イラン・ケルマーン地方の古代の呼称)という単語を「カーマニア」と解釈して、ノストラダムスは、現代の車社会を予言していたんだと主張してる。
書いてある内容は当時新聞で騒がれていたような社会問題や環境問題にすぎない。でもこれが「実はノストラダムスが予言していたことなんです」というふうに提示されると、なんだかすごいことが書いてあるように見えてしまう。五島さんの筆力も相当なものです。
(中略)
山本 販売部数は発売わずか3ヵ月で100万部を超え、1974年の年間ベストセラー2位にランクインしています。当時、日本はオカルトブームや終末ブームに沸いていました。
小松左京さんの『日本沈没』はその最たる例でしょう。五島さんはそのブームにうまく乗っかったと言えるかもしれません。


ノストラダムスの「予言」が後の世に巻き起こした影響は、まとめて「ノストラダムス現象」と呼ばれています。
この日本国内での終末論騒動に留まらず、この現象は世界各国ありとあらゆる時代で生まれてきました。

否、正確には「生み出されて」きました。
誤解する者、模倣する者、詐欺や金儲けに利用する者、政治や宗教に利用する者、正体不明の不安に駆られ、信じる先を求める者の手によって……。

実例などはこちらの書籍に詳しい──というよりも私も国外のことについてはこの本で読んだことしか知りませんので語る代わりにおススメしておきます。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8E%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B9-%E4%BA%88%E8%A8%80%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E3%80%8C%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E5%8F%8C%E6%9B%B8-%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7-%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%A8%E3%83%B3/dp/4422211781/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8

それらを踏まえた上で反芻する、「ノストラダムスはわざと予言を難解にした」ことを示す以下のエピソードは強烈です。

ただし、『予言集』が難解なのは、印刷に問題があっただけでなく、著者自身が「予言をいくらか難解に組み立ててみたかった」からでもある。『予言集』の文章が難解になったのは、著者が気取って書いたからでもなければ、予言と現実の照合から逃れるための策略でもない。むしろ、天上の真理の直観的認識は世俗の人々にさらされてはならないという考えがあったからだ。ノストラダムスは「難解」に書くことで、「大衆」に安易に理解されないようにした。彼は聖書を引用して、このような態度を正当化している。「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠に豚を投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。(マタイによる福音書7・6、新共同訳)。ノストラダムスは自分の考えをあきらかにすると同時に、隠すことにも腐心しながら予言を書いた。
25-26P「ノストラダムス──予言の真実 (「知の再発見」双書118)」、創元社、2004年。

一応注釈を加えておくと、このような理由でわざと難解な表現を用いる詩人は、ノストラダムスの時代(16世紀・ルネサンス期)には珍しくありませんでした。

ノストラダムス研究書(『ノストラダムス予言集』岩波書店、2014)では、この点に関して、同じく十六世紀の代表的詩人であるロンサールの言説を紹介しています。


ロンサールは
詩というものは、初期の時代には、無教養な人たちにあまりにもあからさまに真理を見せつけては理解されない隠された神秘を楽しくもっともらしい寓話を使って、理解させる寓意的神学に他ならなかった。*『フランス詩法要約』
と考える。詩人が尊ばれるのは他の人々にまして
驚嘆すべき卓越したものとした神ながらの精神よりも、むしろ、彼らが自らの知識の最良の部分を獲得した神託を下す神、予言者、占者、巫女、夢判断者と交わした会話のためである。*『Idid.』
とみなすのである
p336-337

このある種の詩人の啓蒙家的側面──少なくとも、啓蒙活動の一環に「翻訳家」か「話者」として組み込まれている側面──あるいは、ここに言われる「無教養な人たち」の無知蒙昧を啓かないままに、「神秘」に触れさせるという宗教活動家としての念頭に入れて次に進みましょう。


私たちは何を求めて予言を欲するのか?~科学者・占い師・メンタリスト~


さて、皆さん占いに行ったことはありますか?
私は去年の暮れ頃に初めて行きました。

「じゃあ占いを信じているんですか?」と訊かれると、答えはノーです。
現代において、占い師というものは市井のカウンセラー的な役割を持っている面が大きいのではないでしょうか。

心理士の資格を持ったカウンセラーのカウンセリングが1回1万円~と高額なのに対して、占いは安いところでは15~30分2000円、3000円からと、お安め。
通院の延長線上としてのイメージが前者に比べて、心理的ハードルも低い。
数千円で悩みを聞いてもらって「それは星のせいですねえ仕方ない」「その人とは相性が悪いですよ諦めた方がいい」なんて言ってもらい、自分の中で結論は決まってるけど、あと一押し!が欲しいときに、「運気も絶好調ですから問題ないでしょう」なんて言ってもらったり。

そういった動機で占いに通われている方はけして少なくないと思います。
(とはいえ、本当にそういった不安な心に付け込むあくどい商売をしている人もいるので注意)

一方で、占い師のインチキを暴くドキュメンタリーや検証動画も昔から変わらず人気のあるコンテンツです。

「占いなんて非科学的で何の根拠もないもの……」と思ってる人の「ほうら言ったこっちゃない」という欲求を満たすことで、こちらはこちらで利益を上げているわけです。

占いとはそういう「アソビ(時に生活に必要不可欠な娯楽)」という風に私は捉えています。

さてここで、占いを上記の理由で否定する方に問いたいのですが──確かに占いが非科学的であることは認めましょう。
しかし「根拠」という点において、必ずしも科学は占いよりも優れているといえるのでしょうか?

Wikipediaにおける「予言」のページでは、「自然科学の領域における予言」というものが紹介されています。
曰くここでいう予言とは、「ある仮説が正しいとした場合に、必ず存在するはずの未発見の物質や、未観測の現象を想定する時に用いられるものである」とのこと。

具体例としては、以下が挙げられています。

・メンデレーエフが元素周期表によって当時未発見だった元素の性質を予言したこと
・ハリーがハレー彗星の回帰を予言したこと
・ルヴェリエとアダムズが天王星の摂動から海王星の存在とその軌道を予言したこと
・アインシュタインが一般相対性理論によって当時未確認だった重力レンズや重力波を予言したこと
・ディラックによる陽電子の存在の予言
・湯川秀樹が素粒子物理学における中間子の存在を予言したこと

これらは生年月日や星の位置から未来を言い当ててみようとする占い師と違って、間違いなく「科学的根拠のある予言」と言えるでしょう。
しかし、その仕組みについて、多くの人々は、占星術における星の動きと個人の運勢の相関性と同じくらい、知識を持たず、理解していません。

たとえばそれが、ガンの治療において医者の意見を聞くか、占い師の意見を聞くかという話になれば、前者を選んだ方が賢明でしょう。

ではそれが、「意中の相手Aさんに告白するべきか」という相談であれば?
それに対して「間違いなく告白するべき/すべきではない」という答えを出せる医者も科学者もいないでしょう。

しかしこうした「誰に聞いてもムダ」「自分で考えるしかない」ということを相談したいという欲求は、どうしたって不安な心に浮かび上がってくるものです。

また、過去に対する事柄を「どうすればよかったんだろう」「誰が悪かったのだろう」ということもまた、「考えてもムダ」な事案であるわけですが、こういうことを解決するために、人はカウンセリングを受けたり、占いに通ったりするということがあるわけです。

ところで、例のメンタリストDaiGo氏が配信サービスで提供しているような、「心理学」を根拠に日常的なお悩みを解決していくようなコンテンツは、カウンセラーとしての占い師を欲しているけど、占いなんて非科学的なものに頼る気にはなれない……という層の需要をまさに満たしているのではないかと思います。

言ってしまえば、根拠とする「占星術」の部分が「心理学」に入れ替わっただけの話で、科学を万能とする世の中においては、こちらの方がより多くの人に受け入れやすかったりするのでしょう。

※彼の提供するコンテンツ全てが、という話ではありません。いろいろされてますからね。また、たまたま知っているところとして例を挙げましたが、同じような受容にフィットして集客に成功しているサービスも探せば多くあると思います。そういう構造自体は全く詐欺的ではありませんし、批判の余地はないわけです。

ノストラダムスの活躍した16世紀には、占星術と天文学の間にはっきりとした区別がなかったことなど、言うまでもありません。


予言の本質は「的中すること」ではない?~偶然の必然化という役割~


さて「占いを信じていないのに占いに行く」という心理は一体どこから生まれるのでしょうか?
「占いなんて行ったってしょうがないじゃないか。予言なんて当たるわけがないし」という批判を投げかける人は、予言の本質は「的中すること」であると誤解している可能性があります。

先に紹介した『ノストラダムス──予言の真実』という本の中では以下のように言及されています。

『予言集』を解釈するという行為は、<日々の混沌とした出来事の裏には上位の秩序が隠されていて、その秩序を見抜くことは可能だ>という歴史哲学の表れでもある。
(中略)
根源的な秩序を探求するという点において、ノストラダムスと彼の注釈者たちは共通している。『予言集』やその注釈は時代の不安の表れだが、「歴史はひとつの意味を持っている」と示唆し、世界から偶然性を排除することで、人々の不安を取り除くことができるというのである。「ノストラダムスはそれを予言していた」ということで、偶然の出来事が必然に変わり、運命に組み込まれることで不幸が軽減されるのだ。
P68

「不条理劇」を見たことがありますか?
勧善懲悪も因果応報も成り立たない不毛感に、疲弊し、無力感を植え付けられたことはありますか?

「理不尽」に出会ったことはありますか?
何も悪いことをしていないのに悪口を言われたり、学校や職場でいじめを受けたことはありますか?

また逆に「いじめっ子」のような悪者が当然の報いを受けるストーリーや、虐げられてきた弱者が超常的な力に目覚めて無双する展開に気分が高揚したことはありませんか?

この世は元々理不尽で不条理な偶然の連続です。そこには何のストーリーも、合理性もありません。論理も秩序もなく、神もいません。
そのような無秩序に、人の心は耐えられません。

歴史に物語を求めるのも、科学に合理性を求めるのもこのためです。
その内の一つとして、詩の言葉──予言詩は求められていました。


予言詩は『詩学』を超越する?~過去の再現か、未来への影響か~

ここで一つの疑問が浮かび上がります。

アリストテレスの『詩学』においては、詩作の根源は人間の「再現」に対する欲求であると説明されています。

まだ現れていない未来のことを述べる「予言詩」のことは、「再現」の一つであると考えてよいのでしょうか?

歴史観における「物語性」は、過去の偶然を必然に変える力を持っています。
ノストラダムスの予言も、時に過去を振り返るとき、そこに必然性を見出すために使われてきました。
多義的な解釈を可能とする格調高い「四行詩」の形式で描かれているために、「当たった/当たっていない」の判断が難しく、「いや、1999年に地球が終わらなかったのは、予言が間違っていたからではない。後の人々が予言の解釈を間違えていたのだ」と言い出して、後からこじ付けで「やっぱり世界はノストラダムスが予言した通りに動いているのだ」とそこに「法則性」や「秩序」を見出すことが可能です。

この意味では、予言は過去の出来事に対しても拘束力を失いません。

しかし一方で「これはどう足掻いたって外れだろう」という判断が成されてしまえば、過去の出来事に対して、予言は無力です。

この際は歴史の物語性と科学の合理性の方に軍配が上がることでしょう。

では、未来に対してはどうでしょうか?

「自然科学の領域の予言」というものが存在することや、「歴史は繰り返す」という諺があることを考えれば、これらは未来に関しても同様に支配力を持つと考えられます。

実際にノストラダムスの予言詩は、第二次世界大戦中に、ナチスのプロパガンダに利用され、また一方でヒトラーの失脚を予言したものであるとも解釈され、その時代の人々の精神に影響を及ぼしました。

東欧ではソ連の共産主義が崩壊することが予言されていると解釈され、それを待望する人々に希望を与えます。たかが希望、されど希望。希望を持った人々とそうではない人々では、当然のことながら行動にも違いがでてきます。

日本でもオウム真理教の麻原彰晃は仏教経典や新約聖書と同様に、ノストラダムスの予言を自身が救世主であると主張する根拠として引き合いに出していました。
彼の教団が社会に及ぼした影響は計り知れません。

より身近なところでは、アメリカの社会学者マートンが「予言の自己成就」というメカニズムを指摘しています。

コロナ禍において、そもそも買いだめをしなければ不足も発生することはなかったトイレットペーパーを人々が「トイレットペーパーが売り切れる」という予言を信じて買いだめたために実際売り切れた──こうした現象も「予言の自己成就」の一例です。

「予言」が未来に与える影響は計り知れません。
現在において未来の出来事が一切確定しておらず、予言が「的中」しない段階においても、その効力は甚大なのです。

実はこの「力」こそが予言の本質ではないのかと私は見ております。


2021年の予言を400円で売ります


さて、それでは以下で私の販売致します予言の用法・容量をご説明致します。

まず、こんな方におススメです。

・将来に対する漠然とした不安を抱えている
・急速に変化していく世の中に恐怖を覚える
・何もできない怠惰な自分をいつも責めてしまう
・こんなことになったのは全部自分のせいだと思う
・他人が間違った行動をしていると許せない
・こんなことになったのは特定の人物や政党のせいだと思う
・夢も希望もなく、2021年を生きる意味が見つからない
・世界が理路整然としていた方が安心する
・暇
・予言に興味はないけど上の記事が勉強になったので400円くらい払ってあげたい
・今どきこんなにしっかり参考文献を読み込んで記事を書くブロガーも貴重だと思う
・こういう人が評価されるべきなのでこれからも頑張ってほしい。
・迷っていることがあるので指標となる何かがほしい
・2021年は何もいいことがないような気がする
・満月のように満ち足りた人生なので勝って兜の緒を締めたい
・言語に支配された生活を送っている
・人類

初めに警告しておきますが、私の予言は明るいものばかりではありません。

私はこの予言を、不安と恐怖に支配される人々に希望を与えて勇気づけようとか、元気づけようとかいう気持ちで頒布するのではありません。

人類が希望で救われるのなら、星野源の弾き語りでみんな救われてこの世界から戦争はなくなっているわけです。

私の予言を興味本位で見ると、絶望を呪いのように植え付けられて、けして頭から振り払えなくなるかもしれません。
そしてその絶望を回避する方法や助言についても書いてありません。
ただ一つ、あなたが手に入れるのは、「それは予め定められていたことだった」という知覚です。

私の予言はあなたの無秩序な生活とこの世界の全ての偶然を必然に変換します。

私の予言は真実です。

思いだしてほしいのです。冒頭に紹介した『2019年末予言の書』という詩を。
私はあれを「詩的熱狂に駆られて」書いた、と言いました。
これはノストラダムスが『予言集』を書いたときと全く同じ状態です。
この時代、優れた詩人は「とり憑かれたように」詩を書くのが定石とされていました。
詩人が自ら語るのではなく、神が詩人の口を借りて語るのです。

つまり私の言葉は神の言葉も同然です。


まさしく「神託」ということで、少し高級なおみくじと同じくらいの値段を付けておきました。

なおこの予言は価値が上がると価格が高騰しますので今買うのが一番お買い得です。

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2,679字

¥ 400

1本の記事を書くのに大体2000~5000円ほどの参考文献を購入しているので完全に赤字です。助けてください。