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娘の一時帰国で思ったこと。

7月初め、海外留学中の下の娘が一時帰国した。

入学したのがちょうどコロナが蔓延し始めた年で、今後の先行きがわからないまま、不安とともに留学先へ送り出した。そして案の定、なかなか帰国できず、あっという間に2年という歳月が過ぎた。

下の娘とは、世間一般並み以上の反抗期があって、一時は最悪な関係にもなったけれど、さすがに2年も会わずにいたのだから、久々の再会はもしかしたら涙が出るかもしれないな…などと、帰国の連絡があってからいろいろと想像していた。

そして迎えた帰国当日。
自宅到着は夜になるとのことだったので、自分たちの夕食を早めに済ませようと準備をしていたら、突然「ただいまー!」と玄関ドアが開いた。
そして、大きなキャリーケースを二つ玄関に置き、脱いだ靴を揃えもせず、まっすぐリビングに入って来て、ダイニングテーブルの自分の定位置にどっかりと座って、あっけに取られている私たちの顔を見て、してやったりな表情をしていた。

あとから話を聞けば、私たちを驚かせようと、到着時間をサバ読んだとのこと。なるほど、下の娘が考えそうなことだ。

そんなこともあって、想像していた感動の涙などは全く出なかったし、2年という月日を感じるコトもなく、普通に学校から帰ってきたのね…ぐらいの感覚でしかない再会を果たしたのだった。


娘はそれから1カ月半ほど、日本に滞在していたのだが、そのほとんどを友人たちとの再会に費やした。

それでも、その合間に親子らしく、上の娘と3人で旅行にも行ったし、ご飯も食べに行ったし、カフェにも行ったし、買い物にも行って、おしゃべりもたくさんした。

その中で、娘の変化を肌で感じることが多々あった。反抗期のころに比べると、しっかり人の話を聞くことが身について、自分でもあの頃はほんとに自己中だったと言っていたぐらいだ。

そこである時、いたずら心で聞いてみた。

「あの頃お母さんが言っていたこと、今なら納得できる?」

さて、どう答えるかと思ったら、即答で「NO」。
言いたいことは理解できるが、やはり納得はできないらしい。
それは私も同じく、あの頃の娘の行動は今でも納得がいっていない。
何度か同じ話題で話したけれど、何度話しても平行線で、反抗期時代と同じ険悪ムードに突入しそうになったことも。
結論、お互いにあの頃のことは一生分かり合えないんだね…ということに落ち着いた。

まあ、そんな話をお酒を飲みながら笑って話せるようになったのは2年という歳月があったから。でも、いい意味で、2年経っても根本的なところは何も変わっていなくて、娘はやはり娘のままで、それはそれでなんだか納得のいく話だった。

私と下の娘とは、人と人として考えれば、たぶん反りの合わない同志なのだと思う。言葉は悪いが、親としてある程度のコントロールの利くうちはそれなりに平和な親子関係が保てたけれど、成長し、娘のアイデンティティが確立されていくにつれ、徐々に崩れていったのだろう。

それが大きな反抗期にも繋がっていると、今になればよくわかる。しかし、その当時はそんなことを考える余裕もなく、ただただぶつかり合っていた。だから、下の娘が家を離れたとき、正直ホッとしたところもあった。それは娘も同じで、とにかく早く家を出たい一心だったそうだ。

どうやら、本能的にお互いにこれ以上同じ屋根の下にいたら危険だと察していたらしい。


8月中旬、また留学先へと戻った下の娘。
こんな言葉を残していった。

「あの頃はほんとにお母さんのことが嫌いだったけど、今は世界一大好きだからね。」

反りの合わない同志の親子だけれども、うちはこれでいいことにしよう。
親子の関係なんて、親子の数だけあるのだし、他人にどう見えようとも、当人同士がお互いに想いあっていればそれで十分なのだから。



最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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