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透明な力

『透明な力』木村達雄 講談社 1995年3月刊

副題には「不世出の武術家 佐川幸義」、帯には「現代の五輪書」と記されている通り、1998年に95歳で亡くなられた武術家、佐川幸義師範の技とその生涯が綴られた書物となります。

透明な力とは佐川師範の武術の特徴の一つであり、「合気」と呼ばれる敵の力を抜いてしまう人体の内部操作技術とされています。

師範が伝える大東流合気柔術は世間でよく知られている合気道と呼ばれる武道の源流とされており、合気道との共通点はあるものの、本書を読むと、別の武術と考えた方がよいのかと感じました。

合気道が語られる時によく引き合いに出される「愛」や「和合」の精神は本書には全くといってなく、「どの様にすれば人は強くなれるのか」「どの様な鍛錬を積めば相手を倒せるのか」といった武への執念といったものが滾々(こんこん)と記されていたからでした。

「体が弱ったと思った時は普通よりたくさん激しい運動をやるのだ。そうすると元気になるが、そういう時やらないと一段と体力が落ちていく。体力が落ちれば頭脳も弱っていく」と語り、87歳を超え、心筋梗塞を患い、入院した後も稽古を続けたそうです。

90歳の頃、その再検査の際、医師から心電図を測る前の軽い運動を依頼された所、すぐさま腕立て伏せを150回程、行ってしまい、医師を唖然とさせたそうです。

それ以上に驚くべきことが、90歳を超えてなお、その透明な力を使い、多くの門弟たちを投げ飛ばし、圧倒的な実力を見せつけていたとのことでした。

私が本書を手に取った頃は、K-1やPRIDEなどの格闘技の興行が全盛の時期でもあり、ご多分に漏れず、街の道場に通い、当時流行りの総合格闘技やブラジリアン柔術を習っていまいした。

そんな自分からすると合気道やそれに類する古流の伝統武術は、なんとも弱弱しく感じられ、また、うさん臭さも垣間見え、強さという観点においてはあまり信用を置いておりませんでした。

しかし、それを一変させる衝撃の出会いがありました。

塩田剛三という合気道家のビデオでした。

その映像には、身長154cm、体重46kgと極めて小柄な体格のおじいさんが数名の若者、大男を一人で翻弄し、倒していく姿が収められていたのです。

また、自分が知っている合気道とは異なり、投げと言うよりも、プロレスでいうラリアットや突きを驚くほど速いタイミングで繰り出し、組みかかる男たちを圧倒していったのでした。(これらの映像は現在、YouTubeで確認できます)

のちのち調べてみると、この塩田剛三の道場には全盛期のマイク・タイソンが訪ねてきていたり、あの伝説の柔道家である木村政彦に学生時代、腕相撲で勝利したエピソードもあることを知り、驚愕しました。

以来、自分の伝統武術を見る目は変わり、逆に伝統武術といったものは果たしてどの様なものであるのか、次第に研究するようになっていきました。

勿論、伝統武術の世界も玉石混交の世界であり、塩田剛三師範の様に凄みを感じる達人もいれば、なんだかうさん臭い輩もたくさんおり、最終的にはどの様な武術、格闘技であれ、それをやる人が全てで、流派や種目ではないだなという結論に至りました。

そんな中、出会ったのが本書『透明な力』です。

この書を書いた佐川師範の門弟でもある木村達雄氏は、東京大学の数学科を卒業後、海外の大学でも教鞭をとり、数学だけでなく、学生時代から嗜んでいた合気道も数百人に指導してきたそうです。

しかし、外国人の桁外れな体格とパワーに限界を感じることもあり、本物の武術を探し歩いた末、佐川師範に出会い、その教えを乞うにいたったとのことでした。

本書は佐川道場での稽古の際に発された師範の言葉を木村氏が書き留めたメモをもとに構成されています。

その中でも特に印象に残ったメモを紹介させて頂きます。

「特訓なんて何にもならない。毎日毎日一生鍛え続けるのだ。それが修行というものだ」

「さわっただで人を飛ばすようなのは誰もやっていなかった。やはり常に考えていることが大切だ。そうしないと考えも出てこない」

「あんた(筆者)も数学をいつも考え続けていると、もっと良い仕事ができるよ。いつもいつも考え続けることが秘訣だ。みんなうまくならなし、強くならないのは結局考えていないからだ。稽古と稽古の間ですっかり忘れているでしょう。その間でもずっと考え続けていれば良いんだけどね。生活と一体になっていなければならない」

「倒せなかった時私は寝ないでもどうやったら良いか解決するまで考え続けた。あんたらはその場限りだ」

「頭を使って工夫しなければいけない。今までやっていても良くないと思ったら捨てる。こだわってはいけない」

「体を鍛え続けると体が変わってきて新しい考え方が出てくる」

「いちいち決心してからやるという人は精神力が弱いということだ」

佐川師範より、かなり厳しい言葉を筆者である木村氏はもらっていたであろうことが推察できますが、筆者の師への敬慕の念が行間から滲み出ており、その子弟の紐帯には心打たれます。

また、受け継ぐことはできないといわれ、実際に誰も使うことができなかった透明な力を佐川師範亡き後、門弟の中、ついに再現できたのが、この木村氏だったと後からききました。

残念ながら映像などは残されておらず、透明な力なるものを直接、目にすることはできませんでしたが、稽古を通じての、この師弟の対話からは、大いに得るものがあり、武術に限らず、自身の仕事や考え方、生き方にまで影響を与えてくれました。

何かを探求している方、求めてやまない方の参考の書となれば幸いです。

透き通る力のあとの血と汗と涙の道を我も進まん




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