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言葉の代わりに…

「私、病気になったみたい」

お互いの都合が合えば昼飲みを楽しむ、大人になってからできた大切な友人の口から出た言葉だ。

彼女はジャケットの胸元をちらっと開き、その部分を指さした。尋常でない腫れから、その深刻さは一目瞭然だった。

そして、詳しい検査などはこれからだが、恐らく最悪の事態になるのではないかとも。

そう淡々と話す彼女の姿を目の前にして、私はかけるべき言葉が何も出てこなかった。

黙りこくってしまった私に、彼女はこう言った。

「そう深刻な雰囲気にならないで。とりあえず伝えておくからね」

ここまで彼女に話させておいて、ようやく私の口から出たのは

「ごめん、なんて言葉をかけたらいいのかわからない」

こんなことしか言えない自分がとても情けなかった。でも、根拠のない慰めや軽々しい楽観視はあまりに無責任だし、私が涙を流すのはなんだか失礼な気もした。どう考えたって、泣き出したいのは彼女の方なのだから。

それでも何かしてあげられることはないかと考えていたが、『してあげる』なんてなんだかとても上から目線のようにも思えて、余計にどうしたらいいのかわからなくなった。

そんな私の心を見透かしているかのように、検査入院中の彼女に会いに行っら、まず彼女がこう言った。

「今日は涙なんてなしだからね」

そう言ってから小一時間、いつもの昼飲みのようにいろんな話をした。時々自虐的なジョークをはさみながら、彼女はいつもと変わらない笑顔で、病院であることを忘れてしまいそうになるぐらい楽しい時間だった。


検査結果が出た日、彼女からメールが届いた。
最悪の事態は避けられそうだと、聡明な彼女らしい言葉でシンプルな説明だった。それでも、この先の戦いが厳しいものになりそうなことは十分に伝わってきた。

母一人、子一人の彼女。
認知症のお母さんのこと、自分の仕事のこと、万が一の時のこと、やらなきゃいけないことがありすぎて、とても忙しいとあった。
それなのに、愚痴を言うではなく、無理のしすぎはいけないと、私のことを気遣う言葉も。こういう気配り、やさしさを自然に表現できるのが彼女なのだ。

なのに、私はいまだに彼女に何と言っていいのかわからないままだ。
だからというわけではないけれど、今度会う時に渡そうと、彼女の推し、なかなかのレアであるフィギュアを探すことにした。

推しの力が少しでも、彼女の戦いへの助けになることを願って。

























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