北鎌倉・浄智寺の若竹にアンデルセン『もみの木』を思い出す
七夕茶会であるためには、なんとしてでも短冊を吊るすための若竹が必要。
ということで、茶会の前日、茶室のある浄智寺敷地内で手頃な竹を探す。竹採取の許可を取り、去年の記憶を辿りつつ宝庵の裏あたりを探してみるけど見つからない。駐車場の辺りにも竹林があるのだが、なんにしろ茶室の床には立派過ぎる。。
と眺めていると「あ、あった」
おお!なんと爽やかな若竹!
これぞクリスマスツリーにふさわしいモミの木!
そう、これぞ The Tanabata Take of Tanbata Takes 、切るにはしのびないが切らぬわけにはいかない。まるで私たちのためにそこにあったかのような。
翌朝まで誰も切らずにいてくれますように(いないと思うけど)と願いながら帰途に着く。
これはヨーロッパやUSでクリスマスツリーのための若いモミの木を探しに行くことに似ている。
家族でモミの木を探しに行く、あるいはマーケットに買いに行くのはクリスマス前の楽しみ。近頃はエコロジーの意味で、日本のツリーみたいなプラスチックも増えているそうだけど。。(プラスチックがエコかどうかは置いといて)
と考えていたら、アンデルセンの『もみの木』を思い出した。白雪姫でも知られるナンシー・エコーム・バーカート挿絵の本を久々に引っ張りだしてみる。
森の奥の小さなもみの木が広い世界に憧れて、小鳥たちから聞いていた「部屋の真ん中できらびやかに飾られるクリスマスツリー」を羨み、やがて切り倒されて念願のクリスマスツリーに。。
つぎのクリスマスがきたとき、もみの木はこんどはまっさきにきりたおされました。斧が幹にふかくくいこみ、もみの木はほうっと溜息のような音を立ててたおれました。はげしいいたみを感じて、ふっと気がとおくなるようでした。しあわせどころか、ふるさとの森をはなれるのがかなしくてなりませんでした。おとうとのもみの木たちとも、まわりの小さな木々や花々とも、これでおわかれです。小鳥の声を聞くのも、これが最後かもしれません
ああ、ごめんなさい、若竹。。
お菓子を詰めた色紙の網、金色のリンゴやくるみ、赤白青色とりどりの百以上の小さなロウソク、豪華に飾りつけられたもみの木は、その後屋根裏部屋に放置され、最後はマキになり燃やされる。
なんだか生け贄みたい。。
そういえばムーミンにも『もみの木』という冬眠する習性のあるトロール一家はクリスマスを知らないが故に「クリスマスという怖いモノがやって来るのでもみの木を立てて自分のいちばん大切なものを飾り付けて怒らせずに帰ってもらう。。」というトンチンカンな短編がある。
七夕飾りの竹も、色とりどりの紙できれいに飾りつけられ、短冊が下げられ、それはやはり神様への贈り物なんだね。
昔お盆の時期に行った奄美大島では、家々に空高く竹が飾られ、色とりどりの紙が風に舞っていた。
旧暦で行われるお盆と七夕の日に、先祖の霊が竹を目印にその家に帰って来るそうだ。
男の人は白。女の人は赤。
七夕は習い事のお願いをするものだと思っていたけれど、お盆と七夕が合体しているとは。
奄美大島は沖縄と同じように思われているけど、むしろすごく日本っぽい。
今年の短冊はみな、世界が平和であることを祈っていた。
どうぞみなの願いが天に届きますように。
※竹は雪介さんが持ち帰り、もしかしたら茶杓か何かに姿を変えるかもしれません。。
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