今更ながら2021年6月7日時点の長い長い自己紹介①
そういえば、noteに自己紹介を書いていなかったなと思い、今更ながら2021年6月7日時点の長い長い自己紹介を書いてみようと思います。
1977年生まれの現在44歳。6歳になったばかりの娘と画家の夫と暮らしています。スペックとしては、卒業以来21年同じ会社で働く会社員です。
幼い頃はぼーっとしたこどもでした。ただ、感受性が強かったのか、少しだけ熱心な仏教徒の父に『人はいつか死ぬんだよ。お父さんもきよこより先に死ぬんだよ』と死について聞かされ、半日くらい泣き暮らした思い出がおぼろげにあります。幼稚園か小学校低学年です。そんな深刻なはなしを娘にするなよ。父。笑
幼稚園から小学校4年生まで、大親友がいて、その大親友といる時間が人生で一番幸せな時間でした。
今でも思い出すんですよね。彼女の家の近くの空き地で2人で遊んでいた時に感じた『私は今世界で一番幸せだ』と感じたあの気持ち。それくらい、大親友がいて、私は幸せに暮らしていました。
だから、小学校4年生で転校することになったとき、『もう、二度と〇〇ちゃん以外に本当に親しい友達はつくらない』と心に誓い、その後、長らく心から気を許せる友達をつくることができませんでした。
父の仕事の関係で転校した小学校では、そこそこまぁまぁ楽しい日々を過ごしていたものの、その頃からなんとなく自我に目覚め、シュバイツァーや宮沢賢治、マザーテレサなど、世界の偉人に心惹かれるようになっていきました。偉人はたくさんいるんですが、私が心惹かれた偉人の共通項は『奉仕』とか、『無償の愛』だった気がします。
しんどかったのは中学生一年の時にまた父の仕事で転校した時。
二学期からの転校で、既にクラスには人間関係が出来上がっていて、うまく輪に入れることができず、なんとなく浮いていたら、軽いいじめにもあい、自己肯定感が完全になくなりました。
この世に生きていていいのか、死んでしまった方がいいんじゃないかと、毎晩眠れなかったですね。
だから、孤独とか、どこにも誰にも必要とされない感じがどれくらい人を絶望させるのかっていうのは今でも肌感覚として、記憶に鮮明に焼き付いています。
そんな時、私をこの世に引き止めてくれたのが小学校4年生の時に別れた大親友の存在でした。
彼女は私が死んだら悲しんでくれる。だから生きなければならない。
そこに生きるよりどころをなんとか見つけ、日々耐えて生きていました。
部活は心の救いでした。フルートパートの同級生4人とは仲が良くて、あの部活の時間がなけれは、もっとしんどい中学生生活だったと思います。
高校は、進学校に進んだら、転校させないという母の言葉につられ、ものすごいバカだったんですが、転校したくない一心で猛勉強して県内の進学校に進みました。
中学生の時、部活が心のよりどころだったので、高校でも吹奏楽部に入ったのですが、選んだ楽器がオーボエで、練習はいつも1人。。。チームプレイが出来ないので、やめました。
この時、自分は1人でやるより誰かとチームで何かを達成していく方が向いていることに気づきました。
高校二年の時、父がまた転勤になり、転校したくないといったら、1人下宿して残ることになりました。
たしかに転校したくないとは言ったけどね…。予想外の展開でした。笑
この頃から情緒不安定気味に突入していった気がしますね。
私の持論ですが、こどもは高校を出るまでは、親と一緒に暮らした方が良いと思いますよ。どうしてもやりたいことがあるというこどもの意思があればまだ話は別ですが。
とはいえ、部活もなく、気心の知れたクラスメイトもいて、高校時代はひだまりのような楽しい時間でした。
大学受験というものがあることすら知らず、呑気に過ごしていたら、あっと間にどこにも受からず、一年親元で浪人生活を送っていました。
母に医者になれと言われ、自分の意思もないので受験勉強していたんですが、どう考えても自分は文系科目が得意で、直前に文転して一浪の末、東京の私立の大学に入学しました。
大学はほとんど勉強しませんでした。今でも単位が足りなくて卒業できない悪夢を見てうなされることがあります。
大学時代は、一言で表すとダンスサークル活動に血道をあげていました。
高校時代、その気心の知れたクラスメイトたちで文化祭でジャスダンスを踊ったことがあり、その時に感じた一体感みたいな気持ちをまた味わいたいなと思ったんです。
ところが、入ったサークルは度肝を抜くようなアングラダンスサークルでした。笑
人が突然バタンと倒れて部屋をはいつくばってぐるぐる回るのがモダンダンスなんだと言われて、マジか!!!もう、吹き出し笑が止められなかったんですが、当時は他にダンスサークルもなく、しぶしぶそのサークルに入ってしまいました。
ここでの転機は大学一年の時。神戸で行われたモダンダンスフェスティバルに出場したことです。
私の所属するサークルは、相変わらず、怪しい(当時の私にとっては)ダンスで出場したのですが、その時出場していたお茶の水大学のモダンダンスが衝撃的にかっこよくて、いつか自分のサークルでもあんなダンスがやってみたい!
それで、多分続けられたと思います。
この時の教訓は、ロールモデルの重要さ、そして、外の世界を見ることの大切さです。
到達したい先を見せる、見ることによって、人のモチベーションってガラリと変わるんですね。
今日はここまでにします。
明日からの続きは、幹事(部長)の一年は私のは人生を大きく変えた。そして、大親友の死です。