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小澤愛実という運命(アイドルオタク人生録 vol.2)

「最初から核心を突くと、僕は親を亡くしています」

 オタクインタビュー第2弾としてお願いした彼の生い立ちを聞き始めたとき、彼は最初に言った。

 彼は、30歳に差し掛かろうとしていたが、まだ20代だった。一般的に、親を亡くすには早い年齢だ。
「ああ・・・そうなんだ。どうして亡くなったのか聞いてもいい?」
「母親は事故です。父親は病気で。癌でした」

 彼は出会うといつも奇抜な格好をしていた。しかし、その日駅で待ち合わせた彼は黒地にタバコのパッケージが印刷されたパーカーを着ており、それほど目立つ奇抜な服装というわけではなかった。

 4月も半ばに差し掛かっていた。
 今年はずいぶん遅咲きと言われていたものの、桜が満開だったのは先週の週末。1週間たった現在、桜はほとんど散っており、葉桜となっていた。

生い立ち

 彼は1994年6月に福岡県の飯塚市に長男として生まれた。兄弟としては2つ下の妹と、5つ下の妹の3人兄弟であった。飯塚市というのは、福岡市から車で1時間ほどの山に囲まれた人口13万人程度の都市である。
 彼の家はその中でも山側にあった。
 彼はそこで、ごく普通の小学生・中学生として幼少期を過ごした。やっていたことは専らゲームと野球という学生時代だった。
 アイドルに初めて触れたのは2008年、彼が中学生の時。テスト勉強をしながらダラダラとテレビを見ていたら、アイドリング!!!が出てきて、それからアイドリング!!!に注目するようになった。
 推しメンは強いて言えば朝日奈央だったが、そもそも推しメンと言っても少し気になっていた程度であり、CDを買ったりライブに行ったりはせず、お金も使うこともなかった。

 それから世間ではAKB48が徐々に注目され始める2010年、彼は高校へ進学する。高校に関しては、そもそも選択肢が少なく、さほど偏差値が高い高校に進んだというわけではなかったそうだ。ただ、後になんとなくわかるが、彼は勉強はできるほうではあったのだと思う。
 その後在宅としてAKB48やSKE48にも興味を示すが、それらはすべて、なんとなくテレビで追いかけるような程度のもので、特にお金を使おうとは思わなかった。
 そんな風に九州の地方都市の高校生として健やかにアイドルに興味を持ちつつ生きてきた彼だったが、2012年の秋頃に、母親を突然の事故で亡くしてしまう。彼にとっては高校3年生の秋だ。あまりにも痛ましいことだった。これ以上の詳細を聞くことはしなかった。

 2013年3月に彼は高校を卒業した。
 彼は浪人している。1年目に受けた大学は「よく覚えていない、多分鹿児島大学か何かだと思います」ということだった。自分の受けた大学を、しかも国公立大学を覚えていないということは通常考えられない。上述の事故の影響で受験どころではなかったことや、その時期の記憶が揺らいでいるのかもしれない、と私は思った。

長男の役割

 最終的に彼は熊本大学に進むことになるが、元々は筑波大学に行きたかったと語った。
 進路に関して、彼が父に言われたのは「長男は家を継ぎなさい」ということだった。具体的には、飯塚市で就職し、今の家に住みなさいということだ。
「九州の男って、結構そういうのあるんですよね」と彼は言う。

 反発することよりも、一家を担うという気持ちの方が大きかった。その結果彼は、飯塚市で公務員になるということを決めた。具体的には、教員になろうとした。
 筑波大学は元々「東京教育大学」であることもあり、教員養成機関としても名高い名門大学である。そこに進学したいという旨を癌で療養中であった父親にも話し、了承を得た。
 しかし、その場では了承していた父親も、自分がいない場で妹に「(なぜ九州の大学ではないのかと)当たっていた」らしく、心からは自分の希望には納得していなかったということがわかった。
 その時、彼はさらに「長男」として生きていく覚悟を決めた。つまり、自分の希望より家庭の都合を優先し、九州の大学に進学することに決めたのだった。

浪人時代とももクロ

 2013年の浪人時代にハマったのがももいろクローバーZだった。
 ももクロは2012年には紅白歌合戦にも出場していたことから、当然名前は知っていたが、2013年3月に高校を卒業し、先に大学生になっていた高校時代の同級生が「面白いものがある」とももクロを紹介してくれたのが始まりだった。そして彼は2013年の夏頃にはももクロに熱中するようになる。
何がそこまで刺さったのか?と聞いてみたが、明確にこれというものがあったわけではなさそうだった。
 しかし、「間違いなく現実逃避という側面はあったと思いますね」と語っている。
 彼にとっては、母親を事故で失ってからまだ1年が経たない時期だった。また、自分の人生を家庭のために捧げることを決めながらも、浪人という不安定な身分を過ごすには、19歳という年齢はあまりにも若すぎた。現実逃避と呼ぶと厳しいが、当然娯楽は必要だったように思える。
 この時にTwitterなどがきっかけでももクロ関連でたくさん知り合いができたという。

 彼が初めてアイドルのライブに参加したのはももクロのGOUNNツアーの大分公演であった。推しメンは佐々木彩夏だった。
 そうして彼はオタクをしながらも浪人生活を終え、近場というほど近くはないが、何かあればすぐに飯塚市に駆け付けられる、熊本大学の教育学部へ進学し、一人暮らしを始める。2014年4月の話である。

突然の”自由”

 しかし、またしても彼に悲劇が襲った。2014年の7月、彼の父親の容体が急変し、この世を去ってしまう。かねてから癌で療養中ではあったものの、突然のことだったという。この時のことも、ショックが大きく、あまり覚えていないそうだ。

 彼はこれまで、一家の長男として大学進学先を九州内に変え、職業を飯塚市の教員に絞ってきた。しかしそれは、あくまで古風な父親の希望をかなえてきたものだった。
 父親が亡くなった時、彼は、突然、”自由”になった。教員にならなくてもいいし、将来、飯塚市に帰らなくてもいい。しかし、現実問題として彼は既にその進路に進んでいた。急な変更をしようという気までは起こらなかった。大学は教育学部であり、教員免許を取らないと卒業はできない。彼はそのまま大学にて勉学を重ねた。

私立恵比寿中学との出会い

 2014年。ももクロが念願としていた国立競技場でのライブを3月に果たし、そのストーリーがひと段落、周りのオタクたちも、ももクロから徐々にその妹グループである、私立恵比寿中学やチームしゃちほこに主軸を移し出し始めた人がちらほらと見られ始めた時期だった。
 彼はその年の夏頃、私立恵比寿中学の「ファミえん」(エビ中夏のファミリー遠足、という野外ライブの略称だ)を絶賛しているTwitterのタイムラインを見た。そのとき、「エビ中、面白そうだな」と思ったことがきっかけとなり、彼はエビ中のオタクとして、いよいよ本格的にオタクの道に入った。

「長崎のハイタテキのフリーライブで、『頑張ってる途中』をやったんです。その時、「明日がどっちかわからなくなるけど」という一節が歌詞にあって、それが当時の自分にはとても刺さったんですよね。本当にどっちに行っていいかわからなかったんで」

 エビ中の推しメンは廣田あいか。一目惚れで決めたというよりも、比較検討して決めたらしい。対抗馬は中山莉子。全くタイプは違う。なぜ比較検討の土台に上がったのかはよくわからないが、とにかく彼は廣田あいかを推すことにした。

 どうして廣田あいかだったのか、と聞くと、彼は明確に好みのアイドル像があり、最もそれに近かったからだと語った。

「アイドルを仕事としてやっている人が良いんですよね。きちんとアイドルをしているというか」
 ”仕事としてアイドルをしている人が良い”と彼は言ったが、最初に聞いた時にはこの意味が正確にはわからなかった。心の底からアイドルをしている、いついかなる時も天性のアイドルという人ではなくて、オンオフのスイッチを作ってアイドルをしている人のほうが好きということかな、とも思った。

 さらに言葉を重ねていくと、何となくその意味がわかってきた。彼の好みのアイドルとは、結局、”アイドルという職業を全うしている人”ということだった。真剣にアイドルという職業の責任を背負い、全うしようとしている、全力投球しているという姿勢が見えるアイドルが好きなんだということがわかった。
 しかし一方で、彼はこう言った。
「でも、アイドルを消費している感覚があるんです。恋愛が自由にできないのはもちろん、修学旅行に行けない子だったり、卒業式に出れないみたいな子が結構いるわけで」

 その後、彼はエビ中のオタクとして、熊本からあらゆる現場に通った。2014年、2015年当時、LCCがとにかく安く、3000円で成田に行ける、といった便もあったそうだ。彼は月1回どころではないほど、東京に出てきていた。

 彼は廣田あいかと握手するためにたくさんCDを買った。一回のイベントで100枚単位までは行かなかったが、50枚以上買い、認知され、幸せな関係性を築くことができたという。

「最後の接触で、10枚出しで、親のことも初めてそこで全部話して、あなたのおかげでここまで頑張れたんだよ、とか、友達出来て今はめっちゃ楽しいよ、って伝えたら彼女、泣いてたんです」
「えっ、廣田が泣くって相当珍しいよね」
「そうなんですよ。だから意外だったというか…言い方は変かもしれないですが、嬉しかったです」

 そう。廣田あいかはほとんどステージで涙を見せないアイドルだった。

廣田あいかの卒業

 廣田あいかは私立恵比寿中学を2018年1月に卒業した。
 私も当時私立恵比寿中学に通っていたが、廣田あいかの辞め方は完璧だったように思う。最後の最後まで職業としてのアイドルを全うしていたように思う。彼は、廣田あいかの卒業を機に、オタクを辞める気でいた。

 廣田あいかは、アイドルを卒業後、「ぁぃぁぃ」としてタレント活動を始めた。
 もうあれから6年も経っているため、すべてを受け入れている人も多いが、彼女がTwitterアカウントを携えて「降臨」した際、様々なハレーションが起きた。
 彼女はもうアイドルではなかった。自由にリプもするし、言いたいことも言う、一人のタレントになっていた。
 念のため述べておくが、ぁぃぁぃは、度を越えた酷い言動をしていたというようなことはなかった。最低限それは言うなというようなことを彼女が言ったことはなかった。元アイドルの中には現役時代の暴露などをする人もいるが、彼女はそこに関しては一線を引いていたように思う。
 ただ、彼女の言動にかつてとのギャップを感じ、複雑な思いを抱いた人が多かったのもまた事実ではあった。今はあれから6年が経って、未だにそうした嫌悪感を抱いている人も少ないと思うが、確かに、彼女が戻ってきた最初の1年間ぐらいは、そうした空気感があったことは思い出す。少なくとも若干の困惑があった。Twitterではっきりと言わずとも、飲み会になると「正直、綺麗なままの思い出であってほしかった、とても残念だ」と言っている元廣田推しも何人かは、確かにいた。

「廣田あいかの卒業後の発言であったりには賛否両論あると思うけど、今はどう思う?アイドルを辞めた後の対応としては何点ぐらいだと評価してる?」
「うーん、50点ぐらいですかね。というよりもう興味がないです。Twitterもブロックしたんですよね」
「えっ?なんで?」
「2018年の年末ぐらいだったと思いますが、具体的に何だったかは覚えてないんですけど、内容としては、ガチ恋の人を馬鹿にしているようなツイートだったと思うんです・・・。なんか、演者が客を馬鹿にするっていうその構図が耐えられなくて。それっきりブロックしたままです」
「彼女のそういうアイドル後のふるまいって言うのは、ある種のトラウマみたいな感じになった?」
「いや、トラウマというほどではないですね。ただ、アイドルを辞めたらどうなるんだろう?っていう怖さみたいなものは次の推しにも考えるようになりました」

小澤愛実との出会い

「で、2018年1月にオタクを辞めようと思ってたんですけど、すぐに次の推しができちゃって・・・小澤愛実と出会ったのは2018年の2月だったんです。当時大学で再履修の科目があって、誰かがアイドルの話をしてて、そこに混ざったら、ラストアイドルって知ってますか?って言われたのがきっかけでした。それでラストアイドルを見て、小澤愛実に惹かれたんです」
「どこに惹かれたの?」
「小澤愛実は、当時ラストアイドルの中で唯一アイドルや芸能の未経験者だったんです。当時中2かな、すごく素人っぽかったんですよ。その子が、必死に、アイドルになろうとしていたところに惹かれました」
「プロっぽいアイドルが好きだったけど、あえて、素人っぽい子に興味をひかれたんだね」
「ええ、そうなんです。その頃って廣田あいかが卒業した後の喪失感があったというか。すごく綺麗に卒業したとは思いますよ。でも心の穴みたいなものがありました。その時に一生懸命アイドルになろうとしている、言ってしまえば、指原莉乃に憧れている普通の女の子がいて、ああ・・・やっぱりアイドルっていいよな、って思ったんです。今思えば、廣田あいかのカウンター、つまり逆の存在として惹かれていた部分もあったと思います」

「その後すぐ通ったの?」
「いえ。なんか、その後、2018年4月に福岡で就職したこととかもあって、現場には行かなくて、半年ぐらいはあんまりオタクしなかったんです。一応、何かの用事に合わせて、パシフィコ横浜の握手会は行きました。でも3枚分ぐらいしか行ってなくて」
「何を話したの?」
「当たり障りないことですよ。ファンです、推してます、って言って、テレビのパフォーマンスの感想とか、そんな感じです」
「なるほど。認知とかは別にないって感じで?」
「はい。Twitterとかでもリプもほぼしてなかったんで、認知されてなかったと思いますね。でも、その年の年末に何故かシュークリームロケッツ(小澤愛実の在籍ユニットグループ。3名。以下シューロケと表記)で台湾遠征があったんですけど、何となく行くことにしたんです、1人で」
「1人で認知なしで海外遠征?」
「そうです。1人で、認知なしで行きました。台湾の小さなライブハウスで、200人もいなかったような。いろんなアイドルグループが出ていたのでオタク自体はいたんですけど、シューロケのオタクは多分10人くらいだったと思います。接触もないってアナウンスだったのもあって少なかったんですよ。でも結局物販で接触できましたよ」
「何を話したの?」
「いや、内容あんまり覚えてないっすね、もしかしたら現地の人間だと思われていたかも」
「ああ、駐在員的な?」
「そうです」
「ははは、それめっちゃ面白いね」
「ちなみに10人のうち、小澤愛実のオタクは何人いたの?」
「わかんないです。誰とも会話しなかったんで」

 我々は、温泉を目指して歩いていた。前回と同様、歩いて温泉に行き、温泉で語り合う、これが一番最高のインタビュー手法だと思っていたからだった。橋を渡っていた。目下には鶴見川が流れており、その河川敷には桜が咲き残っていた。河川敷にはあふれかえるほどではなかったが、花見客がたむろしていた。

「で、年が明けて、シューロケのリリイベが春ごろから始まるんです。そっからですね、本気になったのは」
「結構積んだ?」
「ですね。100枚は買いました。シューロケというかラストアイドルのオタクって、基本的にテレビ見てファンになってるんですよ。だから、1枚買って満足っていう人が多かったんです。リリイベの時すごい長い列ができてるなって思ったんですけど、2回目になると半分ももういなくて、多重でループするようなオタクは全然いなかったんです。例えば福岡で残っていたのは5人でした」
「5人か。そのうち小澤のオタクは何人だったの?」
「うーん、わからないですね」

 普通のオタクなら、特典会で最後の5人になったら、それぞれが誰推しなのかは確認したくなるのが普通ではないか。遠征に関しても同じだ。この10人の中に小澤のオタクは何人いるのだろう、と、正直私だったら思う。それに、海外遠征までする熱量の高いオタクと仲良くなれば楽しいし、タクシー代も割り勘できるかもしれない。
 でも彼はそうしなかった。

 橋を渡り切ると、河川敷には桜並木があった。綺麗だから見て行こうか、とそちらに道に入った。自転車乗り入れ禁止、の車止めを無視して親子が自転車でその中に突っ込んでいった。私たちは少し桜を見るとすぐに元の道へ引き返した。
「自転車乗り入れ禁止って書いてあるのにね・・・」
「そうですねえ・・・」

「リリイベ全通したかは覚えてないですけど、ほとんど行ったと思います。そのころにはもう固定レスっていうんですか、自分専用のポーズみたいなものができました。それをライブ中やMC中に僕を見つけるとやってくれるようになったんです」
 そう言って彼は写真を素早く出した。早かった。もしかすると大切なフォルダのようなところに仕分けているのかもしれない。

 今更だが、シュークリームロケッツは長月翠、松本ももな、小澤愛実の3人組。松本ももなは今ではアイドルグループ「高嶺のなでしこ」の中心メンバーである。私は、そもそもそれほど通っていたらメンバーにも覚えられているのでは、と聞いた。
「いや、松本ももなはわかんないですね。当時は絶対覚えてましたけど、今行って認知されてるかどうかはわからないです」
「でも相当通ってたんだろうし、認知されそうだけど、ね、どうだろうね」

 1つの疑問があった。
「俺たちって既にそのころには長く顔見知りだったよね?だけどTwitterでラストアイドルにガチで通ってる、っていう感じのツイートはあんまりなかった気がするんだよね。小澤愛実のニアジョイ加入に対する反応を見て、え、そんなに小澤推してたんだ?って驚いた人が共通の友人でも多かったように思う。あんまりラストアイドルのツイートが多かったような気はしないんだけど、それはどうして?」
「んー、エビ中のオタクでラスアイ通ってくれる人ほとんどいなくて。だからあんまり書いてなかったんですよね」

 そして、福岡に住んでいた彼はついに2020年2月頃彼は東京に引っ越す。それは、エビ中に通う過程でできた友達と会いやすくするため、首都圏に住みスムーズにオタクをするためでもあり、当時交際していた彼女との関係を見据えてのことであった。

 しかし、2020年。コロナが始まった。
 まだ記憶に新しいが、2020年の当初、3月から夏頃までが最も行動制限が酷かった時期だろう。すべての娯楽はシャットアウトされた。冬頃になると徐々にマスクをして距離さえとればライブをしてもいい、という空気感が醸成されたが、当初すべての芸能活動はしばらくストップした。

 私たちは温泉に向かって歩き続けていた。それにしても、暑かった。4月と言えども日差しは容赦なく照り付けていた。
「少し休憩しない?暑くて」
「そうですね、暑いですね」
「あ、でももうすぐ目的地か、じゃあその辺で何か食べようか」

 私たちは目的地近辺のスーパーのフードコートで海鮮丼を食べることにした。チケットを渡すと紙コップを渡された。
 給水機で紙コップに入れた水は決して美味しくはなかった。何か薬っぽい味がした。

「コロナの時はオンラインお話し会とかもあったと思うけど、それには通わなかったの?」
「あんまり行かなかったですね。結局あの時は整備もされてなかったし。オンラインお話し会って、スタッフもアイドルもオタクも慣れてなかったし、お互い手探りだったと思うんです。そういうのもあってほとんど枚数は積みませんでした」
「あの時期は確かにそうだったね」
「小澤から、コロナでいなくなると思ってた、と言われたんですよ」
「あんまり行かなかったからかな」
「そうですね」

 そうしてコロナ禍で時間は過ぎていき、ラストアイドルは2022年5月に解散を迎える。最後のお話し会は、「最後だから」ということもあり、対面で実施された。
「最後のお話し会は流石に積んだ?」
「いや、積めなかったんですよ。みんな積むので。20枚くらいですね」
「なるほど、確かに・・・そう言われればそうか」

「最後のお話し会、どんなことを話したの?」
「もちろんそれまでの感謝とかと、あとは、大学に行け、ってことですね」
「大学?」
「そう、でもなんか、小澤はまたステージに立つから見に来てね、って返しでした」
「大学って言うのは、色々犠牲にしてアイドルをしているからこそ、自分の人生を大切にしなさい、ということ?」
「そうです」

 フードコートにしては珍しく相当な時間が経って、刺身と乾ききったネギと玉子が平べったく盛られた、何とも言えない海鮮丼がやってきた。刺身醤油なのかさえわからない卓上の醬油をかけて僕たちはその海鮮丼を食べ始めた。
「つまり僕の場合、アイドルに関しては理想像があるんです、まず理想があって、それに近いアイドルを推すという傾向があります」
「ああ、イデア界的な」
「そうそう、イデア界・・・理想像があるんです。それに近いのが小澤愛実で」
「なるほど・・・」

≒JOYへ

 小澤愛実はラストアイドルが解散したその後、ほんの数週間で≒JOYのメンバーとして指原莉乃にスカウトされ電撃加入が発表される。
「どこかでアイドルとして帰って来るとは思っていました。でもこれは僕の憶測でした。だから、もし戻ってなかったらそのままオタクを辞める予定だったんです。あと…仮に戻ってきたとしても、戻ってくるグループ次第では通うことはなかったと思いますね。彼女がどんなグループだろうと通うと言い切れるような、そこまでの自信はありませんでした」

「でも、実際に起きたことは…。復帰もここまで早いとは思ってなかったし、イコノイジョイみたいな大手で帰ってくるとは思ってませんでした。さらに言うと、元々、小澤愛実は指原莉乃の大ファンですからね。その指原莉乃から認められてグループに引き抜かれるっていう、あまりに出来すぎたシナリオでした」

 彼の誕生日は6月だった。その時に私がリプで「イコノイジョイは良いぞ」とおすすめしていたのだ。彼は「考えておきます」程度の返答だったが、小澤愛実の加入によって、即「イコノイジョイ、行きます」になった。

「仮定の話ですけど、小澤愛実が、もし、ラストアイドルを途中で辞めて、ニアジョイのオーディションを受けてメンバーになってたらこんなに好きでい続けられたかはわからないですね。というか多分こんなに好きじゃないと思います。僕は彼女がラストアイドルをやり切ったことも評価しているんです。彼女はあくまで最後までやり切って、そこからニアジョイに拾われた形になったわけですから」

「ニアジョイに来ての最初のお話し会はどうだった?」
「それが、なんでか敬語だったんですよ。明らかに認知あるし、親しい感じなのに敬語だったんですよ。うわ、指原グループっていうのはこういうものなんだ、と謎に思ったんです」
「敬語?なんでだろうね」
「わからないんですが、結局2回目以降は普通に話してくれるようになりました」
「どんなことを話したの?」
「また応援出来て嬉しいとか、会えてうれしいって話です」

 彼はイコノイジョイ2022で≒JOYの初ステージを無事見届け、ニアジョイのオタクとしてスタートを切った。

リーダー小澤愛実の誕生

「やはり、最初は小澤は他のメンバーに遠慮しているように見えました。距離があったように思えたんです」
「確かに、それは俺も思ってた。なんとなくメンバーと距離があるように見えたというか、遠慮しているような感じがある気がしたよね」
「ですよね。でも、それが、チームとして一丸になった感じがしたときがあって。2023年6月のミルモでポンの舞台なんですよね」
「それは、どういうことで感じたの?」
「うまく言えないんですけど、例えばshowroomとかでも他のメンバーが小澤の話を良く出すようになったんです。なんか、受け入れられていっているなという感じがしたんですよね。そっからの3か月くらいは本当にうれしかったです。9月にワンマンやって、リーダー発表があって」

 彼と私は≒JOYのワンマンライブで連番していた。そして小澤愛実のリーダー発表の瞬間、彼は私の隣にいた。
 あの時、彼は本当に文字通り号泣していた。過呼吸になる一歩手前くらい泣いていた。

「リーダー発表のあの時思ったのは、どんなことだったの?」
「やっと認められた、という気持ちが大きかったです。僕は小澤はリーダーにならないと思っていたんです。絶対にならないと思っていました。なぜなら彼女はその入り方からもいろいろアンチもいましたから。個人的に、XX(ニアジョイのメンバー。他意はないが、ここでは名前は伏せておく。キャラ的にリーダーにならなさそうな子で、人望がない等という意味では全くない)と同じくらい絶対にありえないと思っていました。僕は(逢田)珠里依がリーダーになると思ってたんですよ」
「なるほどね、俺は全然あると思ってたよ、小澤リーダー」
「ですかね。自分の中では絶対無いって思ってて。でもそれが本当に現実になって、今までの頑張りとかが報われて、運営も含めてやっと認められた、って気持ちが大きくて、それで涙が止まらなかったんです」
「やっぱり、あの入り方っていうのは賛否両論あったよね」
「はい。ある程度批判もありましたし、仕方ないと思いました。僕が12人側だったら同じことを思うかもしれないですから。言ってしまえば、小澤って外様なんですよ。その外様にリーダーをさせるっていう選択肢を運営が取るわけはないと思っていました」

 海鮮丼を食べ終えた我々は温泉に向かった。歩いてすぐに温泉は目の前に現れた。我々は下足ロッカーに靴を預けると、タオルと館内着を受け取った。
 館内は綺麗だった。広くて落ち着いた木の感じ、見たこともないオシャレなクラフトビール・・・。先ほどまでいた場末のフードコートとは違い、何か居心地の良さを感じた。

 私たちはロッカーへ向かった。そしてかけ湯をし、浴場へ入り、並んで身体を洗った。
「あれ、そういえば、タバコ吸うよね?タバコ吸わなくて大丈夫?」
「ああ、全然大丈夫です。お酒飲んでなければ吸いたくならないんで」
 意外だった。食事の後にタバコ、温泉に入る前にタバコ、こういう人が私の周りではほとんどだったからだ。

 隣に並び身体を洗い終えた我々は、ほとんど同じタイミングで内湯の温泉に入浴した。茶色い温泉で、浴槽の底が見えなかった。

「実際、小澤を2018年から今までずっと推してて、台湾まで行った人なんていないんじゃない?」
「そうかもしれないですね。知り合いがいないんで正直わからないですが、ラストアイドルの時とは現場の雰囲気も違いますし、層も入れ替わっているかもしれません」

「歴もそうだけど、枚数に関しても相当積んでたよね。もしかして、TOだったんじゃない?」
「TOとかそういうのはわからないですね。他の人のことを知らないので。それに、目立ちたくないんですよ」
「目立つと話題にされたり妬まれたりするから?」
「はい、そういうのもあります」
「周りにオタクいないの?フォローされたりとか」
「されないんですよね。別に拒否しているとかはないですけど、全然小澤推しの知り合いっていないです」
「でもさ、目立つと思うんだよね。パシフィコのときとか、積みすぎて全員の中で1人だけ残ってたことがあったじゃない。あの時は絶対目立ってたよね」
「でしょうね」
「小澤推しだけじゃなくて誰推しでも、そんな人いたら気になって見ちゃうよ」
「まあ、そうですね。でもあの時、ザワザワがなかったんです。お話し会って周りザワザワしてるじゃないですか。それが、みんないなくなってたから、シーンとした環境で、数分しっかり話ができたんです。すごく良かったです」

 内湯は暑かった。我々はすぐに露天風呂に行くことにして、ゆっくりと話の続きを始めた。
 私は彼にインタビューをしながら難しさを感じていた。彼の神髄のようなものに触れられている感触がないのだ。
 どのような質問をすれば良いのか考えた。色々な会話をしながら本質に迫ることができればよかったが、流れをぶった切って、本質的な質問を投げてみることにした。

そして天涯へ

「今までのオタク人生で最高の日はいつ?」
「うーん・・・」

 彼はとても迷っていた。
「ニアジョイのツアーの福岡は良かったですね」
「どうして?」
「ラストアイドルの『青春トレイン』のカバーをやったんですよ。ツアーの初日っていうのもあったり、やっぱりそれをカバーしてくれたというのが大きくて」
「カバーと言えば、『愛を知る』もあったよね」
「そうなんですよ。あれを初めてカバーしたとき僕は現場にいなくて。あれが現地だったらダントツで最高の1日だったかもしれません」
「愛を知る、好きなんだね」
「はい、僕はあんまりライブで泣かないんですけど、ラストアイドルのラストライブの『愛を知る』で泣きました。このライブではなかったんですけど、この歌の、”君のために生きる”というパートでレスまでもらって」
「うわー、最高じゃん!」
「そうなんですよ。あと、泣いたという点でいえば、やっぱりニアジョイのデビューステージ、イコノイジョイ2022で泣きました。『スタート』は泣きましたね」

 別角度の質問をしてみた。
「今まで、オタクをやってて一番良かったことは何?」
「やっぱり友達ができたことですね」
「なるほどね」

  ある程度予測できる質問ではあった。しかし、これは少し違和感もあった。というのも、彼はオタクと絡むことをそこまで良しとしないし、目立とうともしないのだ。ある程度友達が欲しければ、積極的に人と絡んだりするものなのではないか、とも思う。

「でも、不思議だよね、あんまり友達を作ろうとするタイプではないというか」
「そうですね。エビ中で本格的に接触をするオタクになったとき、僕が最初にやったのは、推し被りを視界から消すことです。廣田あいかのオタクには当然古参がたくさんいたんですよ。そうした古参といった歴の問題や、学生、遠征勢であるというディスアドバンテージを気にしないようにするために、推し被りのことを視界から消す必要があったんです。あと、そもそも、オタクのカーストみたいなものに巻き込まれたくもないし、アイドルを見るのにオタクの顔色伺いながらオタクするのって本末転倒ですから」

 彼が他のオタクのことを気にしないのは、二面性があるように思った。
 即ち、他の人のことなど気にならない、という強さと、他の人のことを気にし始めると病んでしまう、という弱さである。
 徐々に彼という人間がわかってきたような気がした。

「アイドルで好きなタイプは、”アイドルを全うしている人”ということだったと思うんだけど、一方でアイドルにプライベートを大切にして、って思うのって、面白い話だよね」
「そうなんですよね。アイドルになることで青春や学生生活を犠牲にするのは本当にかわいそうだと思うんですよね。だから、アイドルにはちゃんとした人生を歩んでほしいという気持ちがあります。一方で、僕はそういう風にすべてを犠牲にしてアイドルをしている子を好きになってしまうんです。自分の中に大きな矛盾があるんです」
「なるほどね」
「だから、僕は常にアイドルを”消費”しているという感覚があります」
「その役割を果たす、みたいな考え方っていうのは、自分の人生に少し似ているように見えるんだけど、どうだろう。つまり、家で長男としての役割っていうものを背負って、長男としてふるまって、自分の希望を我慢したりっていう生き方をせざるを得なかったと思うんだけど、それってアイドルに似ている気がするんだよね。アイドルも、ある程度役割に縛り付けられている、というか。だからこそ、自分と同じように縛り付けられながらも生きる人を応援したくなるというか。一方で、だからこそ自分と同じような、我慢みたいなものをしてほしくない、っていう思いも人一倍あるんじゃないかな、と思った」
「なるほどですね、自己投影しているというか。そういう面は確かにあるのかもしれません。自分がなりたい姿に近い子を推してしまうというのはあります」

「ちなみに、話は戻るんだけど、特に、お母さんを事故で失っていると思うんだけれど、それが自分の人生観に対して及ぼした影響ってある?」
「ありますね。やっぱり、どうせなら面白いことをしよう、って思いが強くなったと思います」
「それは、自分の人生が終わるときに後悔しないように、ということ?」
「はい、そうですね。台湾に行ったのとかもそうなんです。認知なしで、単身で台湾遠征するっていうのは、普通じゃないですから。どうせなら行ってみよう、っていう」
「なるほどね、そういう考えも後押ししたわけね」
「はい。ちなみに、後に2019年に小澤愛実に一気にハマったのも、自分はあの数少ない台湾まで行ったオタクだ、っていうのは、どこか深いところで思ってはいたと思いますね」
「ああ、つまり、特別なバッジっていうか、レアなカードを持っている、みたいな」
「そうですね。アドバンテージですね。ちなみに…さっきの、オタクとしての最高の1日っていう話なんですけど、ニアジョイで海外遠征とかしたらそういう日ができるのかもしれませんね」
「そうだね、ニアジョイで海外遠征、本当に行きたいよね」
「ええ、本当に」

運命を信じる力

「小澤愛実に行きつくまでにいろんな偶然が重なったんです。大学で再履修クラスになってなければ、ラストアイドルのことは多分知らなかった。小澤を見つけられなかったわけですし、そもそも廣田あいかが卒業したというタイミングもあり。そしてニアジョイっていう地上のグループだったということもあります」
「小澤愛実は運命だと思う?」
「思います。本当にたまたま見つけた子が自分の望む形で活動してくれているところ、一度絶たれた道が繋がったこと、運命だったり縁みたいなものは感じます」

 僕はいつもパラレルワールドのことを考える。自分の推しメンのことを最高の推しメンだ、と言っている人も、何かのボタンの掛け違いがあれば、他のアイドルに同じ言葉をかけているんじゃないか、と。パラレルワールドの自分は、全然別のアイドルにハマっていたりするんじゃないだろうか、などと考えてしまう。
「神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように」とは、小沢健二が名曲「天使たちのシーン」で残した一節だが、僕の頭の中にそんな思いが逡巡するとき、いつもこの曲が浮かんでくる。
 目の前の現実を、神様が用意した運命だと思う力は強さである。

 彼は小澤愛実に行きつくまでの話として、大学の再履修が偶然だった、というような話をした。だが、おそらくそれだけではない。思えば本当に長い道のりだったのではないか。

 彼の人生は苦難の連続だったと言えるだろう。
 母親を事故で亡くし、長男として生きていく事を決めた矢先に、今度は父親を突然亡くしている。
 彼が新たにアイドルにハマっていくのは、ももクロもエビ中も、身内の不幸があってすぐである。これは偶然ではなく、心が弱っていたときにアイドルが救いになった、と彼は語った。

 その意味では、すべてが小澤愛実に繋がっているとも言える。
 突然の事故で母親を亡くし、彼の心が傷つき乾いた時、ももいろクローバーZは潤いを与えた。そして彼はアイドルオタクとして生きることの喜びを知った。
 そして、2014年、急に父親を亡くし、一人の成人として、良くも悪くも突然自由になってしまった。私立恵比寿中学は進むべき道を示してくれるというより、「明日がどっちかわからなくなるけど」と一緒に寄り添って歩いてくれた。
 職業「アイドル」を全うする廣田あいかで、CDをたくさん買うことを覚えたり、アイドルオタクとして推しメンに認知される喜びを知った。
 そして、小澤愛実。
 大学で再履修クラスにいなければラストアイドルには出会わなかった。
そして、廣田あいかを推していなければカウンターとしての小澤愛実にこれほど惹かれることはなかった。
 小澤愛実も、指原莉乃に憧れてアイドルを目指していなければ、たまたま新聞のチラシを見てラストアイドルに応募しなければ、ラストアイドルになることはなかった。
 そして、面白いことをしようという気にならなければ、彼は単独で台湾遠征はしなかった。そして、台湾遠征をしなければ、後の2019年ほどラストアイドルにハマることはなかった。
 そして、ラストアイドルが解散し、指原莉乃が≒JOYに小澤愛実を加入させなければ、彼はこうして小澤愛実に再びその人生を捧げることはなかっただろう。
 何かが違ったとしても、小澤愛実にはたどり着けたかもしれない。だが、何かが違っていてはこれほどの形で”美しく”小澤愛実にたどり着くことはできなかったのではないか。

おわりに

 このインタビューは、Vol.1のきうりさんと同時に公開することにした。なぜならば、あまりにも2人は好対照をなしているからだ。
 2人はそのオタクスタイルが大きく異なるし、話している最中も、きうりさんはとても楽しそうに話したり、感情の揺れが大きかった。一方で彼と話しているとき、決してつまらなさそうというわけでは全くなかったが、彼はそれほど感情をあらわにすることはなかった。
 何かを質問したとき、彼は「絶対にこうだ」という言い方はあまりしなかった。YESかNOとなるような質問をした場合でも、彼は慎重に「~という点ではYESだが、~という点ではNO」という回答をした。

 彼はとても落ち着きがあり、論理的な人間だったように思う。質問したことに対して「わからないけど、多分こう」というような返答は一度もなかった。彼はどんな質問にも、時に時間がかかって悩んだとしても、きちんとした答えを返してくれた。彼の言葉には重みがあった。それでいて、どこか心地よさがあった。
 人や物事を断定的に言い切らないことは、優しさだと思う。
 「やっぱりENTJはこうだから~」というような物言いに不快感を示す人も少なくない。
 これはこうだ、という分類は確かに面白い。だが、一方で、物事の深さ、細かさをぶった切って、ある枠に入れてしまうのは、ある意味では一つの暴力である。彼はそのような暴力を絶対に許さなかった。

 苦労は人を優しくするという。涙は人を強くするという。
 彼の苦労や涙から来る優しさと強さは間違いなく小澤愛実に伝わっているだろう、僕はそう感じた。

 最後に彼のnoteを貼っておく。
 小澤愛実は彼が書いたnoteを読んで涙を流したそうだ。

 彼がまだ見ぬ「オタク最高の1日」は、必ず未来で待っているはずである。
 その時、彼はさらに「愛を知る」ことになる。

君の胸で泣かせてくれ 今日まで生きててよかった
なんて素敵な世界だろう 温もりに僕は包まれてる
ずっと探していた 生きがいはそこにあった
これが幸せなんだ 気づかせてくれてありがとう

ラストアイドル「愛を知る」

「ちなみに、小澤はかけるの人生のこと知ってるの?」
「いや、言ってないんで、知らないですね」

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