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【教育】嫌いだった「読書感想文」も振り返るといいこともあった

毎年、私の教室では、夏休みに「読書感想文」を指導していました。
昔と違って学校によっては強制にはなっていませんが、保護者の要望もあってのことでした。―生徒は嫌々ですから、保護者に加担していました。
低学年は「感想とは」から指導すして、ゆっくり話を聞きながら、できる限り「読書感想文嫌い」とならないように細心の注意を払っていました。
 
さて、今は、書店・ネットでも「読書感想文」の指南書がありますので、参考にされた方も多いでしょう。
そんな中、昨年、興味があったので流行りのAIに「読書感想文の書き方」聞いてみました。
結果、大筋は書店・ネットの指南書と同じ内容でした。
「感動」「意見」などでまとめるいわゆる文科省模範の例文も表示されました。
 
やはり、「つまらない」と書いて出せる感想文はないのだと思うとともに、「つまらない」と書けないというか、書いてはいけないようです。

「読書して感動した文」と言った方がしっくりきます。
 
「つまらない」と思わない本=心に刺さる本に出合うまで本を探す=読み続けることは現実的ではありませんから、こじつけてでも感想文にするということになります。
 
私の印象では、低学年の多くの生徒は読んだ本の中から印象に残る=感想がなかなか出ません。
だから、誰かが取り調べのように無理やり引き出したり誘導したりすることで、感想文を書くことが嫌になってしまうのかもしれません。

私は、何も感想がない生徒には、「面白くなかった?」と聞いてから、「つまらないも何も感じないのも感想だから」と説明してから、「どこが、どうしてつまらないかなど」をじっくり時間をかけて話し合って、それを感想文にまとめていました。―事前に保護者は了解しています。
 
その意味で、本以外でも、面白い、自分に合う、好きなどと感じる人や物に出会うには、実際に経験しないとわかりません。
生徒にはたくさんの経験をしてみることも勧めていました。
 
私自身、活字より動画が好きです。本は必要と思うもの好んで読みません。
読書嫌いの子どもの気持ちがよくわかります。
 そんな私でも学校で読んだ文章や嫌々読んだ課題図書、感想文のおかげで多少の作者や題名などの知識があります。

クラシック音楽もそうですが、「いろんなジャンルの雑読」は大人になって非常に大切、ありがたいと理解でき、ありがたい経験だったと痛感します。

「強制」は嫌な言葉ですが、事によっては「強制」によって、自分のその後が違うこともあります。