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2021年7月の記事一覧

【覚書】自己嫌悪と自己反省とこれから

私は大人としてあるまじき行いをした。

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「真実」を自分の中で「虚構」に変えて言葉にする。

私がライターとして仕事の文章を書く時に心がけていること、信条としていることが2つある。 1.消しゴムで書け これはライターになる前に、元新聞記者だという方に教わった言葉だ。 ペンじゃなく消しゴムで書く? 頭に「???」が浮かびそうな言葉だが、たとえば1000字の原稿を書く時に、1000字分の情報を集めて文字を埋めていくのではなく、それよりもっと多くの情報を取材で集めて、不必要なものを削っていく、ということだ。 集めた情報はどれも大事だと思っても、その中で取捨選択をする

エッセイ 『平べえ』

 小学校二年生、という言葉の響きが、いまもどこかヒマワリのように明るく、楽しい時代のように私の心で弾むのは、そこに平べえがいたからだった。  あれから三十年以上も経った、この場所から振り返るとそれがとてもよく分かる。平べえのことが、私は好きだった。親にも見せたことのない、支離滅裂な絵本を「見てもいいよ」と渡したのも、まるで友達のように話しかけたのも、そしていまでもその分厚い眼鏡の奥の小さな目を、焼けた肌の色を、男の人にしては少し高めの声をありありと思い出すことができるのも、

詩は«ヴィジョン»である

私は«詩人»を名乗るほど、自惚れるつもりはないが、職業として詩を書いている人々の作品に、まともに「詩」が成立しているのか?… 例えば某詩誌は「ここに掲載されているのは詩です」と宣言しているワケである。 しかし所詮「プロが判断しています」というだけのことであって、そのロジックや判断の成立根拠を問われるところでは、限界に突きあたるのである。そもそも「プロ達」においてすらも、何が優れた詩であるのかの意見が違う。 このような「体制」に反旗を翻し、より「民主主義的」に何が詩かを決め