今更ながら2021年6月12日時点の長い長い自己紹介⑥夢にまでみた出産。しかし、産後は地獄。ママ友さんとの出会いで気づかされた育自(いくじ)と共育(きょういく)は一人ではできない。社会でやっていくもの
長い長い自己紹介。本日のお題目は『夢にまでみた出産。しかし、産後は地獄。ママ友さんとの出会いで気づかされた育自(いくじ)と共育(きょういく)は一人ではできない。社会でやっていくもの。』です。
2015年。私は長女を出産しました。長らく切望していた出産。これでやっと幸せになれるんだ!という期待とは裏腹に産後は地獄の日々でした。
まず、出産直後は3時間ごとに授乳。最初、ん?3時間ごとって夜は普通に寝るよね?どゆこと?と意味が分かりませんでしたが、本当に3時間ごとに起きて授乳するということに衝撃をうけました。
通しで寝るということがどれだけ幸せなことだったか。慣れないオムツ替えで手は腱鞘炎。定期的な授乳で身体はいつもどこかしこ痛い。
加えて、人ひとりの命を預かるというプレッシャー。夜中にふと息が止まっていたらどうしよう。そんな不安含め何もかも人生初めて。
でも、一番の地獄は夫との関係性と孤独でした。産後クライシスという言葉があるそうなのですが、ホルモンバランスが乱れたりすることにより、出産直後から急激に夫婦関係が悪化しました。
世界で一番憎い相手が同じ家にいる。笑
出産によって180度ガラッと変わった私の生活と、1ミリも変わらず、育児もどこか他人事で『手伝うよ』などと抜かしやがる。『何が手伝うじゃ。お前の子だよ』
という感じで、夫と同じ空気を吸いなくないと娘を抱っこして街をふらふらと徘徊する始末。(いまではすっかり普通の割と仲良し家族に戻っています。念のため。)
これまで15年近くサラリーマン生活をしてきて、毎日出社して誰かしら大人と話す機会があったのに、育児休暇中話す大人といえば険悪な関係となった夫と言葉も話せない赤ちゃんの娘だけ。
早く職場に戻りたい。仕事をして社会とつながりたい。それも叶わない。
どこにも行けない、誰にも頼れない、寄る辺のない不安感と孤独感に押しつぶされそうでした。
そんな地獄のような日々が一変したのはママ友さんができてから。
最初は小さな輪。そこから徐々に広がり、20組近い地元のママ友さんとゆるくつながり、ハイハイレースやよだれパットづくりのワークショップ、はたまた赤ちゃん用の手作りおやつ作り料理教室などを自分たちで開催し、またワクワク楽しい日々が戻ってきました。
同じくらいの月齢同士。病気のときはどうしたら良いのか。予防接種はどのタイミングで打てば良いのか。泣き止まないときはどうしたらいいのか。困ったことがあれば、すぐに相談して、悩みは同じだからみんな親身に答えてくれる。
あの時のママ友さんたちとの出会いがなければ、私の育児はもっともっと悲惨なものになっていたと思います。
その時気づいたことは、育児とは自分自身育っていくもの。育自。自分ひとりでは育自はできない。そして、教育も共に育っていくもの。これもひとりではできない。
誰かを育てていくためには、自分も同時に育てていかなければならないし、自分も共に育っていかないとならないのだなぁと。
これまで自分は周囲の方々に支えられているからこそ、生きてこられたということは分かってはいたつもりではあったのですが、出産経験を経て、初めて自分ひとりでは何もできず、周囲に援助を求めながら社会で子育てをしていかなければならないということに気づかされました。
そんなこんな後半楽しくてたまらくなった一年間の育児休暇を経て、2016年私は職場復帰しました。
長い長い自己紹介。明日は『全力投球。初めて歯車から全体が見えてきた。そして身体を壊して気づく持続可能な頑張り方の大切さ。』です。
終わりが見えてきました。あと一息お付き合いください。
追記
KEROさんの記事を読ませていただき、さらに思考が進みました。
自分が育っていない、学べていないということを痛感させてくれたのも出産でした。
子を育てていくためには、自分の中にぶれない軸みたいな倫理観とか道徳観をもっと揺らぎなく構築したい。
もっと学ばなければならない。自分は本当に何もしらないんだと。
それまでも、そこまでなんでも知っていると傲慢に生きてきたつもりはなかったのですが、やっパリ出産というのは私の人生に大きな大きな気づきを与えてくれました。
親にさせてくれた夫と娘に感謝です。
自己紹介を書くうちに、私の人生にとっての愛の対象は働くこととチームだとうっすら気づいてきたのですが、家族は最小単位のチームですね。
一番近いからこそ疎かにしてしまう時もあるけど、一番大切な存在であるのだと改めて気づかされました。
長い追記は以上です。
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