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『CARNIVAL』(2004)プレイ感想


【注意】

本記事は18禁アダルトゲームについて扱っています。18歳未満の方およびこの系統のコンテンツに著しい不快感を覚える方は絶対に読んではいけません。もっと健全なゲームの記事もあるので、そちらをお読みください。


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FANZAサマーセールで半額(1,466円!)になっていたので、シナリオライター瀬戸口廉也さんのデビュー作『CARNIVAL』を購入してプレイした。
以下、他の瀬戸口作品はやったことがない(どころか、エロゲを両手で数えられるほどしかやったことがない)人間による感想文である。
ネタバレがふんだんに盛り込まれているので注意されたい。


まず、『CARNIVAL』の感想としてわたしがいちばん最初に言いたいことは、物語のいちばん最初の場面について。
STARTを押して最初に画面に表示される、満月をバックにした文章。

スクリーンショット (1539)

月の表面に小さな蛆が無数に湧いて、その蛆が月面に笑顔を形作っている。
 表面だけの笑みの形を作った、見下すような蔑むような腐敗した気持ちの悪い笑顔だね。笑顔って言っても、ちっとも朗らかでもなんでもない。ただ不快な笑顔。僕は、そうやって嗤う月を見ながら歩いていたんだ。……

この冒頭に度肝を抜かれた。初っ端からフルスロットルで飛ばしてんなぁ!!! とめちゃくちゃテンションが上がった。エロゲをこれからプレイし始めようという心構えで、まさかこんな文章を開始1秒から読まされるとは予想だにしていなかったのだ。

この文が、怪奇幻想文学のアンソロジーを開いて目に飛び込んできたのなら、そこまで驚きはしなかっただろう。でも、エロゲだ。しかも、文字だけでなく、夜に浮かぶ不気味な満月がどデカく背景に表示されているし、ボタンを押してテキストを読み進めていくと差し挟まれるスタッフ名とサブリミナル砂嵐の演出もその異様な雰囲気に一役買っていて、とにかく凄まじいインパクトだった。事前にあまり情報を仕入れていなかったのが功を奏した。

とにかく、私は冒頭のこの文章に衝撃を受けた。そして、ライターの瀬戸口廉也氏は後に小説も書いていると聞いたことがあったため、なるほど確かにこれはこちらもその気で挑まにゃいかんぞ、と気を引き締めた。


が、結局わたしにとって、このオープニングが本作の最盛期だった。

冒頭の逃避行シーンから回想で時系列が遡ると、途端にめちゃくちゃ典型的な学園モノの話が始まって困惑した。エロゲやったことないひとが「エロゲ(シナリオゲー)ってこんな感じでしょ?」と想像するそのもののような。体育倉庫でHするモブ生徒達のボイスなど、明らかに意図的なチープさを狙っているとしか考えられず、主人公の主観によって認知が歪んでいるのをシナリオ自体にまで敷衍させて表現する演出なのだと予想した。予想というかほとんど願望で、そうじゃなければ非常に残念な出来だとしか言えなくなる、と思った。

最後までプレイした今、この点について振り返ると……「意図的なシナリオのチープさ」なのかはかなり判断が難しい、微妙なところだという印象だ。
というのも、主人公の学はたしかに精神的に異常な状態にあり、彼の視点から世界を捉えれば、このようなふわっふわの地に足がつかない書き割りに見えてもおかしくないと納得はできる。しかし、ではそうして書き割り感が意図された演出だとしても、それをゲームとしてプレイするこちら側にとって「面白い」かは別の話だ。

面白かった点がないわけではない。冒頭のような文体の魅力だけでなく、Hシーンでの達観した独白もかなり面白かった。(笑える、という意味で)
初セックス(野外レイプ)時に主人公が内心で「へーこんなものですか。大したことないですね」と平然を装ってるのがめちゃくちゃ青臭くて良いし、性戯の豆知識みたいなのを突然語りだすのも面白い。理紗の母親を陵辱するくだりのモノローグなんかは面白すぎてゲラゲラ笑ってしまった。

メインヒロイン(理紗)との待望の両想いックス中の独白も以下である。

僕は、なんだか神聖な気持ちになっていた。月の光のせいか、この舞台装置のせいだろうか、ひどく精神が澄んでいる。まるで、何かの儀式をしているみたいな気分だ。
(中略)
たとえば、雲ひとつない青空が、少しずつ夕日に変わっていく様子をじっとながめているような、清涼で落ち着いた感じ。

ずっと好きだった幼馴染が目の前で自分に裸体を晒して喘いでいるというのに、「まるで、何かの儀式をしているみたいな気分だ」ったりとか、「清涼で落ち着いた感じ」なのめちゃくちゃウケる。これで感動しろといわれても困るよ、と初見で思っていた。

このとき、他にも「なんだか不思議な光景だなあ。不思議な光景だけれど、まるで予定調和みたいな感じがしないこともない」と独白しており、「ホントに予定調和だよ!!!」と同意してしまった。そして結局、ふわふわ書き割り感のまま大団円?っぽく1章が終了した。

頭ふわっふわのまま行くのであれば、変にハッピーエンド感を出さないで狂気のままに突き進んでほしかった。凌辱しながら冷静に観察してるときがいちばん輝いてるよキミ……というのが素直な木村学くんへの感想だ。

1章までで、青年の自意識と破壊衝動を描いた作品として、浅野いにおの漫画『おやすみプンプン』を連想した。(プンプンでいうところの"神様神様チンクルホイ"が学にとっての武)

あるいは、プンプンの源流の1つである、山本直樹の『世界最後の日々』。

夢か現か判然としない錯乱した少年の学園生活からの逃避行、レイプ、殺人、うだるような夏──これらの要素は全て共通しており、余計な純愛感動要素も無いので、正直なところたった100ページほどの『世界最後の日々』を読めば本作をわざわざプレイしなくてもいいのでは、とこの時点で感じた。


てっきり1章で完結かと思ったら(この時点で10時間弱)、2章に続くことがわかった。どうか失望をひっくり返してくれよ〜と思いながら読んだが、さらに失望する内容だった。

2時間弱でおわった2章は、武視点でのメインルートを振り返る、いわば「解答編」である。しかし、そもそも解答編が必要なほどのトリックでもないし、1章のおわりで種明かしをした時点でだいたい分かっていたことをひたすら見せられて退屈だった。スチルを使い回せるから制作側の都合はいいのかもしれないが、作品の面白さをさらに損ねる結果にしかなっていないのでは、と感じた。

最後に武が理紗の事情を聞いて自分と共通点を見出してちょっと好きになるのも、取ってつけたような感動展開でつまらない。(これに感動できる人は劇場版のジャイアンにも感動してそう)

だが、まだ完結ではなく、3章が解放された。これが真の最終章であった。
3章はなんとメインヒロインの理紗視点であり、いかにも理紗という人物にさらに感情移入してもらうためのパート、という感じ。視点人物にして幼い頃からの内心をプレイヤーに開示すれば共感が得られるだろうという浅い魂胆を透かし見てしまう。

また、理紗視点だと武(学)のボイスを聞くことができるが、それなら視点人物の理紗のボイスは無くていいと考える。まだ理紗を視点人物ではなく「ヒロイン」として客体化してしまっている。徹底できてない。

3章で良かった点は、理紗と渡会泉さんの出会い、交流が詳細に描かれていたところ。特に、理紗の罪悪感と関わるクリスマスミサ、キリスト教についての部分はちょっと面白かった。(といってもキリスト教・聖書の説明をしているだけで、物語としてそこまで評価することではないが)


・以下、クリア後の感想

最後の章をこうして理紗の一人称で締められると、本作の主人公は木村学でも武でもなく、彼女だったのだなぁという感じがする。武の真相とか正直どうでもよくて、理紗がいかに自分の「幸せになってはいけない。生きていてはいけない」という罪悪感に向き合って、少しでも前向きに生きていけるようになるか、という話だった。といっても、その過程がめちゃくちゃ丁寧に描かれていたとは思えない。

理沙は父から日常的に性被害を受け、母もそれを知りながら知らないふりをする……という、とんでもない家庭環境で育ってしまったことから、「私は普段から嘘をついて良い子を演じて生きてきた。それは悪いことだから罰されるべきだ」という歪んだ価値観・自罰的感情を形成してしまった。そこに "特別な人" として木村学/武が現れ、理沙は彼に執着する。学/武側もDV被害者だから理紗に希望を見出す。────要するに、酷い家庭環境で育った可哀想な男子と女子の共依存関係だ。ものすごく典型的。なんかいい感じのちょっと退廃的な恋愛ストーリーを作ろうと思ったらすぐに思いつきそうなテンプレ。

もちろん、ありふれた物語だからすなわち無価値だというわけではないが、陳腐な題材を選ぶ以上、それを陳腐にしないような様々な工夫、内容の水準が求められるだろう。そして本作は、残念ながらおおよそ陳腐な出来にしかなっていなかったように思う。

たしかに悲惨な環境で育ち、「じゃあ、何でつらいの? 生きるのって、こんなにつらいの?」と泣きながら吐露し、罪悪感に苛まれていた理紗が「一生懸命走りたいの。後悔したくない」と"影の"学に告げて、学を追いかけて2人で歩き出すシーンはそりゃあ表面的には感動的に映る。理紗よかったねぇと思う。

でも、それはそうなるように作っているからであって、その骨格は、可哀想で死にたがりな少女を1人配置して何やかんやで生に希望を見出させれば簡単に演出できる、チープ極まりない展開だ。

また、木村母が死んだ日と最後の夜のシーンの2回だけ理紗が出会っている "影の"(本物の)学くんという存在もかなりナイーブというか、感動的でシリアスな場面のためだけに存在が要請されたハリボテ以上の価値を見いだせない。それに、この本物っぽさを醸し出す第3人格を登場させてしまうことで、それまで丸々2章かけて描いてきた学-武という2つの人格の対比-相補的な関係の意義もかなり台無しにしてしまう。「もう全部この裏で操ってる3人目でいいんじゃないかな」感というか。

理紗は学も武も根っこのところでは同じ人間だとみなしているようだけど、しかしこの3人目とだけ、かなり重要な会話・約束を交わしている(万華鏡の件もこいつだけ覚えている)。

3人目と深夜に話す前、理紗は通常時(1人目)の学とセックスをしている。これは1章では話の最後を飾る大団円的な位置づけで、しっかりとHシーンが描写された。しかしなんと理紗視点の3章では「それから、私たちは、セックスをして、草の上に横になりました」のたった一文で片付けられている。これには流石に笑った。(と同時に、1章のシーンで全然心を動かされなかった自分は正しかったんだと確認できた。だって当の理紗でさえほとんど取るに足らない出来事だと認識していたのだから)

※「1章ですでに描写したから重複する内容は省略しただけでしょ。理沙が学との行為を軽く見ているわけではない」という指摘は不当だ。それは画面のこちら側のプレイヤーの事情であって、理沙の事情ではない。わたしたちの都合で理沙の独白が著しく歪められるとしたら、それは彼女の、そしてこの物語じたいのリアリティがきわめて粗末なものになってしまう。理沙が必死に生きてきたのは決してわたしたちのためではないはずだ。

つまり、この物語は実はNTRモノとして鑑賞することが出来る。

主人公の木村学は幼馴染の理紗とめでたく結ばれる。しかし、実は彼女が本当に心を許していたのは、彼の第2の人格の武くん────ですらなく、最終章のごく一部でぽっと出てくる"真の"学の人格だったのだ。自分の第3人格に最愛の幼馴染を寝取られる話。しかも本人はそれに気付いておらず(武と人格統合して万々歳だと思っている)、NTRだと認識できるのは画面のこちら側のプレイヤーのみ、という始末。

理紗がどう思っているかはかなり微妙かつ重大な問題だ。彼女の最後のモノローグ「学君に出会えてよかったと、心から想いました」の「学君」というのが、今彼女の目の前にいる第1人格の学のことなのか、それとも第3人格の真の学のことなのか、全員ひっくるめてのことなのか。

その少し前、朝1人で旅立とうとした学に理紗が追いついた場面で「思えば、私は、学君の前では、きっと何も隠すことが出来ないと、なんでもさらけだしてしまうのだと、最初に会ったあの時から、気が付いていました。私が、彼に何かを偽ったり、出来るはずがないのです」とあるが、第3人格にしか話していない彼女の大切な想い・悩みがあるなかで「なんでもさらけだして」いると言えるだろうか。

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もちろん、影の3人目も含めての「学君」のことを想って、その全人格の彼と一緒に生きていくことを理紗は誓っているのだと捉えることはできる。
しかし、普段の学からすれば、そもそも影の3人目がいることすら知らない状況であり、理紗と学のあいだには依然として決定的な情報格差(秘密)がある。

この秘密を抱えたまま、理紗は学と対等な関係を築くことは出来るのだろうか? 仮に彼女自身が対等な関係だと信じていたとしても、そんな状況の2人がこれから歩んでいく未来は幸福だろうか?

わたしには、かなり好意的に解釈したとしても、この結末を、そうした当人たちすら予期していない不穏な将来を思わせるビターなENDとしか思えないし、そうだとしても、そのビターENDがたいして面白いとは思えない。(より一般的な大団円のハッピーエンドだとしたら もっとしょーもない)


ネットの情報を見て、あわてて1章ラストの追加シーンを読んだ。

最後の夜、学は真の学と対話をし、その「指定席」を譲っているように見える。少なくとも、上で書いたような「学でさえ第3人格があることを知らない」わけではないようだ。
ここで第1人格が第3人格に譲ったのか、それとも第3人格が第1人格に譲ったのか(泣いているのはどちらか?)はちょっとよくわからないし、曖昧な形で人格が溶け合い統合されたとみなすのがいちばん穏当なのかもしれない。
この追加シーンにより、上述のNTR云々の妥当性は下がった。しかし、だからといってわたしの本作への評価が好転することはなかった。せいぜいちょっとだけマシになった程度だ。
なお、続編が小説として出ており、これを読まずには本作の真価を語れないらしいが、めちゃくちゃ高騰しててワロタ。


ここまでほとんど話の内容にしか触れてこなかったので、イラストやUI・システム面についても簡単に感想を述べる。



・イラスト

まず、立ち絵がめちゃくちゃかわいい。川原誠さん万歳

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文学少女にしては普段着がパンク過ぎる渡会泉さん(↑)もかわいいが、理紗が両手を腰に当ててふんぞり返った立ち絵(↓)が本当に良い。

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わたしが本作で自信をもって好きだと言えるのは、冒頭のインパクトと立ち絵の可愛さの2つだけだ。

渡会泉さんの立ち絵からもわかるように、ヘソにこだわりがある。ヘソから上に伸びる縦線とか、あと鼻とか、全体的に身体に陰影をつける絵柄らしい。立ち絵はかわいいのだが、Hシーンのヒロインの顔がどうにも微妙なことが多いと感じた。おそらく、真正面に向いた顔はいいけど、横や斜めからの顔だと鼻とかの陰影・凹凸をつける癖から変な感じになってるのだと思う。(セックス中は斜めからの構図が多いため)
それから、ところどころでギャグ・コメディタッチのイベントスチルがあって新鮮だった。



・システム

台詞表示時に発言キャラ名が出ないのが珍しかった。

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" 理沙「はい、よく出来ました」" のようにセリフの発言者名がでない

通常の、いちいち発言キャラ名が前につく形式が戯曲に近いとすれば、こっちは小説に近いスタイルだ。おかげで、ヒロインの台詞なのか主人公の台詞なのか一瞬判断に迷うことがあった。

また、冒頭のように、立ち絵を出さずに画面一面に文字がでるパートも結構あり、本作の小説的性格を高めていた。

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音響面では、ボイスが台詞表示に対して若干遅れて流れるのがかなり気になった。また、台詞のボイスがところどころ流れないときがあった。(修正パッチを入れても改善せず)
2004年の作品ということで、バックログ機能はあってもボイスリピート機能や「テキストを進めてもボイスが途切れない」機能は付いておらず、それらに慣れている身からすれば不便だった。

まとめると、本作はわたしにとって「いかにも」なエロゲだった。個人的にはひたすら陳腐な書き割りのように映ったし、その「書き割り感」をなんとか肯定的に捉えようと最後まで頑張ったが、いまのわたしの力量では叶わなかった。1章でそう感じ、ヒロイン側の視点に立った3章で印象が覆ることを願った────覆る萌芽は無いこともなかった────が、最終的には不満点が大量に残る結果となった。キャラゲーや抜きゲーではない18禁シナリオゲーとして「いかにも」な内容で、初めてエロゲをプレイする若者はもしかしたら楽しめるのかもしれない。

しかし、例えエロゲをやっていなくとも、『世界最後の日々』のように、小説・漫画・映画など他の媒体で本作の上位互換のような作品は山程あるだろうから、それらに既に触れている人はやっぱり楽しめない気がする。つまり、エロゲも小説も漫画も映画もアニメも何もかもほとんど一切触れたことのないまっさらなひとがやるのには丁度良いゲームかもしれない。

ただ、楽しめなかったといっても10時間ちょっとで完走できるコンパクトさは評価できるし、ルート分岐でもメインルート以外ではすぐにBAD ENDで行き止まりになるわかり易さは良かった。

評価の高い瀬戸口廉也作品に初めて触れるということで過度に楽しみにしていた節がないとはいえない。ただ、本作があまり楽しめなかったからといって、他の瀬戸口作品への興味が減退したわけではない。むしろ、このデビュー作からのポジティブな成長・変遷を感じられるかもしれないと期待している。とりあえず『SWAN SONG』は既に購入しているので楽しみだ。


※この記事は、エロゲー批評空間に投稿した文章をnote用に加筆・修正したものです。


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