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エッセイ 『平べえ』

 小学校二年生、という言葉の響きが、いまもどこかヒマワリのように明るく、楽しい時代のように私の心で弾むのは、そこに平べえがいたからだった。

 あれから三十年以上も経った、この場所から振り返るとそれがとてもよく分かる。平べえのことが、私は好きだった。親にも見せたことのない、支離滅裂な絵本を「見てもいいよ」と渡したのも、まるで友達のように話しかけたのも、そしていまでもその分厚い眼鏡の奥の小さな目を、焼けた肌の色を、男の人にしては少し高めの声をありありと思い出すことができるのも、あのときの私が無邪気な信頼を彼においていたからに違いない。

 それは引っ込み思案な私にとって、とても珍しいことだった。そして、その後の人生においても、得難いことだった。けれど、彼は私を──私たちを深く傷つけたまま、去っていった。彼、平べえは、私たち二年三組の担任の先生だった。

 なぜこんなにも鮮明に覚えているのだろう。四月の始業式、体育館で背の順に並ばされた私たちの視線は、新任の先生たちに集中していた。組み分けは一年生からの持ち上がりで、私たちは三組、それは分かっていたけれど、担任の先生は決まっていなかった。

 平べえは、新卒の先生だった。他の新任の先生たちに混じって、より緊張した面持ちで壇上に立っていた。「あの先生だったら、やだな」。平べえを見た私は、密かにそう思っていた。男の先生は苦手だし、分厚い眼鏡は頑固そうだったし、お世辞にも優しそうじゃなかった。彼が担任だと知ったとき、私はとてもがっかりした。それはクラスメイトも同じだった。「あのとき、絶対ハズレだって思ったよね」。しかし、ひと月もすると、クラスの全員が口々にそう言うようになった。みんな、平べえのことをすっかり気に入ってしまったから。

 まず、平べえのやり方は面白かった。ダントツに好きだったのは、九九を暗記するために、例えば今週は「2の段」の表を教室の外に貼り出し、それを唱えてからでないと教室に入れないというルールを作ったことだ。これはみんな気に入って、わあわあ騒ぎながら楽しく九九を覚えてしまった。

 それから、平べえは時間割を調節して、校庭の空いているときにはドッヂボールをさせてくれた。多分、学級会(レクリエーション)の時間を校庭の空き時間に移動させ、本来、その時間でやるはずだった教科を校庭の埋まっている時間に移すという、柔軟なことをしていたのだと思う。レクの時間はみんなが校庭を使いたいので、なかなかやりたいことができないのだ。

 また、平べえは先生と呼ばなくても怒らなかった。それが子供達と先生の間の垣根を取っ払ったのだろう。平べえ、平べえ、みんなが「先生」も付けずにそう呼んで、休み時間も彼の周りに群がった。もちろん、気の強い子達が一番輪の内側に行ってしまうので、私は外側で見ているだけだった。けれど、そういう子達に対しても、平べえは視線をまっすぐに合わせてくれた。誰もが知っていることだが、先生というのはみんな贔屓する。目立つ子達には優しいけれど、隅っこにいるような子には目もくれない。

 でも、平べえは違った──ような気がする。少なくとも、私が一年生のとき、それから三年生から再び感じた、誰かを特別視したり、仲間はずれにしたり、笑い者にしたり、そんなことをしなかった。平べえは、みんなの平べえだった。けれど、だからといって平べえは、子供達に舐められているというわけではなかった。

 平べえは、厳しかった。特に漢字の採点が厳しかった。定期的に行われる漢字の小テストで、私はびっくりするほど低い点を取った。けれど、それはクラスのみんなそうだった。「とめ、はね、はらい」。少しでもできていないと、容赦なくバツにされた。私の母はその採点を見て「いい先生だね」と言った。当時は嫌なだけだったが、いまならその意味がよく分かる。厳しい採点は、大変な仕事だ。

 二年生があっという間に過ぎると、私たちは当然のように「次の担任も平べえがいいな」と言い合った。三年生になると、クラス替えがある。だから、クラスメイトは変わってしまうけれど、担任は持ち上がりの場合が多い。

 三年生の新担任が発表されたのは、今度は体育館ではなく、廊下の広い一部分だった。そこに私たちは座って、そこに当たり前のようにいる平べえに熱い視線を送っていた。私は一組だった。平べえは二組だった。二組の子達は発表の瞬間、歓声を上げた。それがピタリと静まったのは、担任挨拶のときだった。

「おはようございます」

 平べえの声は何だかのっぺりして、元気がなかった。どうしたのかな、私たちは心配した。しかし、御構い無しに平べえはこう続けた。

「みなさんも、今日から三年生です。三年生のお兄さんお姉さんになったので、先生のことも『平べえ』と呼ぶのは辞めてください。ちゃんと先生と呼んでください」

 有無を言わさぬ口調だった。気圧されて、私の頭は真っ白になった。どうしちゃったの、平べえ。どうして──。

「なんで、平べえって呼んじゃダメなの?」

 誰かが聞いた。

「何でも、です」

 平べえは言った。その顔には、表情らしい表情がなかった。ロボットみたい、私は思った。平べえ、ロボットになっちゃったみたい。

 平べえはそれから宣言通り、子供達に決して「平べえ」とは呼ばせなくなった。漢字テストは相変わらずだったけれど、時間割を変更してドッヂボールはやらなくなったし、休み時間も子供たちとは一線を引くようになった。

「多分、他の先生に怒られたんだよ」

 そう言ったのは友達だっただろうか。顛末を聞いた親だっただろうか。

「あんまり他と違うことをしてると、嫌な先生も多いんだよ」

 そうかもしれない。きっと、他の先生が平べえの人気に嫉妬したんだ。自分が面白い授業ができないからって、平べえにもするなって言ったんだ。だから、平べえは、いまも本当は平べえなんだけど、だけどあんな風に、ロボットみたいにならなきゃいけなくなっちゃったんだ。もう前みたいに仲良く遊んでくれないんだ──。

 それが本当だったかは分からない。いまとなっては、別の事情も思いつく。例えば、新任の先生が最初の一年を頑張りすぎてしまっただけだった、とか、誰かの親からクレームが入ったとか。真相は闇の中だ。

 平べえではなくなった平べえを、私はその後も遠くから見ていた。ロボットみたいに表情をなくし、子供に笑いかけることさえせずに廊下を歩く「先生」を。「平べえ、ハズレだったな」という隣のクラスの囁きを。

 平べえは三年の担任を終えると、次は再び二年生の担任となり、私たちと会う機会も減ってしまった。一年経ってショックも薄れ、私も平べえのことを忘れていった。そんなある日、二年生の教室を通りかかると、そこには九九の表が貼ってあった。「九九を唱えてから教室に入ろう!」。私はしばし足を止め、だいぶ簡素になった表を眺めた。それから──足早に歩き去った。かつての表があっても、平べえはもういない。さよなら、平べえ。恨むわけではないけれど、私の心にはまだ傷が残っていて、私は時折、思い出したようにこうしてその傷を撫でるのだ。


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