白い花
1998年12月18日。
親友の命日だ。
私が彼女のお墓参りに行くのには、7年の歳月が必要だった。
精神安定剤と睡眠薬を飲み、母にも来てもらってやっとのことで大学を卒業し、就職した。
悲しいことに、彼女の死がショックでそうなったわけではなく、全ての出来事をうまく自分の中で整理しきれなくて心のバランスを崩したのだ。
もう、その頃には、人のために悲しくて泣くということもできなくて、ただひたすらに自分の人生に起きた不幸を呪って絶望していた。
就職して、働くことの楽しさにあっという間に回復して、徐々に人のために悲しむ心も取り返して行った。
それでもお墓参りに行けなかった。
毎年12月18日は何かに気づかせようとしているかのように、自分にだけ分かるサインのような出来事が起きた。
2005年、人生を全て変えてしまうようなショッキングな出来事が起き、いよいよ避けていた過去と向き合わなければならないと覚悟を決めた。
松山市を訪れた。
彼女の母に、ずっと心のバランスを崩してお墓参りに来れなかったことを詫びた。
カトリックだったから、自殺ということは伏せてお葬式をしていた。
死因が自殺と私が知っているか、彼女の母はハッキリとは言わなかった。
それでも
「ひーちゃんは、高校中退してから、ずっと悩んでいたんよ。でもニュージーランドに留学して、帰ってきてからは、ずっとうまくやってると思っとったんよ」
寂しそうにぽつんとそうつぶやいた。
「ひーちゃんがおらんくなってから花を植えたらね、翌年に綺麗な白い花が咲いたんよ」
そう言って、彼女の母は、最近はカメラでお花を撮るのが生きがいなんよ、とスナップのフォトブックを見せてくれた。
「もっと長くおってくれてもええんやけど、明日帰るんやろ。今日はもう寝んとね」
夜遅くに松山市に到着したこともあり、ひとしきり話して彼女の母が用意してくれた布団に入った。
真夜中、セットしていないはずの目覚まし時計がリンと鳴って目が覚めた。
夢の中で彼女は少し困った顔をしていた気がする。
でも、目覚まし時計がなった時、
ずっと待っててくれたんだ
そんな気がした。
翌日、お墓の前で
「長い間、これなくてごめんね。怒ってなんかなかったね。もうとっくに許してずっと待っててくれたんだね」
松山市について、初めて号泣した。
彼女の母が亡くなったのはそれから数年後のことだった。
娘を自殺で失うということ。
一体どれほどの苦しみだったのだろう。
長年、心の奥底にずっと怒りにも近い納得できない思いがあった。
なぜ、人一人を死に追いやるほどのイジメを彼女の学友たちは彼女に対して犯したのだろう。
なぜ、私はたった一人理解してくれると助けを求めて手を伸ばした彼女の手を振り払ってしまったのだろう。
なぜ、大人たちは、たった一人の親友の手を振り払ってしまうほど、私をそれほどまでに追い詰めたのだろう。
そして、一番許せないのは自分自身だった。
許せない思い、許してという思い。
全て時間の流れがゆっくりと解決してくれた。
もういいんだよ
もうずっとわかっていたのに、自分で自分を一番罰していた。
彼女が亡くなった翌年に咲いたという白い花。
みんなが悲しんでいるとき、悔やんでいるとき、あなたはすっかりすべてを許して美しい花を咲かせていたんだね
ごめんね、あなたはずっとそういう人だったよね。
小学4年生の夏。
松山市を去る前に最後に見送ってくれた彼女の弾けるひまわりのような笑顔を胸に思い出す。
いつも花が似合う彼女の笑顔を思い出す。
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