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明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか

『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』大島幹雄 

本書のストーリーは、崩壊寸前のソ連で著者が入手したサーカスの写真からスタートします。

その写真は革命前のロシアにやってきた日本のサーカス芸人が大活躍した証であると同時に、その後の彼らの行く末がどの様なものであったのか、著者に大きな謎も残します。

本書は明治期に海を渡り、異国の地でそれぞれの芸を頼りに生き抜いたサーカス芸人たちの足跡を追ったノンフィクションです。

その足跡は、日露戦争、第一次世界大戦、ロシア革命、スターリンによる大粛清と歴史の波に翻弄されたものであり、幸せなものであったとは一概に言えるものではありませんでしたが、日本人のサーカスの技術の高さは海外の人々の度肝を抜くほどであり、マネの出来ないレベルの演目が数多くあったようです。

著者が手に入れた写真にも写されていたジャグリングをしている「タカシマ」と呼ばれた日本人男性は、現在も世界中のジャグラーたちから崇拝されている伝説的ジャグラー、エンリコ・ラステリをして、世界最高のジャグラーといわせしめ、若き日のエンリコ・ラステリは「タカシマ」の技術に魅せられ、虜となり、その技術をわがものとするために修行に励んだそうです。

一世を風靡したサーカス芸人の中には、帰国せず、結婚し、その地にとどまった者も少なからずいたようでしたが、その後の彼らとその家族の運命は悲惨の一言に尽きました。

ある者は日本からのスパイの嫌疑がかけられ、逮捕の後、処刑され、また、ある者はスターリン政権時に粛清の対象となり、帰らぬ人となりました。

残された家族もその後、かなり肩身の狭い思いをしたようで、その苦労が偲ばれます。

しかし、そんな中、あるサーカス芸人一家は国家により粛清された父亡きあと、凄い芸を作ればいつか自分たちにも日があたると信じ、毎日のように猛練習に励んだそうです。

その結果、ついに編み出された技が「究極のバランス」と題され、サーカス史上最高峰の技とよばれる奇跡のバランス芸でした。

演者の1人が7メートルのパーチと呼ばれる棒の上で倒立をし、もう一人がそのパーチを額の上で支え、ハシゴを昇っていきます。そのハシゴの上には綱がかかっており、そこを命綱なしで、額でパーチを支えながら渡ってゆくのです。そして、その綱の上ではさらに・・・

著者はサーカスの演目の「綱渡り」「アクロバット」「パーチアクト(棒技)」をすべて合成した究極の芸と語っていました。

長年、サーカスのプロモーターとしても活躍してきた著者ですら、写真で見ただけなのに鳥肌がたち、現代サーカスでは考えられれない高度な技術を必要とする幻の技であると嘆息していました。

私自身、生のサーカスを見たことは一度もないのですが、サーカスという言葉が昔から何故か大好きで、サーカスという存在にある種の憧憬の念を抱いて生きてきました。

しかし、憧れの念は強くあるのですが、そのショーを是が非でも見に行ってみたいという気持ちには不思議となりませんでした。

その理由が本書を読み終わり、ようやく分かりました。

私はサーカスのショーに惹かれていたというよりも、サーカスやそのサーカス芸人たちが持つ自由な空気に強い憧れを感じていたということです。

己を芸を一つ、体一つで海を越え、国境を越え、彷徨する自由な精神をサーカスが具現化していたのだと。

そして、その自由には歓びがあり、哀しみが伴うということにも。

本書のエピローグに印象的なエピソードが添えられており、そこにはこんな記載がありました。

「シベリアの荒野に立ち並ぶバラックの屋根へ、地面からロープが張られる。傾斜がつけられたロープの上を、ひとりの男が軽やかに歩いていく。落ちそうになって悲鳴をあげたり、登っていたのがまた下がったりして笑いを誘いながら、男は軽やかに屋根を目指して歩いていく。抜けるような青い空に向けて、男はロープの上を登っていく。屋根が終着点であったはずなのだが、男はまだまだ登っていく。そのロープは空の真ん中へ懸けられたものなのだろうか、男はどんどんのぼっていく・・・・・・・」

この続きは是非、本書で確かめてもらえればと思います。

今後、実際にサーカスを見る機会があるのか、ないのか分かりませんが、荒野に懸けられた空の真ん中へむかうロープ、探していきてえなと思った次第です。

「この石がなんのためにここにあるのか、ぼくらにはわからない。でも、なにかのためにあるんだよ。神様だけが知っている」
イル・マット( フェデリコ・フェリーニ「道」)








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