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【プロフィールに代えて】noteをはじめて4周年~ちょっとずつ、できるようになる、ただそこにありつづける~

おはようございます。


今朝noteを開けたら4周年記念バッジをいただきました。

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あれ?最初の記事を書いたのは2018年10月23日だから、4周年はまだ先だと思っていたんだけど…(*'▽')


ぼーぜんとしながら、何か「かっこいいこと」書いちゃおうかな。それともスルーしようかな。


あれこれ悩んでいるのもめんどくさくなって、まず走りにいって、それからうだうだして、また「よし、note書こう」


そう思ってつらつら書き始めています。


noteで初めて記事を書いたのは2018年10月23日。


同期が40歳ですい臓がんで亡くなって一か月が経過した日でした。


自分が自分の人生でまだ解決できなくて、一生解決できないかもしれないと思っていた。でもまだ時間があると思っていた。


そんなとき、大切な友人の死と対面したとき


「いつかいつかってきっといつかなんてない。今やらないとない。」


そんな風に強く思った。


それから、一人の人間がこの世からいなくなって、そしてもう二度と会えないのに、何事もなかったかのように世界がまわっていくことが、もうたまらなくなった。


きっと私が今この瞬間にこの世から消えても、何事もなかったかのように、世の中は回り続けていくんだろうな。


じゃ、生きる意味って、人生って、いったいなんなんだろう?


わたしが生きていることに一体どんな意味があるんだろう。


そんな思いが急にこみあげてきて、


だれが読んでくれなくてもいい。1年間noteを更新し続けよう。


そう思ったのも連続更新を始めるきっかけでした。


最初の毎日更新は、あと少しで達成!!!というときに、職場の先輩と大喧嘩して、悔しさと怒りで眠れず、次の日、倒れるように寝落ちしたら、更新を逃して失敗。


その後は、2021年5月まで、「もうやめようかな~」「続けようかな~」そんな感じでのらりくらり、時々気が向いたときに更新する、そんな毎日を続けていました。


再びnote連続更新を再開したのは、2021年5月1日。


知り合いの方たちのオンライン写真展。自分は写真を出品できなくても、後方支援できないか?そう思った。


もう一つ、前年からかかわっていた学生向けの短期講座で学生たちにいろいろアドバイスしている中で


「じゃ、自分はどうなの?」そう強く思った。


「じゃ、毎日note更新して、読んでもらえるにたるコンテンツにして、そして、自分でもいろいろトライ&エラーしつつ、前に進んでいるってことを自分なりにやってみよう。」


そんな軽いノリでした。


でも、再び連続更新を始めてみて、読んでいただけるに足る自分のコアのコンテンツがあるわけでもなく、フォロワーさんも、スキの数も、一向にに伸びず。


自分なりに、自分の好みの文章を書く方はどんなことを発信しておられるのかな。


たくさん記事を拝見するなかで、いろんな発信があったのですが、結局つまるところ、その文章に


「その人なりの、その人にしか書けない本音が感じられる、ある意味、ご自身を安全なところにおいて、耳ざわりのよい、適当な心地よい発信をされている文章ではなく、ある程度ご自身の負も含めて、さらけ出している本音の発信」


を自分は好きなんだと。


じゃ、もう、自分自身を身ごと晒していくし、私なりに読んでいただくに足るコンテンツはそれしかないんじゃないかという結論に達し、


自分自身をアホみたいに、晒し出し始めた。それが2021年6月くらいだったかと思います。


晒しだし始める。アウトプットして、自分自身を俯瞰して客観的に見て、認知のゆがみがあるところは修正して、


を繰り返しているうちに、突如


「そうだ、本を出そう」


突然そんな思いがこみあげてきて。


なぜ本を書かなきゃいけないのか、よくわからないままに、無我夢中で発信を続けているうちに、


「そうだ、あの時の出来事をもう一度、今ならニュートラルに俯瞰できるはず。」


それでできたのが1冊目の手記でした。


そして、この手記を書き終える直前に、表紙やら最後のお手紙を書いているとき、ふわっと


「次は私の絵本も描いてね」

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そうやってこの手記から飛び出した蝶が2冊目の絵本になりました。


こうして2018年10月にわけのわからない衝動みたいなものに突き動かされるようにnoteをはじめて、4年経過して今思うこと。


それは、


ちょっとずつ、できるようになる


ただそこにありつづける


この2つです。


4年前は毎日更新できなかった。


でも4年経過して、できるようになった。


それは、読んでくださる方。コメント欄での交流や記事での気づきを通して、発信する「仲間」だと思えるnoterさんがいらっしゃるからです。


かつてブログを書いていたこともありますが、noteほどのモチベーションをもって書き続けることができませんでした。


noteを毎日今続けられるのは、ひとえに並走してくださっているように感じられるたくさんのnoterさんとの出会いがあったからです。


その出会いを通じて、note→kindle出版→スタエフ→絵本…とちょっとずつできることが増えていったのだ。そう思います。


一方で、私の中には葛藤もあります。


自分の中で、ある程度noteやSNSとの付き合い方に対しては、時間を決めて、という思いが大きいです。


目の前の家族や自分の健康、仕事、生活が第一優先だからです。


昨日の記事にも書かせていただいたように、自分がまず二本の足で立っていること。長い目で見たとき、それが一番周囲の人の役に立てる。


これまでの経験を通じて思うことでもあります。


よくnote記事の中で、コメントしに行けなくてごめんなさい、読めなくてごめんなさい。


そう書かれているnoterさんを数多くみかけてきました。


敢えてこれまで書いてはきませんでしたが、「なかなか読みにいけなくてごめんなさい。」


心の中で謝りつつ、やっぱり、「読みにいけないから、コメントできないから、じゃ、noteやめる。」という選択肢は今のところ、私にはありません。


そこにありつづける、


「あ、今日もあのひと、つらつらだらだらとりとめもなく考えを駄々洩れして書いているんだろうな~。」


私の記事は読んでいただかなくても、TL上に生存確認していただければ、それくらいで良いという風に思っています。


なぜなら、noteを書くのは、もちろん読んでいただければ、コメントやスキをいただければ、うれしいし、とてもありがたいですが、たとえ、スキを一つもいただかなくても、コメントをいただかなくても、


私が私のために、考えをまとめたり、つらつら思ったことを備忘にメモしたり、自分を鼓舞するために書いているからです。


私にとっては、敬愛するnoterさんには、読めないから、コメントできないからといって、「退会手続き」などをせず、更新がなくてもnoteにい続けてくださること。


それだけで「あ、今日も同じ空のしたでどこかで元気にしてくださっているのだな。」そうほっとできるのです。


そんなスタンスで、5年目に突入させていただきます。


ひきつづき、ゆるやかにどうぞよろしくお願いいたします。


いつもスキやコメント、フォローをいただき、読んでいただき、温かい言葉をありがとうございます。


皆様とのご縁に感謝しています。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨


おまけ ひとえにみなさまのおかげです😌

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