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原初生命体としての人間

『原初生命体としての人間』 野口三千三(みちぞう) 岩波書店1972年9月刊

本書の著者である野口三千三は東京芸術大学の体育の専任教授として長年、学生の指導に当たり、のちに独自の身体観に基づく体操教室を主宰し、演劇・音楽・哲学など多岐にわたる分野に影響を与えた人物です。

その野口三千三の身体論が記されているのが、本書となっております。

本書に記されている著者の身体論は従来の生物学や解剖学の理論とはかけ離れており、奇異に感じる方も多くいるかと思われますが、すべて著者の体感、経験に基づく言葉で綴られており、読む人へリアリティと説得力をもって語りかけます。

たとえば「からだはの主体は、脳ではなく、体液である」や「生きている人間のからだ、それは皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱいに入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ」といった主張が本書ではいたる所に記述されています。

これだけで読むと「?」だと思いますが、著者の実体験に基づく解説と実例と共に読んでいくと、さもありなんと思えてくるのです。

また、本書は身体論だけにとどまらず、独自の進化論、言語論にまで、その考えは及び、スケールが非常に大きくなっていくのですが、あくまで著者は自己のからだの実感に基づく平易でわかりやすい言葉で論じているため、難解さは全くありません。

しかし、「野口体操」と呼ばれる野口独自の体操法のガイドではないため、実用性を求める人にはあまりお勧めしません。

身体論をベースにした思想書、哲学書といってもよいかもしれません。

記されている各論のほとんどが著者の仮説のため、全て科学的な論拠に基づいたものではありませんが、自分にとってはダーウィンの進化論以上に魅力的な内容として読み進められました。

ちなみに進化論を記したチャールズ・ダーウィンは生物学者ではなく、本業は地質学者だったそうです。DNAの二重螺旋構造の発見者、フランシス・クリックも元は物理学者でした。

偉大な発見やイノベーションは他分野からの知見がいきてくることが往々にしてあることからも、いち体育教師の記した本書が本業の生物学者たちにはどの様に映ったのか大変、気になる所でもありました。

なお、本書には多く記されておりませんが、著者が指導していた「野口体操」なるものですが、重力や対象に対して、筋力によって身体をコントールしていく従来の体操とは異なり、脱力して体を動かし、自身の重さを利用し、無理なく力や素早さを引き出すことを主とする体操となっています。

一説によると戦時中、優秀な体育教官として多くの生徒を筋骨隆々に育てあげ、戦地へと送り出した慚愧の念から生まれたともいわれています。

興味のある方は動画、DVD等も多数あるので、その動きを実際に確認することもできます。

本書、ハウツー本でもなく、すぐに何かの役にたつ内容ではありませんが、自己の生命、肉体、それが生み出す思考、言語、感受性、生きてい行くうえで必要不可欠なものの成り立ちを振り返り、考えるきっかけとなる良書です。

「素粒子や素領域の研究が、宇宙の根源を探る手がかりになることを疑う者は少ない。が、一人の人間の中身を探ることが、宇宙を探る手がかりとなることを信ずる者が何人いるだろうか」 野口三千三






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