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江戸の読書会

『江戸の読書会~会読の思想史』前田勉 

本書を手に取ったきっかけは、明治期の日本に何故、あれだけのひとかどの人物・偉人たちが存在したのかという長年の疑問を解き明かしてくれるのではないかと思ったからだ。

大正、昭和、平成と時代を経るにつれて、日本には小者(こもの)たちの姿がより目立つようになり、大物(おおもの)、人物の姿はめっきり減っていった。

明治から昭和初期の教育方法と戦後の教育は大きく異なり、そのあたりに日本人劣化の要因が隠されているところまでは分かっていた。

明治期から昭和初期の教育方法のベースとなったのが、江戸時代の教育方法であるのは間違いないのだが、その江戸時代の教育方法がいまいちよくわからなかった。

江戸時代の教育機関といえば、まずは寺子屋を想像するのだが、「読み・書き・そろばん」で明治期に、天才たちをなぜ、あれだけ量産できたのかという疑念がつねにあった。

しかし、江戸期の教育機関に寺子屋の他に、エリート養成の教育機関、藩校があったということを知り、その疑念は氷解した。

「会読」はその藩校で行われていた学習方法、読書会であった。

本書では、第一章「会読の形態と原理」第二章「会読の創始」第三章「蘭学と国学」第四章「藩校と私塾」第五章「会読の変貌」第六章「会読の終焉」から成っている。

本書によると、会読は他社と議論する自己修養の場でもあり、西洋の書物を共同で読み解き、翻訳する探究の場でもあったらしい。

寺子屋で行われていた「読み・書き・そろばん」と、この会読は別物で、読み・書きの習得を終えた、知的エリートたちが競って行うリベラルアーツが「会読」であると自分の中では理解している。

身分制社会の中では、極めて特異な自由で平等な発言が許され、そこで培われた経験と精神はのちの自由民権運動の学習結社の発足にまで及んだという。

また、吉田松陰での松下村塾においても「会読」は中心的な位置を占め、多くの幕末の志士たちを発奮したようだ。

この会読を通じて、明治期の偉人・天才たちは誕生していったのだ。

ならば、小人(しょうじん)あまねく現代において、この「会読」を復活させない手はない。

とくに明日の未来を拓く若者たちにこの「会読」を伝えていかねばならないと思うのは自分だけであろうか。

現在、吉田松陰の記した『講孟余話』(旧名講孟剳記)を読み進めている。

吉田松陰の会読の軌跡が記されているのだが、これがたまらん。

獄中からの講義録でもあるのだが、松陰先生、謹んで学ばせて頂きます。

「人と生まれて人の道を知らず。臣と生まれて臣の道を知らず。子と生まれてこの道を知らず。士と生まれて士の道を知らず。豈に恥づべきの至りならずや。若し是を恥るの心あらば、書を読み、道を学ぶのほか術あることなし」

吉田松陰


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