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ほかの書き手さんのnote記事で面白かったもの。 その記事に対する私の感想記事も。
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#小説

*0-1 プロローグ前編

 ドイツに来たばかりの頃の感動と困惑はいつの間にか日常の中に溶け込みすっかり原形を失っていた。本場のビールだ、本場のソーセージだと闇雲に祭り上げて味わっていた食物は、仕事終わりの疲れた体に取り込んで翌日のエネルギーに変換させるだけの単なる燃料になってしまったし、ただその辺を歩くだけなのにまるで映画の中にいるかのように思われた美しき景観にわざわざ足を止めて見入る事も無くなってしまった。    しかし時として、本場のソーセージやビールを堪能出来ている事や、歴史を感じる石造りの街並

【他者の記事の感想】まるで善意に満ちた催眠術だ。

小牧幸助氏の『ため息はシャボン玉に』という小説作品が良かったので紹介したいと思います。 まずその記事はこちら。 noteというプラットフォームで創作物を無理なく読ませるとしたらやはりこのくらいの文章量になるのでしょうか。 ほかのクリエイターの方も含め、ショートショートを発表される方は少なくないようです。 その中で小牧幸助氏の本作は、二人称を用いた文体が目を引きました。 小説の文体としては珍しい部類に入る二人称ですが、本作では二人称が非常によく利いていると思います。 〈あ

小説|ため息はシャボン玉に

 バスで家へ帰っているとき、あなたはため息をつきました。窓の外を流れる街は夕焼けでオレンジ色に染まっています。きれいに見えてもよいはずの景色を、眺めるともなく眺めながら、もう一度ため息をつきました。 「次は、ずっと前。ずっと前です」と運転手さんのアナウンスが車内に響きます。聞き間違いかと思い、あなたは電光掲示板に目をやりました。たしかに「ずっと前」と表示されています。思わず、降車ボタンを押しました。  バスから降りると、バス停のベンチに子どもが座っています。顔に見覚えがあ

小説の書きかた入門書の入門

 編集という仕事柄、いわゆる「文章読本」「小説の書きかた」の類の実用書を読むことがある。  読んだからといって一朝一夕に傑作が書けるようになるわけではないし、枠にとらわれない斬新な小説をこそ版元も――そしてなにより読者も求めているわけだが、とはいえ体系化された方法論を学ぶことは、小説を書こうと志す者にとって有益であるのは間違いない。たとえ既に頭で理解している知識、実際に身につけている技能であっても、改めて復習し直す機会となるであろうし、看過していた新たな発見があるかもしれない