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針のない時計 第三話

隠遁生活を送るアルベルト達の元に突如、旧友カインを名乗る人物が現れる。
突然の訪問を不審に思うアルベルト。しかし、彼らしか知らないはずの“ある事”を知っていて……?

針のない時計 第三話

著・大月ゆかな  絵・さあきゅう


 あるところに、魔法が使える職人がいました。
 彼の手から生み出される物は不思議な力を持ち、時には命も吹き込まれました。

「おはよう、職人さん」

 職人と一緒に暮らす人形もそのうちの一つでした。白い肌に赤い唇。透き通るような青い瞳には慈愛が満ちていました。
―――しかし、幸せな時間は一人の男によって壊されてしまいました。

『忘却の人形』の一部より


 ローズの我儘のせいで、紅茶を入れるのが上手くなった気がする。テーブルに焼き立てのパンケーキを並べて席に着く。

「君って昔から器用だったけど、こんなことまでできたなんて。しばらく見ない間に、すっかり変わってしまったね」

 目の前に座るスーツ姿の男は優雅に佇んでいた。
 俺はまじまじと観察するが、何度見ても昔の面影など残っていない。

「お前のほうこそ変わったんじゃないのか、カイン」

 カインは幼少期を共に過ごした数少ない友達の一人だった。しかし、彼とは砂と泥にまみれて過ごした日々の記憶しかないので、正直この紳士姿には不信感を抱く。

「ねえ、アルベルト。そこに隠れている子供は誰かな?」

 カインが指差した先には、ドアを死角にこちらを覗き見るローズがいた。

「妹さんにしては小さいよね」

「……あ、うん。まあな」

 ローズは小さいと言う発言に反論するように身を乗り出す。

「誰がチビよ!」

「これは失礼。可愛らしいレディと呼ぶべきでしたね」

「初めからそう呼びなさい」

 俺は咳をしながら間に入る。

「ローズは妹ではなく、知り合いに頼まれて預かっている子供だ」

 流石に護衛をしていることは言えないので、無難な関係性を述べた。平静を装いつつカインに目をやれば「ふーん、そうなんだ」とあっさり頷く。
 可愛らしいと言われたことで気を良くしたローズは、警戒心を解いて俺の隣に腰をかける。そしてナイフでパンケーキを突きながら口を開く。

「二人は友達なの?」

「友達と言うより、家族に近かったかもしれないな」

「そう思っていてくれて嬉しいよ、アルベルト」

 子供の頃だけの付き合いだったが、あの頃の記憶は鮮やかに彩られていた。思い出すだけで顔がほころびそうになる。

「でもそれは、僕に黙って君が姿を消すまでの話だけどね」

 急に棘を帯びたカインの声に、身体が硬直する。すると頭の中に浮かんでいた思い出が一気に黒く濁ってしまう。
 やはり、怒っているのか。
 鋭い眼差しのカインを目の前に、俺は押し黙ることしかできなかった。
 不穏な空気にローズは尋ねる。

「一体なにがあったの?」

「……それは」

 言葉にしようとしても喉に突っかかってしまい上手く言えない。彼にどんな顔をして話せばいいのかわからない。
 思わず顔を歪ませていると、ふっと気配が和らぐ。

「ごめん、意地悪だったね。もう十数年経ったんだよ。今さらなにを言っても怒らない」

「……カイン」

「僕らの間に、遠慮は必要ないだろ?」

「ああ、そうだったな」

 懐かしき旧友の優しさに、小さく頷く。

「アルベルトの昔話なんて初めて聞くわ」

「言われてみればそうだな。どうせなら、生まれ故郷のことから話しておこうか」

 


 俺が生まれたのは大陸のはずれにあるフィンラルと言う小国だった。豊かな大地と資源に恵まれていて、小さいながらも活気づいていた。
 大陸にはこのような小国がいくつもあり、個々の権力に差はなかった。しかし、長い年月で微々たる差が溝を作り、均衡が崩れてしまう。
 疑心暗鬼になり自らの国を侵されることを恐れた各国は、やがて合併や同盟を結び、大国へと発展させていく。
 フィンラルは豊富な資源があっても、それを精製する技術はまだ発展していなかった。
だから、合併の話が持ち込まれるのは時間の問題だった。

「おい、小僧。手が止まっているぞ」

「……え」

「なんだその態度は。メシ抜きにするぞ」

「うわ、すみません。今すぐやりますからそれは勘弁してください!」

 御頭の野太い声で我に返り、遅れを取り戻すために必死に手を動かす。
 鉱石の採掘所で、子供だった俺は選別した鉱石を運ぶ仕事をしていた。
 決して楽ではなかったが、頑張りに見合った報酬をくれるのでやりがいを感じることはできた。
 ……やっと訪れた休憩時間に木陰で昼食をとっていると、同じ背丈の少年が隣に座り込む。
 仕事仲間であり友達のカインだ。

「やーい、怒られてやんの」

「うるせー」

 カインはひょいと俺の弁当のおかずを盗み食いしながら問いかける。

「……最近上の空だけど、なにかあった?」

 一瞬驚くが、再び弁当に手を伸ばそうとする彼の手を叩く。

「別になんもねーよ。てか自分の弁当を食えよ!」

「えーあれだけじゃ足りないんだもん」

 カインのあざとい笑顔に、俺はため息をつく。
 彼の家は八人兄弟の大家族で、年長者は働きに出るのが家の掟らしい。ご飯の量は八等分のため、足りない分は自分で稼いで食わなければいけなかった。
 それでも成長期の体を満たすことはできず、元々食い意地を張っているのもあって、隙があれば弁当を狙ってくるようになった。

「まあまあ。もうすぐお兄さんになるんだろ? 今度からおやつは二等分。来るべき日の予行練習だと思えばいいじゃん」

「だからってお前食い過ぎなんだよ!」

 カインにこれ以上食べさせまいと、残りのご飯を口いっぱいに掻きこむ。

「あはは、アルベルトってばリスみたい。可愛いー」

「な、可愛いとか言うな!」

 俺はカインを小突こうとするが、彼は飄々と避け、安心したように笑った。

「よしよし元気になったね。じゃあさっさと午後の仕事を終わらせよー」

「……ああ」

 そう言うとカインは背中を向けて仕事場に戻った。

 彼なりの励ましに頬を緩ませながら、晴れ晴れとした空を仰ぐ。

「父さん、見てる?」

 半年前、商人であった父さんが流行り病で亡くなり、俺と身ごもった母さんを残して逝ってしまった。幸い父さんの遺産で十分にメシは食っていけたが、俺にはどうしてもお金が必要だった。
 それは父さんとの約束、官吏になって母さんと赤ちゃんを守るためだった。
 巷では、もうすぐフィンラルは最近力をつけてきたバーセントに合併されると言われている。そのバーセントの官吏になれば、夢は実現する。
 そのための資金を稼ぐため、子供でも働けるこの仕事を選んだ。少年にしては白かった肌は日に焼かれ、土埃で汚れた服からのびる腕はずいぶんたくましくなっていた。
 長い一日が終わり、カインと別れた俺は一目散に家へと向かう。
町のはずれにひっそりと建つ我が家に着くと、今まさに水汲みに向かおうとする母さんがいた。

「お帰りアルベルト」

「はいはい、ただいま。あのな、重いものは持つなって何度も言ってるだろ」

「あら、お母さん力持ちだから平気よ」

「いいから貸して」

 俺が桶をひったくると、母さんは苦笑も漏らす。

「なんだか急に大人になってしまったみたいね。雰囲気も顔つきも、少し変わったんじゃないかしら?」

「……自分じゃよくわからない。ほら、母さんはゆっくり家でくつろいでいて」

 そう言って体の向きを変えると、逃げるように足を速めた。
 井戸はすぐ近くに茂る林の近くにある。桶を中に落し、紐を引きながら口を開く。

「おじさん、また来たの?」

 すると背後から質の良いマントをたなびかせた、灰色の顎鬚が似合う中年の男が現れた。

「私の気配が読めたのか」

「なんとなくね」

 背中越しに息を飲むのがわかった。
 男は髭を撫でながら、満足そうに頷く。

「さすが見込んだだけはあるな」

 俺はちらりと横目で伺いながら淡々と答える。

「返事はもう決まっている。でも赤ちゃんが生まれるまで待ってよ」

 真っすぐと視線を向ければ、大木のように静かにたたずむ男が映る。その立ち姿は無駄のない物腰なのに、どこか殺伐としたような威圧感を放っていた。
 少し前、俺は町のごろつきに喧嘩を吹っ掛けられたことがある。相手は五人で体格にも差があったが、かすり傷を負った程度で勝った。その場面を偶然バーセントから来たこの男に見られてしまった。
 彼は次世代のバーセントの担い手として、俺を官吏として後押しすると言ってくれた。
フィンラルがバーセントになることが確定した今、断る理由などない。
 しかし、母さんと赤ちゃんを置いて家を出ることには引け目を感じていた。

「お前の気持ちはわからんでもない。だが我々はコルセナの女狐には負ける訳にはいかないのだ」

「……おじさん?」

 男は厳格な顔を引き締めながらなにか呟いた。ちょうど木枯らしに邪魔され、全てを聞き取れることはできなかったが、なにか良からぬことがあると感じ取る。

「悪いが状況が変わった」

「え?」

 男の言葉に眩暈がした。俺以外にも見込んでいる候補がいることと、今すぐ返事をしなければ話が無効になってしまうと告げられた。
 もし彼らの背景になにがあったか把握できたのなら、未来は変わっていたかもしれない。
 まだ子供だった俺は、やつれた母、これからの生命、そして自身の未来の行く先を考えるだけでいっぱいだった。

「わかった。その話、承諾するよ」

 その後男と共に家に帰り、母さんと話し合いをした。
 母さんはもちろん反対したが、俺が夢のためだと説得し、お金が支援されると聞くと黙ってしまう。
 苦渋の決断の末、母さんは俺を送り出した。

「そんな顔をしないで。俺が一人前になったらいつでも会えるんだからさ」

 母さんは申し訳なさからか、涙を押し堪えて黙っていた。
 俺はひたすら前を向いて歩き続ける。
 やがて背後から悲痛な嗚咽が聞こえるが、振り向くことはなかった。


「これがあのときの真実だ」

 晴れてバーセントに身を置くことになったが、勉学よりは武術を叩きこまれるほうが多かった。これが後々に特殊訓練を受けた監察官の育成だとわかる。
 監察官をしていたことは他言無用で辞めた身でもあることから、あくまで官吏をしていたとしか話さなかった。
 カインは何度か頷いた後、納得したように口を開く。

「なるほど。君のおばさんが最期まで話したがらなかった理由がようやくわかったよ」

「……そうか」

 彼の言葉に目を伏せる。
 するとローズが恐る恐る俺に聞く。

「最期ってことは、もしかして会えなかったの?」

「ああ。妹が生まれたあとに亡くなったんだ」

 しばらくの間、母さんのことは教えてもらえた。無事に赤ちゃんが生まれ、たくさんの人がそれを祝福してくれたことも。
 しかし、母さんが病で亡くなってしまい、連絡が途切れてしまう。よって妹の行方もわからなくなった。
 念願の官吏になって知ったことがある。俺の勧誘を急かした理由が、隣国のコルセナに張り合うためだったと言うこと。所詮俺も手駒の一部にしか過ぎなかったのだ。
 それでも俺はバーセントに居続けた。

「俺は先のことしか考えていなかった。家族を守るはずが逆に失ってしまった」

 官吏時代はつらいことばかりだった気がする。不正を擦りつけられた苦々しい思い出に、最近になっても時々胸が締めつけられる。
 俺は眉を寄せながら次の言葉を待つカインに向き合い、笑顔を見せる。

「でも楽しかったよ」

 それは悩んだ末に行き着いた答えだった。

「夢を全力で追いかけて実現することは、早々できることじゃない。その中でやりがいのある仕事や気のいい同僚にも出会えた。死にもの狂いでやってきたからこそ、今の俺がいる。まあ、時間が経ったから言えることなんだけどな」

 するとカインは嬉しそうに目を細める。

「君は有意義な時間を過ごしたんだね」

「結局官吏は辞めちまったけど、この生活も悪くはないさ」

 俺はにやりと笑って答えた。
 ここでふとあることに気付く。自分の話ばかりしてきたが、カインのことは全然聞いていないじゃないか。

「それでお前はどうなんだよ。今はなにをしているんだ?」

「僕かい? そうだな……骨董品を売り歩いたり集めたりしているよ」

「外商人ってところか。意外だな」

「趣味の延長みたいなものかな。一般的に有名な品より、表舞台に立てないまま消えた若い職人が創ったものに興味を引かれるんだ」

「……これはまた凡人とは違った感性をお持ちで」

 一瞬、カインがローズの方に視線を向けた気がした。
なんとなく話題を変えようとして、ずっと気になっていたことを口に出す。

「そう言えばどうして俺の住んでいる場所がわかったんだ?」

 俺の家は一般的な住宅街の一角にある。大通りから離れた場所で、人どおりは少なく静かなところだった。

「この仕事をしていれば、色んな場所へ赴けるだろ? もしかしたら君にもう一度会える気がして」

 カインの言い分もわからない訳じゃないが、どこかはぐらかそうとしている感じがして、気に食わない。
 それに彼の仕事に関係あるような骨董屋や商人は、この辺りにはいないはずだ。

「じゃあ、誰から俺のことを聞いたんだ?」

 カインの答えを待っていると、彼は苦笑を漏らす。

「まるでさっきの意地悪の仕返しみたいじゃないか」

 俺はうっと呻き声を出す。その通りだった。
 カインはゆっくりと立ち上がり、窓の向こう側に視線をやる。

「僕はね、ただ純粋に珍しいものが好きなんだ。先ほども言ったけど、特に才能を開花させる前の青い作品に魅力を感じる。最近ではそう、幻と歌われるある職人が創った時計を探している」

「――!」

 次の瞬間、カインはローズを椅子から引きずり出し、右腕に抱えこんだ。左手にはパンケーキの際に出したナイフが握られている。

「離しなさ……」

 カインは抵抗するローズの首元にナイフをやり、言葉を遮る。
 迂闊だった。まさか、カインがローズを狙うなんて。
 俺とカインの間にはテーブルがある。隙を見てそれを飛び越えるかどうするかと、僅かな時間で考える。
 余程強い力で抱えられているのか、ローズは苦しそうに顔を歪ませる。
 早く助けなければ、と身を構えたとき。

「アルベルト。彼女を解放してほしければ、シュナイゼル・オースティンが残したとされる時計を渡してもらおうか!」

「――は?」

 俺は勢い余って前のめりになる。
 いやいやいやいやちょっと待て。
 心の中で思い切り叫ぶ。

「時計(ローズ)ならお前の腕に収まっているだろうが!」

 流石のローズも唖然とした顔をしている。
 目の前の状況がいまいち読み取れない。
 ローズの胸には世にも珍しい針のない時計がある、にも関わらず彼は気づいてはいない。
 俺たちの驚いた顔の意味を勘違いしたのか、カインは満足そうに笑った。

「やはりここにあるのか」

「つまりお前は、その時計とやらを狙って俺に近づいてきたと言うのか」

「そうだよ。君のことはなんでも調べさせてもらった。僕には有力な情報網があるからね。ちょっと妹のことや君の過去について触れれば、僕はカインとして疑われない」

「……まさかお前はカインじゃないのか?」

「僕は時計を狙う泥棒だよ」

 ここで俺は虚を突かれる。彼は親友などではなかったのか。
 目の前の出来事が全て馬鹿馬鹿しくなった。怒りを通り越して呆れる。
 カインではないとわかった今、手加減はしない。情報だけもぎ取ったら、早急にこの茶番を終わらせる。

「……そんなに時計が欲しいか」

「まあね」

 飄々と答える彼に、不敵な笑みを浮かべる。

「俺のことを調べたなら、監察官をしていたことも知っているってことだよな。親友を偽り、ローズを人質に取ったんだ。容赦はしないぞ」

「それ、彼女を取り戻した後に言った方がいい台詞じゃない?」

 互いに睨み合って譲らない。俺は再び態勢を作り、ローズを救おうとする。
 まさに一触即発となるとき、ふいに緩んだ男の腕からローズの叫び声が部屋中に響く。

「もう我慢できないわ!」

 説教口調のローズの迫力は男を慄かせるのに十分だった。

「勘違いしている。貴方の言う時計はね、私のことなのよ!」

「――え?」

 男が素っ頓狂な声を上げた隙に、ローズの腕を引きながら彼と距離を取る。

「なんでバラすんだよ!」

「しょうがないじゃない!」

 俺たちが言い争いを始めても、男は呆然と口を開けていたままだった。
 しばらく様子を窺っていると説明を要求するような目でこちらを見てきたので、押さえ込んで手足を縛る。先ほどとは打って変わって、彼は抵抗する素振りを見せなかった。


「なるほど、これがシュナイゼル・オースティンの時計だったのか」

「おい。もういいだろ変態」

「わかっている」

 カインを名乗った男を捕らえたのはいいが、一目だけ時計を見せてくれとうるさいので、しびれを切らしたローズが左胸の辺りだけ肌を出す。
 紳士の心得はあるようで、あっさりと俺の言うことを聞いた。
 俺たちに背を向けて洋服を整え終えたローズは、訝しげに男を睨む。
 あれほど熱狂的に時計を求めていたのに、正体がわかるとどこか気落ちしたように見えた。
 男が俺の思考を読んだかのように口を開く。

「そうさ、興が覚めたよ。僕が求めていたのは時を刻む時計。人形の心臓に埋まった時計じゃない。しかも針がないなんて」

 その物言いに、ローズはこちらのほうが不貞腐れたいわよと言いたげに鋭い視線を向ける。

「こいつをどうしようか。レイフォードに引き渡すのが一番いいとは思うが」

 ふいに笑顔のレイが浮かぶ。君って僕以外の友達いたんだ、と笑われる可能性がある。
 どう転んでも厄介事にしかならないので悩んでいると、

「稀代の人形師が創った時計だからどんなものかと思ったけど、つまらない時計だったな」

 国の未来を揺るがすかもしれない針のない時計は、この男の美学にとっては大したものではないらしい。

「な、なんですって!」

「シュナイゼル・オースティンはもう十分だね。さて、次は誰の作品を追い求めようか」

 ローズの怒号を静止しながら、俺は男に聞き返す。

「そのシュナイゼル・オースティンって誰だ?」

 彼の言葉から、若き歳で亡くなった才能ある人形師だとわかるが、名前に聞き覚えがなかった。

「ん? ああ、ごく一部の外商しか知らない幻の職人だよ。彼が生み出す作品はそれはもう美しく、不思議な力を宿すと言われている。だから僕はてっきり時空を超越するような代物だと思っていたよ」

「期待に添えなくて悪かったわね」

「それで、他にシュナイゼルのことについて知らないのか?」

 すると男は悪戯を思いついた少年のような顔をする。

「そうだ、取引をしようか」

「この期に及んでなんだよ」

 今まで男が捕まっていたのは演技だった。手首を軽くひねると、あっと言う間に縛っていた紐を解く。彼は胸の内ポケットから一枚の紙を取り出し、俺に向かって投げる。
 反射的に受け取れば、いくつかの英数字が綴られていた。その右下には『黒い矢』と書かれている。

「確か『黒い矢』は喫茶店の名前だったと思うが」

「表向きはね。最近では裏世界で情報屋としても活躍しているよ。このコードがあればどんな難解な情報でも一度だけ教えてくれる。君たちにとって有益なものになるだろう」

 手のひらを返したような態度に目を疑う。

「どうしてこれを俺たちに」

「だって散々君たちを騙して脅した挙句、お目当てのものがなくて撃沈だけじゃ格好悪いだろう?」

「……一応その自覚はあったのね」

 ローズの言葉を笑ってのけた男は、玄関のドアノブに手をかける。

「そろそろ僕はお暇するよ。お騒がせして悪かったね」

 帽子を取って丁寧にお辞儀をする姿に、苦笑を漏らす。

「まったくだ」

「さらばだ。もう二度と会うことのない友よ」

 そう言って、男は颯爽と姿を消した。


「一体なにしにきたのかしら」

「さあな」

 俺がその後ろ姿を眺めているのを不思議に思ったのか、彼女は首を傾げる。

「本当に、あの人はカインじゃなかったの?」

「……」

 もしかしたら、あれは本物の親友だったのかもしれない。
 俺が自分の夢を掴みに国を出たように、彼にもなにか転機があったのだろう。詮索するのは野暮だが、たとえ堂々とカインと名乗ることができないことをしていても、元気でいてくれればそれでいい。
 俺は紙に書かれたコードを優しくなぞる。

「じゃあな、親友」

 記憶の中のカイン、ふらりと現れたカイン。
 その両方に別れを告げる。
 彼の言葉どおり、俺たちが再び会うことはない。
 ただ、カインとの思い出だけは、いつまでも色づき続ける。

 

続く

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『針のない時計』 著・大月ゆかな / 絵・さあきゅう

担当編集:齊藤

編集・日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT

※第四話は、1/25発刊2月号に掲載予定です

2015秋作品人気投票はこちら! → https://questant.jp/q/OL3BEMUR

この作品を全部読む → https://note.mu/kmit_kemmy/m/m9dd0e00131fb

この作品が載っている雑誌を読む → https://note.mu/kmit_kemmy/m/m44e60fcb280d

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