見出し画像

『Local Natural Environment』を伝え・考える Vol.2


今回は、山の投稿ではなく海についての投稿です。
僕の移住した宮崎県宮崎市は、綺麗な水、いい波のある南国宮崎です。
ぼくが移住したのは、約20年前ですかね。そのころ兵庫県からサーフィン目的で休暇のたびに宮崎にサーフィンをしに来ていました。数回、観光できたのち移住を決意してからは、移住準備として朝イチ海に入りお昼前から、アパート探し、職安にも言ったような記憶があります。
確かに、縁もゆかりもない土地への移住には不安があったのは確かです。しかし、午後の時間に不安になり、めんどくさくなっても、翌朝の海のある生活を経験すると、海のない生活は考えられなくなりました。
そんなこんなで、今の安定した仕事と海と山のある生活を手に入れていますが、改めて、環境について近頃考えます。

前回、上記の記事で書かせていただいたように、山の環境変化はあまり人目に見られず進行しています。しかも、リアルにありのままに人目につかない状況なので、放置状態です。
それに対し海の環境変化は、絶えず人の目にさらされ『都市計画』というオブラートに包まれて、
カッコよく?
スタイリッシュなアーバンスタイル?
巨額の資金の巣?
これが自然?
と言いたくなるような変化の仕方です。
よくわからない表現ですが、要は、木を植え、芝を張り、コンクリートとアスファルトで覆っている海岸線が現状です。

人工的な自然公園


ここから航空写真をもって宮崎港の遍歴をご紹介させていただきます。

1960年の宮崎港

1960年代の写真です


1960年代の写真の説明

大淀川の河口が大きく、河口を塞ぐほどの砂が堆積しております。これは一級河川の大淀川にダム、砂防が少なく山や上流からの砂が多く流されてきていることがわかります。また、海沿いには多くの田畑が広がり、地盤の強度が期待できないことも容易に推察できます。

1970年の宮崎港

1970年代の写真です

1970年代の写真の説明
写真もカラーになりわかりやすい。河川、河口の状況は、大きな変化はまだありません。ただ、護岸工事が始まり川の形を人がコントロールしだしていることがわかります。例えば、水の出口を不自然に海に注いでいます。このころから河口付近にテトラポットの投入が始まっています。街も大淀川河口北側ぎりぎりまで道路が取り付けられ建築物も多く確認できます。

2010年の宮崎港

2010年の写真です

2010年の写真の説明
ここで市街地の建築も落ち着き、宮崎港が1990年ごろ現状に完成したようです。

もともとこちらが水の出入り口でした

一ッ葉海岸からの砂丘をぶった切り宮崎の新しい港ができております。この工事は、1969年ごろから着手されたといわれています。他県に比べれば、宮崎県は砂浜の多いほうなのかもしれませんが、写真からは、自然の砂浜はほぼ皆無となっています。中央の大きな細長い防波堤は、宮崎港に船舶が侵入できるように大きく北東方向に開かれれいます。

クルーズ船は入港できず、フェリーまで。


ここで一つ自然の摂理が写真にも明確に映っています。宮崎港は、大型船を入港できるよう設計されていましたが、人工的に港の入り口を北東向きに造りました。海の底の色をご覧ください。砂が堆積し始めています。今でも毎年巨額を投入し砂の終わりのない浚渫(しゅんせつ)工事を発注しています。

永遠と港入口に堆積する砂を取るお仕事



当初の写真をご覧いただくとわかるように、砂の自然堆積は大淀川から北になります。この摂理を巨額を投入し、利便性のいい形状の港を作ったところで変えれるわけがありません。数万年も自然の砂の堆積状況ですから、砂の堆積事情を人工的に変えることはできません。
ここで地形図を確認してみます。

やはり宮崎港は砂の堆積場所です。

現在の宮崎港

現代の写真です

現在の宮崎市内は、合理的な住みよい環境が完成しつつあります。基本となるのは、大淀川。川があり、橋があり都心部に比べれば断然自然のある街です。しかも、温暖な環境と、綺麗な海もあります。

青空と青い海

これ以上、人の手を加えずに後世にこのぐらいの自然環境を残していく『都市計画』であってほしいものです。普段の生活で目にできるものは、うわべだけのことが多いと思います。もっと自然に生かされていることを知り、本当の意味の【持続可能な開発】が必要なのではないでしょうか。

半分人工的な、何時ものサーフポイント

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?