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真面目すぎた、自由に生きる

「○○君は、真面目ですね」

「○○さんは真面目だから」

学生の頃や社会人になった時に良く言われた。

「真面目(まじめ)」

とは。

私の中で、「真面目」は人間性にとても大切なもの。また、周囲の人達にも好印象を与える。

そんな作用もあり、「真面目」は自分にとっても誇れるものとなった。

自分を表現するひとつだった。
(ポジションのひとつ)


そもそもは

親、友達、先生、他人からの期待からその様になった。

他人の目が気になっていた。



私は最近、

自分にとっての幸せとは?

どのような状態が幸せなのか?

自分がやりたいことは?

自分がやりたくないことは?

と、良く考えている。(以前より)

とくに日本人は働き過ぎで自分自身と向き合う時間を作ることが出来ない。

そうなると結果として「幸福度」が低下する。


ネット調べより↓

日本は、2020年は62位、2021年は56位、そして2022年は54位と着実に順位を上げています。コロナ禍において順位が上がっているのは、人々の生活が恵まれている幸福な国と考えられます。一方で、先進諸国の中では最低順位となっており、残念な結果でもあります。


youtubeのタロサック(海外英語)インタビューより↓

私は7:37からの2組目のインタビューが好きです。

「いつだって人生を出来る限り自由に生きてきたよ、それが最大の功績だし、僕らが生きる人生こそが芸術だよ」

「自分の直感を信じて自分の夢を生きないとね、だって自分の夢を生きない人生なんて、悪夢でしかないよ」

「自分は自分じゃん」


自由に生きる人生を、功績、と思える思考・感覚が好きです。


日本人の全員とは言わないが、
自分の人生について「真面目」に考えていない。

日本の社会構造が、わざとその様に仕向けている、とも思える。(また別の話題)

そう、真面目は他人に使うものではなくて、自分自身の為に使うもの。


自由に生きる!

好き放題にわがままに行動してもいい!

たまに人に迷惑をかけてもいい!

と、私は思う。

それが、自分にとって

納得のいく、人生となるのであれば。


責任は?となるとまた話は難しくなるが、、、

ひとつひとつの行動や発言には責任が生じる。

行動や発言により何か問題が発生した場合に、問題解決をする事が゛責任 ゛と言われる。

自分の能力範囲であれば簡単に問題解決が出来る。

でもたまに、自分の能力を超えて範囲外となる。

その場合は家族に頼ったり、人に助けを求めたりする。

だか、これをためらってしまう場合が多い。

そう、

だから、

自由に生きるには

人を信じる、事が大切。

人を信じて、自分の人生を真面目に考える。

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