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ソーシャルネットワーキングデイズ2

2007年2月11日
Ultimate MC Battle 2007 熊本予選
ジャンゴのマンスリーで見て遊びに行ったUMB。正直、とても感動した。鼠と夕暮れと一緒に行ったようだ。どうやって知り合ったのか思い出せないが。もしかしたらmixiでこちらからメッセージ送って友達になったのかもしれない。たまにそういうことをする。最近ではタローキジウマもそのパターンだった。
MSCは好きだったので漢さんが来るのも、「すごい」って思った。一人で行ったんだったろうか。イベントとしてはかなり面白くて相当テンション上がっていた。面白いのはやはり、この場に居た人たちの中に、この時は関わっていなくても後に関わる事になるような人たちが居たということだ。夕暮れ(Euglena Man)、空き缶(Tentacle Smoke)、AKR5、一瞬に出会い、また、長い時間かけて出会う。面白い。


鼠 vs LEE というバトルがすごく面白くて忘れられない。UMB公式のDVDにも収録されているとARUNAが言っていたのでまたこんど見せてもらいたい。BLUE PRINTとKhaos Operationもこの時ライブしていたんだったか?思い出せない。

㉑“ブループリント、K.O.C.、鼠、夕暮れ、リー、尊敬。ストリートなんてどうでもいいとおもってたけど、理解しました。これがストリートなんだっていうことをですね。
インディーズというものをようやく理解したインディーズバンドのような感じ。まあ俺自体はインディーズバンドですらないわけですが。その理解は妥協ではないと思います。そうだといいな。純粋な音楽と離れた理解だとしてもですね”

それからしばらく多分ローカルのHip Hopのイベントにちょいちょい遊びに行った。シャワー通りにあった小さな服屋に入ったら店員さんが、ブルーハーブを熊本に呼んでるような人で、キリコのCDが置いてあったりして。買った。今でもたまに聴く。銀座通りにあったワンネスで鎮座ドープネスを見た。その頃、あんなに凄い人とは知らなかった。Mic Jack Productionもワンネスで観ました。ワンネスは確か今サルバトーレがあるところの地下か。

2月27日はアースカラーでベースニンジャ今沢カゲロウさんの前座を初めてやった。たびたび熊本に来られていたのでこのあとも数回やった。ベースニンジャTシャツをもっているMPB部員、熊大ジャズ研部員も数人いた。

このころ下通のプロントの地下で何かのイベントがあった記録がある。なんだったか思い出せないが、あそこは今何になっているのだっけ。アイリッシュバーか、カラオケか。
2007年3月9日
改源Night@Django前売り1500w1d
Griner /鼠 /Khaos Operation /Blue Print /Bless Hacker
これ見に行ったんだなあ。また同じメンツであったらきっと行くなあ懐かしい。Khaos Operationは何度か見たがこの日が初めてだったよう。ILL THE ESSENCEさんとこの夜に出会ったような気がする。ディジリドゥ吹いてた気がする。

この日、イベント終わってmixiの日記描いてるのが朝6時半だった。若かった。。もう、ちょっと無理。。あんな完全オールは。。

また、その頃、鹿児島の軽音にセッションで遊びに行く機会があったりした。郊外で「ペンタトニックコーヒー」という気になる名前の喫茶店を発見したが入りはしなかった。今も存在するだろうか。しんでんさんというドラムの先輩の家でフィッシュマンズのDVDを見ながら飲み、そして寝た。

東開の漫遊書店はこのころはまだ存在していた。写真が残っていた。すさまじい。これは貴重な記録だと思う。それからギター売り場に居座っていたギターおじさん、麓泰次郎氏。音楽事務所を設立しているのを発見してしまった。自分が高校の時は、本業は自転車屋さんだと言っていたので、自転車屋さんは辞めて(隠居か?)音楽事務所を始めたのだろうか。というか音楽事務所とはなんだろうか。よく覚えてないが水族館でクラゲの写真を撮っていた。

Roll Collっていうバンドが熊大ジャズ研にあった。アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズの曲を中心にオーセンティックな感じでやっていたバンドで、結構好きだった。トランペットの篠田さんは、同い年で、好きだった。この3月で卒業した。結構、飲んだりしたけど、それ以来あっていない。多分ストイックに面白く日々を過ごしているんだろうなと思っている。

3月20日は辛島公園で夕暮れ主催のサイファーに参加したらしい。踊ってばかりの国の谷山竜志くんとかも遊びにきてた。俺もラップして見たりギター弾いたりしていた。そこに居た人たち、夕暮れ、空き缶、竜志君、ディスティーくん、そして自分、まだ音楽を続けている。むしろ自分はほとんどその時まだ始まってなかったのだが。DAM-T君、Hack.君はネットラップの方で今もやっているのだろうか。JINGくんと南部十四式くんは元気かな。

2007年4月1日
㉒“人吉の天琴ラーメンには麻薬が入ってます。あるなは痔です。僕には心臓が二つあります。脳も三つあります。性器はありません。ミルクセーキが好きです。拡声器でおはようございますが日課です。正義感がありすぎて困ります。あと二年くらいで変声期を迎える11歳です。最近マイミクの人が人を殺しました。僕も殺されかけました。家の隣の空き部屋から腐乱臭がします。外を通ると誰もいないはずの部屋のカーテンの隙間から全身白タイツの背の高い男が見えました。毎朝六時になると流し台の奥の方から悲しげな声。たくさんの鶏が競い合って鳴いています。僕は一人っ子です。窓を開けるといつも同じ繰り返し。あの人がこっちを見ています。最近サークル棟の猫がすごい勢いで増殖して困ります。すべてが100パーセントの真実です。”

2007年4月19日
㉓“オークションでエフェクターを買いまして、H2Oというコーラス/ディレイなんですが、届くのがとても楽しみです。

・運命の日だ。この日の日記に、初めて、Klagenicoleという単語が登場した。

㉓“本気で叫んでいる間。最初は本気の叫びだったものが。「叫び」でないといけないって義務感に変わってたり、回りからネタにされてほんとにネタになってしまうとか。まあ終いには何も無くなったりとか”

・そんなことってよくあると思う。

この頃、志人の「Heaven’s 恋文」をたくさん聴いていた。

㉔“君の皮肉なんかただの世界への負け惜しみだよ”

・そうだ。

2007年5月
この頃Fountains of Wayneを聴き始めた。Klagenicoleもぼちぼち動き始めていた。初期のKlagenicoleはやはりファウンテンズやLast Days of pril、Promise Ring、初期アートスクールなどの影響を受けていたと思う。

6月はイース5をやっていた。そのあとはイース2をやっていた。名作である。トバ、ファクト、ハダル、ダビー、メサ、ジェンマ。。もともとは小学校低学年くらいの時に人吉の家でファミコン版をやった覚えがあるのだが、あの幻想的な世界観と音楽は何かしら精神的にも影響を受けたような気がする。

2007年7月それまで使用していたBOSSのパワーサプライ(部室で拾った)が壊れて困っていたら、mixiでMooさんという人が助けてくれた。Mooさんはこの時東京でアルバイトをしながらエフェクターの制作、修理、ギターのリペアなどをやっていた。パワーサプライをサービス価格で作ってくれたのである。5000円だったろうか。今でも使ってる。15年経ってるのだ。凄いことだ。Mooさん、本名、田中一夢さんは今は菊陽のほうの津久礼でStudio GREAMという工房兼スタジオを経営されている。最近はアコースティックギターしか弾いていないのでめっきり訪れる機会が減ってしまったのだが、電気系パーツなどのトラブルに関しては本当に頼りになる人である。

2007年8月。大学の屋上にてラーメンを作った。過酷だった。子飼商店街の肉屋さんで豚の頭骨をもらってきて一晩煮込んだ。チャーシューはKlagenicoleゆきさんの家で作った。立ち込める醤油のにおいに倒れそうになった。

Beauties of Natureを初めて見たのはこの頃のおくらでだった。

2007年8月27日
Klagenicoleの初めてのライブ
8/27 @Django
Bass ninja今沢カゲロウ/nickelfloor/Klagenicole/Summer Night Band
1800adv/2300day 1drink order

曲は多分Calcium、手を振る、穴の開いた魚、手を振る、カーテン、とかだったんじゃないだろうか。関係ないがネットライムの方ではこの時Apocalypse Crewが既に存在していたようだ。フーバーオーバーが5年遅れでマイブームだった。

9月27日のライブを以て、約1年半活動したアースカラーが活動休止となった。この頃CIBのごはんは本当にめちゃくちゃおいしいと思っていた。今はどうかわからないが当時料理を作っていた人は安枝さんという方でどこかに移られたのだったと思う。


2007年10月2日 講義中に教室の最後方から思うこと
㉕“まだ半袖が多い。シャツの人が多い。何故か白シャツが多い。紺、黒、白、茶色、カーキで八割以上。薄紫、二人。原色赤、一人。クリスマス的緑、一人。ピンクぽい紫、一人。赤チェック、一人。カラフルエスニック柄、一人(大津さん、他一人)。花的柄、二人(神崎さん、他一人)。白黒ドットの柄、一人。黄色、三人(オレンジ含む)。第二講義室の机で、左から二番目の列にはあまりみんな座らない。自分の左の列(一列目)10人。自分の右の列(三列目)9人。自分のいる列(二列目)4人。右奥に扉があるのに気付いた。あの壁の裏って女子トイレじゃなかったろうか。天井の模様。よくある感じ。小二まで住んでいた家の天井の模様と同じ。最も黒板側の一列だけ蛍光灯が点いていない。今日最初に教室に来て電気点けたのは自分。一列全部ついてない。てことは自分がつけ忘れたらしい。壁。よく見ると一面防音壁だ。無駄過ぎる。部室の壁と交換して欲しい。壁に「整理整頓、飲食禁止」と張り紙がしてある。知らなかった。みんな知ってるのだろうか。この部屋で昼ご飯を食べてる人はたくさんいるけれども。紙の感じからして七年以上は張りっ放しの張り紙だと思う。抱いた肩に似たか怠惰(回文)”

・なんともいえない。

㉖“アンプにジュースこぼして壊しました。”

・反省してます。

2007年11月11日 歌詞と体現止めについての考察。
㉗“歌詞を書く時、体言止めを多用してしまうのはなんでなのか。結論「名詞は、日本語の中でもっとも終わりの母音が多種多様な品詞だから、」。動詞は、「U」で終わりますね。形容詞は、「I」で終わりますね。形容動詞は、「a」で終わりますね。それぞれに活用はありますが、結局、詞としての一区切りに用いられるのは終止形と命令形だけです。だから音を最初に考えてあとから言葉を乗せようとする時、選択肢の少なさから困難が生じるわけです。「oで終わりたいのに…」とか、「eiで終わりたいのに…」とか。
他の活用形が末尾に来る時は必ず助詞か助動詞をともないます。助詞が来る時は結構多様性がありますが、助動詞が来る時はやっぱり終止形しかなく、多様性がありません。そこで名詞の出番です。朝、四季、靴、ペレ、頬、センター、タクシー、宇宙、姿勢、回答、どんな母音でも名詞の中からなら大体探し出せます。韻文では倒置的な文章がよく使われるの理由の一つかもしれませんね。「名詞または助詞を末尾に持ってくる」ということです。”
・言わんとすることは何となくわかる。

ほとんど毎日3時過ぎまで起きてたのかっていうような投稿時刻になっている。

2008年1月 
試験期間ですね。きつそう。

2008年1月22日のプレイリスト
夜の東側/サカナクション
Stop Playing Guitar/The promise ring
human pinata/voodoo glow skulls
リグレット/art-school
時計の針/降神
I wanna be adored/the stone roses
Aloe Evra/Jim Black
ミルク/chara
Apply some pressure/Maximo Park

・今とあんまり変わらない感じがする。。


2008年2月3日
この日はバトルステージで初めてzankyo souchiのライブを見た日だった。
住んでいた九品寺の部屋はとにかく散らかっていた。鍵もかけてなかったし窓は割れていた。洗濯機はものすごい轟音を立てていた。一時期パスタにはまった。汚部屋なのに。


㉘三月一日にMPBのミニライブがあります。やる方は楽しいです。毎度ながら自分ひとりで10バンドくらい出ます。全部で40バンドくらいあるらしいです。Grapevineとかやれるのももう最後でしょうか。東京事変に対して田中事件をやります。

・“田中事件”という名称はこの時が初出であると思われる。

2008年3月11日 この日のライブ。
3/11 (火) Django
今沢カゲロウ/MGK/trialerror/limehouse/klagenicole/frown land
adv.1800/day.2300 ドリンク別

・自分はMGKでも出ていた。カゲロウさんめっちゃ来てたなこの頃。何回対バンしてるんだ。。trialerrorと初めて出会ったのがこの時だってことはすっかり忘れていた。Frown land。。微妙に思い出せないぞ??こだま君のバンドだったかな?(れもんではない)。そして留年した。


㉙“あとづけで大した意味のなかった歌詞とか、適当につけたタイトルとか
歌うとそこから意味のあるイメージを持ってくれるのが不思議です”

・そうだなあ。

このころサックスの中田博さんとジャズ研の内田さん、園田と映画研究会の部室で麻雀をし、四暗刻単騎のW役満をあがったようだ。

㉚“徹夜で100枚のCDRに盤面プリントしました。実家のプリンターで一枚一枚。
手作りCDの全工程で一番大変なのは盤面プリントです。間違いない。一枚一枚手差しだから。”

・これはまじで大変。

MySpaceやAudioleafに登録したりした。Cynicalsmileisyourfavoriteについてはこのころから存在は把握していたが、実態がわかるのはまだあとの方になる。

㉛“四年間分の楽しかったことと悲しかったことをまとめて六年生のせいにして寝ます”

・一個上の世代が大学を卒業した。
㉜“午前四時、気が付いたらラグビー部の部室の前で水溜まりに半身突っ込んで寝ていました”

・ひどい。

このころは「無頼派」っていう安ウイスキーが売ったが、いつの間にか見かけなくなった。

㉝“目をつぶっているととても速い。開けると途端にもっと速い。”

・めまいか?さすがに最近天井が回るのは経験しない。限界は結構わかってきた。

2008年、6月頃。この頃Scofitzは、次のアルバムSix Cool Old Flamingo In The Zooに向けて新曲をたくさん作っていた。好きだった。「銀座のすずめ 琥珀」という八鹿酒造の焼酎があって、これも日記中に登場していた。あれはおいしい。最近久しぶりに見かけたので購入した。相対性理論やUNCHAINという名前が登場してきた。そうだ、まだ病院の向かい側に旧校舎、図書室があり、そこにあったパソコンでヘッドホンつけてマイスペースあさってたのだ。図書室で四角革命を聴いていた。UNCHAINはtrialerrorと対バンしていた。あれはデイズのイベントだったろうか。にしくまもと病院に臨床試験センターができたのでお金を得るために治験に行ったりもした。治験の環境は本当に最高だった。とにかくエレキギターを練習するのには最適の環境だった。あれでだいぶレベルアップできたに違いない。

2008年、8月。この年のMPB合宿は霧島のみやまコンセール。山奥、温泉、山菜、カブトムシ、クワガタ、ナナフシ。最高な環境でした。なんかギター講座を後輩に向けてするっていうので講師役になって、簡単なテキストを準備して、面白かった。少しは為になっただろうか。

㉞“こんなに楽しいことは人生においてそう何度も無いんだろうなと毎年思うんです。”

・本当にそう思っていた。

2008年8月30日
ここで初めてNAVAROの文字が現れた。

㉟“携帯が壊れて通話が出来なかったので修理見積もりに出しました。その時下にいたトライアルエラーJUNくんからNAVAROのチケット買いました”

・一回対バンしていたが、実質的にこの時がたぶん初めての会話だったと思う。なんというか、軽いノリの積極的な人だなと思ったのは覚えている。


2008年10月5日 辛島公園であった「若者の日」という野外イベントでライブをした。が、途中で豪雨で打ち切りになった。ミッキーこと吉武樹生と知り合ったのはこの頃で、ミッキーは、雨の中観ててくれた。いいやつだ。10月14日にはジャンゴでDuffとはじめて対バンしている。The wannadiesはこの頃初めて聴いた。全然リアルタイムじゃないけどすぐ好きになった。

この頃読んだ本
田口ランディ 縁切り神社
貴志祐介 硝子のハンマー
山田詠美 Animal logic
恩田陸 夜のピクニック
山田詠美 Soul music.Lovers only
山本文緒 群青の夜の羽毛布

大学入ってから本読む時間なかったのですが留年してから非常に大学が暇になったというか教室が辛かったので、高校以来の読書ブームが来た。こんな本を読んでいた。ラーメン屋大金豚がこの頃シャワー通りにあって、しばらくはよく行っていた。思えば講義室が総研棟に移ったのはこの年だったと思う。10月はドイサイエンス×嘘つきバービー、月面砂漠×PODOなどの熱いライブがあっていた。多分両方行った。

大学生5年目の秋の定期演奏会
10/25@Django
熊本大学医学部軽音楽部秋期定演~サイババより砂出すぜ~

open16:45
start17:00

Qyasis(インストバンド)とZassui(椎名林檎バンド)

セットリスト
Qyasis
#Chameleon(ハービー)
#Cheapa vs Cheap(Jim Black)
#Stepping(ソウライブ)
#James(メセニー)
#24000 baci
#Aims(スペアザ)

Zassui
#やっつけ仕事
#メロウ
#モルヒネ
#すべりだい
#修羅場
#群青日和

二つとも大学生活の中でやったコピーとしては一番楽しかったし良かったと思った。
Zassuiは熊粋祭野外ステージにも出た。

㊱“僕は人の好きな音楽を好きになれる時が好きです。”

オスカーピーターソンとかミシェルペトルチアーニとかを結構聴かされて好きになった。エスビョルン・スヴェンソン・トリオ(e.s.t.)はクラムボンがカバーしたりしたこともあって流行ったが、やっぱりかっこいいと思う。ジャズピアノを聴く頻度が少し増えた。

2008年11月27日の日記より
“見に来てくれた月面の渡辺くんとスピーカーのミッキーとちょっと一緒にいたら

「あの人達何会議してるんですかね」
「あれはただの無口な人の集まりだから気にしないでいいですよ」

と遠くからすまこさん達に言われてたらしいです。陰口というやつですがその通りだから残念ですね。”


2009年1月14日
この日はミュージックファームに行ったら挫・人間のCDが流れていて衝撃をうけた日のようだ。買いました。僕らのタマちゃんが。久しぶりにあった高校の友人伊能の頭はだいぶ薄くなっていた。3月20日は月面砂漠と挫・人間のライブをみたようだ。これは、、なんだったかな??月面のイベントかな?思い出せない。

路上にギター持って行って渡海と二人でストリートやってみたら2万近く投げ銭もらって、凄いねってなった。渡海のおかげだ。


鋼鉄会系のメンツの多かったこういうイベントもあったな。面白い、いい会場だった。今アクセスも良くなってるとすればフェス会場として穴場ではないか。


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つづく

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