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『車輪の国、向日葵の少女』(2005)プレイ感想


1年以上前にクリアして書いた感想メモを自分で読み返していたら、われながら「こいつめっちゃ真剣にエロゲやってんな……」と感動しておもしろかったので、コピペしてnoteでも公開することにしました。

全クリア月日:2001年9月6日
実プレイ日数:17日
総プレイ時間:32時間

※ネタバレ注意!!!!!!!
未プレイの方は絶対に読まないでください!!!!!!!


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※オールクリア後、4,5章の感想から書いています。
それより前の各章については、ずっと下の「プレイ中メモ」に書かれています。

【一言感想】
「夏×田舎ゲー」の代表作。普通のギャルゲーとしてだけでなく社会派シナリオとしても途中までは非常に秀逸だったが、尻すぼみに終わって残念。


うーん、正直4章〜5章終盤にかけてのシナリオはわりと安直というか残念だった。
もちろん璃々子のギミックはすごいけど、逆に言えばそれ(5章タイトル出し)がピークで、法月の脚や賢一のクスリのどんでん返しとかは予想の範疇で笑っちゃった(片足で立ってドヤ顔するとっつぁんかわいい)し、失敗に終わるとはいえ公開処刑前の演説パートも茶番感があった。
監禁フェイズはプレイヤーにも賢一たちの苦しみの一端を味合わせるためとはいえ冗長でキツかった。そのあと、エンドロール前のクライマックスがまたロッククライミングで、しかもお姉ちゃんに喝を入れられながらのオロナミンC根性論というのも正直弱い。
更には、ちょくちょく三郎との過去などの匂わせはあったとはいえ、法月が何やかんやでデレて許してくれる、というのも消化不良感がすごい。ファンディスクではなく本作内で法月の過去編もやらないと、1つの作品としてはどうしても評価が下がる。

本作のストーリーは、向日葵を抑圧に立ち向かう正義の象徴として、ディストピアな国家法規体制への反抗・改革を大きな軸として進んできた。
最終的にそれにどう決着・収集を付けるのかと期待していたら、結局あの公開処刑前の演説パートが描写としてはピークで、きわめて残念だった。
あんな1つの田舎町のごく一部の住人をちょっと啓発・扇動したところでしょーもないだけだ。
璃々子ENDでは5年後にとんで賢一が大統領になる直前を描くが、肝心の、どう国家を変えていこうとしているのか、変える努力をしてきたかは語られないうえに、きわめて微温的かつ建設的な態度に軟化している。現実を見て着実に国を少しずつでも変えようとしている賢一は、本編の彼よりも成長したのかもしれないが、一貫して政治システムの暴力性を描いてきた作品の結末としてはあまりに不誠実だと思う。あと There is no such things as society. はフツーにダメでしょ。独裁的な政治体制の反動で新自由主義へと傾倒するのはまぁ「SF小説の世界での」歴史にも合致しているのかもしれないけれど、少なくとも現代ではこの着地を素朴に称揚することはできない。
以上を鑑みるに、結局のところ本作における社会システムなどのマクロな描写は、ヒロインたちの感動&イチャイチャストーリーを刺激的にするためのスパイス程度の意味合いしかなかった、そのようにしか扱えていなかった、ということになる。まぁエロゲにガッツリ政治的な話を期待するのが悪いとはいえ、途中までは結構期待が持てたんだけどな〜〜。

というわけで、その「途中まで」──すなわち2章(さち編)や3章(灯花編)あたりまでは、単なるギャルゲーとして以上の面白さはあった。どちらの話でも、姉妹や親子というミクロな権力関係の問題を非常に丁寧に扱っており、それが本筋の社会問題へと繋がる構造も見事だったからだ。
しかし、どちらの章のエピローグでも法月の策略が仄めかされ、彼女らの家族関係の最終的な決着が、大きな社会システムの問題へと吸収され持ち越される形で幕を閉じていた。すなわち、その「持ち越され」たものを後の章でうまく処理できていなかったために、どうしても、2, 3章の物語も消化不良となってしまうのである。

したがって、社会スケールの物語としては(途中までは優れていたものの)尻すぼみの残念な出来におわっており、従来の一般的な感動ギャルゲーとして楽しむのがもっとも適切であった。


・各キャラクターの所感

ヒロインはみんな良い子で好感が持てた。さちのサバサバ感は好ましいし、甘える灯花はいじらしい。夏咲は過去と現在のギャップがありすぎて戸惑うこともあるが、ぼっちLV.100みたいななっちゃんには共感できるし、ボーッとしてヨダレを垂らしフラフラしているなっちゃんは可愛かった。過去のなっちゃんはあまりにフィクショナルな良い子すぎて若干引くが、まぁ再び胸を張れるようになったのは喜ばしい。璃々子さんは実質スター状態の極刑最強お助けキャラかつドSギャグキャラとしては面白いけど、個人としてはそんなに好みではない。背中ガチ勢。ルックバック。
磯野こと卯月セピアは最後まで黒幕なんじゃないかと疑ってしまうくらいに有能で良いヤツだった。……ほんとに三郎さんに憧れて意志を継いでいるだけなんだよね!?じつはまだちょっと疑っている。
法月のとっつぁんは悪役として非常に魅力的だった。作中で「威圧感がある」とか「怖い」とか「絶対に勝てない」とされるキャラクターを、プレイヤーにもそう感じてもらえるように描くことはとても難しいことだと思うのだけれど、さすがの文章力だった。特に、一瞬で勝負が決まるバトルではなく、ネチネチと相手を追い込んで支配していく尋問の恐ろしさが際立っていて見事だった。賢一がとっつぁんの部屋に呼び出されるたびに、彼が感じていた緊張感をこちらまでが感じさせられていた。それだけに、最後の負け方とデレ方にはちょっと納得が言っていない。FDをやれば好感度は上がるのだろうけど、絶対的な悪役としての魅力は損なわれそうでこわい。
途中まで、樋口三郎と法月のとっつぁんが実は同一人物だとしても驚かないぞ〜と身構えていたが、そうではなかった。(だって父さんCGで顔見切れてるんだもん……)


・夏×田舎ゲーとして

そもそも本作をプレイした理由は、「夏の田舎を舞台にしたエロゲ」としてAIRと並んで真っ先に名前が上がる有名作だったからだ。
その観点では……まず、山に囲まれた盆地の田舎町のいろんな風景CGは良かった。

本作でもっとも重要なモチーフである向日葵畑に関しては、単なる夏のエモの象徴としてだけではなく、向日葵が正義の象徴であったり、町の端っこに位置する向日葵畑が周縁性(社会構造によって虐げられている者たち)の象徴であったりと、重層的な意味を付与させていて良かった。

ただ、そうした社会構造や正義の話としてのプロットが尻すぼみだったので、読後感としては、向日葵=正義とか、向日葵畑=周縁性とかいう風にのみ捉えるのも、それはそれで杜撰というかナイーヴだという感じがする。向日葵の少女たちは強く清らかで美しい。それは間違いない。ただし、そうした少女たちの輝きを素朴に肯定できるほどにはシナリオに乗り切れなかった、というのが正直なところである。

また、田舎ゲー大好き人間だが、本作はいちおう舞台が日本とは異なる国でありファンタジー作品なので、そこもやや残念だった。あくまで(現代)日本のどこかの田舎町であるほうが、わたしの田舎エモ・センサーには嬉しいのである。まぁファンタジーじゃないと成立しないため仕方ないんだけど。

「夏」という季節設定も、各章ごとに夏の始まり・最盛期・残暑から秋口と、より細かな季節の移り変わりを描写していて良かった。これは、本作のヒロイン個別√が分岐パラレル形式ではなく、あくまで直列で順番に章立てて進んでいく形式だからこそ実現できている。この意味でも、「夏」設定と物語の構造が分かちがたく結びつき、印象深いものに仕上がっていてすばらしい。

各章でヒロインの告白を受けるか否かで恋愛プロットが分岐するが、メインの特別高等人試験というプロット自体はどちらであってもほぼ変わらずに進んでいく形式も非常に面白かった。ギャルゲーにおける「攻略」から「恋愛」要素を分離させるという意味で興味深い。本作では「攻略ヒロイン」とは「更生させなきゃいけないヒロイン」であり、そのためには恋愛ではなく当人の家族問題などを解決しなければならない。唯一、3人目に「攻略」することになるメインヒロインの日向夏咲だけは、その課せられた義務が恋愛と不可分であるために、必然的に恋愛へと、そして主人公たちの過去の清算へと話が収束していく構造も秀逸だ。(しかし、このために、他のヒロインと付き合っている状態での第4章夏咲プロットはかなり厳しい。さちや灯花が非常に物分りがよくわきまえた振る舞いをとることで、なんとか夏咲との関係を恋愛に持ち込まないまま清算している。正直これは目をつむりたくなる)


・例の仕掛けについて

正直にいうと、「叙述トリックである」ことは事前にネタバレを食らっていたので、最初からめちゃくちゃ意識してあれやこれや疑って予想をしながら読み進める羽目になった。全く知らない状態でも、明らかに「あんた」へと語りかけているために違和感は抱いたと思うが、そこからどれだけ考えを進められたかどうかは定かではない。
意識しながらでも、もちろん完全に予想し切ることは出来なかったが、近い類のことはかなり早い段階で一度は想定していた。あまりに馬鹿げているためすぐ放棄したが、ネタバラシされても「な〜んだ、ばっかじぁねえの」とはならず、ちゃんと納得して驚けたのは良かった。
ただし、このギミックは、明かされて「マジか〜〜〜。そうか、あれもこれも伏線だったのか〜〜〜」と驚愕して終わらせてしまっては非常にもったいないと思う。むしろ「このギミックが成立できている」という事実から、ADV/ノベルゲームの形式の奥深さを掘り下げる方向に進めるほうが、より意義深く面白い。(詳しくは下記のプレイ中メモを参照)

・システム面
古い作品だから仕方ないとはいえ、ボイスの継続機能がないのがキツかった。過去シーンへのジャンプ機能も欲をいえばほしい。あとエンドロールをスキップできないのが周回時に面倒だった。



以下、プレイ中のメモ

各章の詳しい感想などが書いてありますが、自分用メモなので非常に読みにくいです。


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第1章 特別高等人

賢一は誰に対して語ってるんだ?すごい独り言が多いし。

病気??体が震えているのはいつものこと?

倒れている少女の名前を忘れるわけがない? 地の文と賢一は別人なのか?


ええ……いきなりの銃殺。いきなりの選択肢

>遅刻したんだから当たり前か


話しかけてる「あんた」って誰だ?メタキャラじゃあるまいし

本当にさちは賢一の幼馴染で、この町は故郷なのか?

やはり「」の発話は、いくらモノローグ調でもじっさいに発声しているらしい。

森田山??

AIRといい、この時代のエロゲ男主人公はなんでこうみんな偉そうなんだ。若いのに(若いからか)

「なつかしの学園寮」?? じゃあなんでわざわざ灯花に案内させてるんだ?

ヒロインの名前・容姿・性格ひっくるめたキャラデザが全体的に古い。それが時代を感じて趣深くもある

「義務」の設定が、キャラごとの固有能力みたいでおもしろい。斬魄刀や個性みたいな。


2日目朝、なっちゃんを
>呼び止める

コインロッカーから生まれたって村上龍?

登校してすぐ寝ているさちを起こそうか
>やめる

起こしたらさちルート入りそうだし……まずはツンデレ委員長から

教室から逃げる
>夏咲を追う

あれ、なっちゃんとも昔馴染み?

というか日本やアメリカが出てくる海外SF小説みんな読んでるな。ストーリー上すごい重要そう

夏の田舎モノとして本作をプレイしているけれど、異国のファンタジーものだからどう受け取ればいいか戸惑う。
海外にエモを探して旅したいと思わないのと近い。

「あんた」と「姉さん」は別人なんだよね? どちらにも話しかけてるけど。

学生カバンに座敷わらし?


夏咲、マイペースおどおど系女子。
マイペース系でもAIRの美凪さんやガルパンのミカさんのような泰然自若なキャラのほうが好きだな。じゃあ森久保はなんやねんって話だけれど。

主人公が特別高等人であるという設定は、ヒロインたちに素で高圧的に接する典型的なエロゲ男主人公の態度へのエクスキューズとして機能しているな。
AIRの国崎往人は何の立場でもないのに偉そうだから言い訳がきかない。


1章おわり!!! 3時間ちょいか。

この田舎で7年前に起こった内乱の裏切り者、樋口なんとか君は森田賢一。そうでしょうね

え、3人のヒロインの攻略順が固定されているのか? 保護観察の順をとっつぁんから命令されたけれど。
でも分岐ではなく一筋のシナリオのほうが良いな


I cannnot afford to waste my time making money. なぜnが多い?


第二章 夢

お姉さんは都会の大学へ行ったのか。ほんとう?

今のところさちが一番好きだな。へそ出しの外見も好きだし、個人主義でサバサバしてて強かな性格もいい……働きたくないよね

絵を描くことで更生って、絵かきもトレーダーもほぼ変わらなくない?真面目に働くってどういうことだよ


さち、普通にかわいいな。シナリオ自体は今のところ典型的エロゲの家父長制&実は幼馴染展開でうーんだけど。


裸を見てさちと付き合う?めちゃくちゃ露骨な選択肢だしてきやがった。さちENDとTRUE ENDってことか?
>さちを選ぶ

もしかしてさちとのHシーンこの1つだけ?
告白成立からのスピード結合&即フェラ2回戦でめちゃくちゃ詰め込んでるんだけど。

こいつら付き合ってるんだよな?一夜明けて、まるで昨夜のことが無かったかのようにフラットに接していて違和感
もしかして、Hしない√と共有のパートなのか?

まなとさちの感動的なシーンを磯野がまさに「感動的なシーン」と評する。シナリオの陳腐さに自覚的なのか?
磯野は「プロット上重要なキャラ」だと自称するし、メタキャラっぽい匂わせもあるけど今のところは単なるギャグ描写の範疇

怠惰は罪ってものすごいディストピア

いくらいたいけな幼児が健気に願うからといって、正直そこまでさちが絵を描くべきだとは思えない。
本人が本当は描きたいと思っているならまだしも、今の為替で稼ぐ生活に満足しているならいいじゃん。
他人が過去を勝手に押し付けるのは暴力だし、それが「絵」という芸術であるがゆえにナイーブに肯定されてしまうの("芸術は留保なく良いものである"という思想)は問題があると思う。

植民地とか法務機構とか、わりとガッツリ政治の話なんだよな

田舎町の外れ(入り口)にある向日葵畑が、まんま周縁性(政治システムに虐げられている人々)のモチーフというのは面白いな。
単なるエモいアイテムにしないのはとても良い。というか向日葵畑が重要なのって夏咲だけじゃなくて全員(3人とも)なのか

まなの本名ムァヌーっていうのか。植民地国の住民を連れてきて名前まで自国のものに改定する行為はめちゃくちゃ酷いな……
あくまでさちの優しいエピソードとして描かれているだけに余計にたちが悪い。
名前にこだわらないからこそ「さちお姉ちゃん」ではなく「お姉ちゃん」と呼ばせて姉妹関係を取り結べたのだという点にも繋がっていて結構おもしろいけど。

いくら助けたからといっても、さちはまなに対して構造的な加害者であることは変わりない。それを無視したまま義姉妹のお涙頂戴ものとして進んでしまっているのがなんだかなぁ……
「お金がちょっと無いからってまなを奪われるなんて理不尽だよ」というけれど、お金の問題以前にまな(の国)はもともと理不尽な立場を負わされているのだし、その立場ではさち自身だって強者=加害者だ。
しかも、それを主人公森田賢一という男性(強者)がよりによって「お金」ですべてかっさらって解決に持ち込むというのがなかなかグロテスク。
これをグロテスクなものとして描けていれば大絶賛するのだけれど、正義にまみれた感動的な展開として描かれているからなぁ……
さちの絵が結局のところお金に換算されるものとして扱われるのも残酷。ある意味で筋は通っているが……

さちまなは義姉妹だけど、賢一(健)は実の姉がいるんだよな。


主人公が特別高等人(の最終試験者)という設定によって、ヒロインを攻略すること、救うこと、恋愛関係になるというエロゲのお約束が、ヒロインを"更生"させて義務から解放するという義務のもとで理解される。
そして、そもそも賢一が特別高等人になる目的は姉を救う?ことらしいので、実質姉が真のヒロインか。……夏咲が姉じゃねえよな?

冒頭からスチルとして印象的に登場している向日葵畑を作中人物が「絵で描く」というのはメタに面白い意味合いを見いだせそう。


「時間を無駄にしてはいけない」ってお題目があまりにもナイーヴに設定されていてビビる。めちゃくちゃ資本主義に侵されてる
主人公よ、お前もそれでいいんか。


いや〜〜ほんと、立場上仕方ないとは言え、主人公がここまでヒロインを「教育」するのは見てられないなぁ
おまえ何様だよというか、そもそも更生しなくていいじゃんと思うし、こんなお仕着せの道徳教育モノをやられてもしゃーないというか。
主人公の側に圧倒的な「正しさ」があって、それが作中で微塵も疑われないのが苦手(WA2はその真逆)

というか、マジで付き合ってる設定はどこ行った……


とか言ってたら2度目のHシーン
エッチのときだけ主人公の優越が崩れてさちに主導権がいくのね
……にしても、さっきまで主人公に泣きついてたくせにすげえ変わり身だな

そうか、賢一は幼少期の姉とのことがあるから、本質的にはマゾで服従する側なのに、(その姉を助けるために)普段は服従させる側を必死で演じている、というギャップがあるのか。そう考えると普段の賢一の見る目も変わる

→BAD END!!!!!
やっぱ甘やかしちゃダメだったか。Hシーンは見れたけど。
わりとすぐにBADで行き止まりになるのはありがたい。

パワハラの極み

「まなのためならなんでもする」というさちの姉妹愛に溢れた決意の空虚さをどんどん暴き立てる展開いいぞ〜

いちおう、この国がディストピアって自覚はあるんだな(無かったらヤバいけど)
さちが可哀想で仕方ない
まなの純粋無垢な優しさがさちを追い詰めていることが描かれていて良い

「絵を描くのがお姉ちゃんの幸せなんだから」って暴力以外の何物でもない
勝手に他人の幸せを規定するな
まぁこの国は人権意識とかが我々とは全然違うがゆえの描写だとして正当性はあるんだが

んーーーーーそうかーーー
この展開をどう受け止めたらいいんだろう
さちにとって嫌がること(まながいなくなる)を突きつけて脅迫させて絵を無理やり描かせているという最悪ハラスメントの構図は変わらないし、
まなの健気さがいっさいの疑うの余地なくまたもや強化されてしまったのもいただけない。

ただひとつ、さちに罪があるとすれば、それは絵を描かないことでも怠惰なことでもギャンブルをしたことでも周りに迷惑を掛けたからでもなく、まなを拾ったことだろう。
身寄りなく向日葵畑で暮らすまなを引き取るというのは一見、まなを救うこと、これ以上ない善行のように思えるけれど、いくらまな自身がさちに感謝をしていても、それはやはり構造的な加害行為ではある。拾って姉妹になったこと自体も、そのことを悪いことだとは思っていないことも、罪である。
親が子を産み、愛を注いで育てることが加害行為であるのと同じように。

まなが出ていくことによって、さちはその報いをここで受けたのだとすれば、筋は通る。
それだけでなく、まなの悪夢にうなされていた時点で、まなと過ごして言外のプレッシャーを感じていた時点で、その報いは始まっていたのだよな

姉妹モノでありがちだけど、彼氏の主人公いらなくね?軸がブレる

・・・そうか、向日葵は「正義の象徴」だったなそういや

そうきたか。
まながそこまでしてさちに立派な画家になってほしい気持ちは正直理解ができないけど、
やはり「まなを拾った」こと自体がさちの最大にして唯一の罪であり、それが清算されたと思えばきれいにまとまっている。

祖国に帰って性的に奉仕させられるのか知らんが、それでも非植民地国民が戦勝国に連行されてその地で差別を受けながら生きていくよりはマシなのかもしれない……いや、比べるものではないけど。まなの主観的にはさちと過ごしていたほうが幸せだろうけど、構造的には帰国するほうが正しいんだよな。それが、いくら物語の都合上、酷いことのように描かれていたとしても。
別に、人は生まれた国でずっと生きていかなくてはいけない、それが最も幸せで正しいことだ、と言いたいわけではなく、戦争と植民化という大きな政治的構造の上では、どんなに残酷でも、逆にどんなに当人が幸せでも、非植民地の住人が植民国の住人の家に住まわせられ、姉妹という家族=父権的共同体に従属させられることはどうしようもなく暴力的な加害行為である、という事実を反映した展開だと見做すのが自分にとってはもっとも都合がいい。

まなが去ったあとのさちの手元に残ったのは、まなのくれた画材道具。
さちはまなに鍾乳石をプレゼントしており、この姉妹は交換による結びつきのみが残った。
交換であれば、植民-被植民 という暴力構造の反復にはならないし、妥当な落とし所だと言えよう。


・・・そういや、これだけやっといて、まだ「真夏」ではないんだな。
ヒロインごとにパラレルに展開するのではなく、一本道で順番にやっていく形式だから、夏のより詳しいどの時期か、というのが物語全体にとって重要なんだろうな

・・・というか、さちとの恋人関係はどうするんだ??まさかWA2のように浮気展開なのか?
あの選択肢で恋人になっていなくても次章に進めるのか?

2章おわり!!!
最後の最後でどんでん返し。
えーっと、まなは祖国の王族に買い取られたんじゃなくて、さちを更生させ、画家として莫大な資金を稼がせるために法月のおっちゃんに買い取られたってことでいいの?「犠牲になった」ってまさか殺されてないだろうな
まなが国に帰ってないなら、上記の解釈は台無しになりそうだけれど……うーむ、でもさちの元を去ったこと自体は、さちの加害行為の清算として依然として機能しているよな。ただ、より大きな国家的な加害行為="車輪" によって、まなは更に酷く利用されてしまった……というだけの話で。
ディストピアものとしてちゃんと話をやってくれそうな気配がするので期待している。

おっちゃんは「特別高等人は社会の権化と知れ」というけれど、「(資本主義)社会の権化」だよな。



・3章

The child is father of the Man.  fatherって無冠詞名詞だっけ?

お姉ちゃんと健の回想
なんかお姉ちゃん、プロローグの向日葵畑でおっちゃんに即銃殺された女子に似てない?伏線?

健がボケで璃々子がツッコミ役。・・・相変わらず本作のギャグはひどい

お父さん家にいたの?姉とふたりっきりかと。

姉が去ってから夏咲たちと仲良くなって、父が反旗を翻したんだな
そりゃあ夏咲たちは璃々子に会ったことがないわけだ。

璃々子は「中央の大学」に進学したのではない疑惑。「助けて」もらいたがっている。

そういや、この田舎町は山に囲まれた盆地で、海も湖もないんだよな。AIRと違って。川はある。
地理性を考えたい。そういや賢一は最初、どうやってこの町に帰ってきたのだろう?電車?バス?まさかの歩き?
璃々子たち、町から出る者はどうやって出ている?

<ヒロインの口癖一覧>
さち:よーしっ、今日もぴりっと頑張るぞーっ!
灯花:ぶっ殺すぞ!
夏咲:どもどもです。

このように口癖で安易なキャラ付けをしようとするところからして古臭い。(ま、いいけど)


親が国に申請すれば我が子に「大人になれない義務」を負わせることができるだなんて、ヤバすぎる
ただでさえ原理的に拭えない、親の子に対する暴力性・抑圧性を誇張したかのようだ。
どうせ、実は深い事情があって愛する我が子のために義務を負わせていたのでした的などんでん返しがあると予想するが、暴力は暴力だからなぁ
それに、親子関係だけでなく教師と生徒という抑圧関係も重ねられているのか。
これはこの2人の話は根深そう

小さいときからこれだけ家庭内で抑圧されていたら、理紗みたいにひどく内向的で自罰的な子供になってしまいそうではあるが、灯花は未だに母の言いつけに素直に従わないことも頻りで、強い子だなぁと感心する。


・・・というか、前章のさちとまなも擬似家族・疑似姉妹の根底にある暴力構造とその解放の話だったから、本作では一貫して家族の抑圧構造についての話をやるんかな。健と璃々子もそうだし。まぁ自分がそういう話として受容したいだけ、というのも大きいけれど。
そもそも特別高等人からして、親ではない人間が国家権力によって強制的に親(義親)になる装置であるともいえる。


子供を「素晴らしい人間」にしたいのに、命令で生活を縛りまくる「大人になれない義務」を課す親って馬鹿げているにも程がある。
親もそうだし、この法律自体が馬鹿げている。それをどうプロットで扱うのかに期待


家庭の団欒、家族という父権的イデオロギーを体現する共同体を微温的で害のないものであると喧伝したいがためのプロパガンダとしての「食卓」
それを取り戻すストーリーになりそうだけれど、それで根本的な解決になるのか?やっぱりここの家族も解散したほうがよくない?

母親の京子さんは堕胎経験あり、と。


さちと会うのね。良かった。・・・こいつら付き合ってるんだよな?

あえて刑務所を設けない理由は、国家・世間(シャバ)自体がひとつの大きな刑務所だから。監獄の誕生

大音親子は昔は都会に住んでいた。京子さんは堕胎&離婚済み

3名のヒロインを順に攻略していく妥当性の外的な理論武装としての「特別高等人」
すべてのエロゲ主人公は潜在的に特別高等人候補生だった・・・?

怖すぎ。サイコホラーじゃん。灯花の口癖「ぶっ殺すぞ」は賢一の幻聴???
完全に月島さんにはめられた一護の心境


生き別れの父親に会いたいと願う娘・・・『ピュリティ』あるいはワンエグのリカ


自炊はしないけど食事はみんなで集まってするんだ。サプリメントなら集まる必要すらなくない?
しかも食べ終わった人からとっとと食卓をあとにするし。

州境?州なんだ

町の地図(というか鳥瞰図)きた!!!これで勝つる!!!!!

各章で向日葵畑が出てくるが、それぞれの少女・物語にとって向日葵畑がどんな存在なのかは異なるのではないか。

さちにとって向日葵畑は、昔描いた絵のモデルであり今現在そのトラウマに打ち勝ってまなのために絵を描くための場所、いわば "勝負所" だ。
灯花にとって向日葵畑は、自分を縛る母親から離れて町を出て父親に会いに行きたいが、検問官に追われて逃げ込んだ "逃避先" だ。そして「この町自体が大きな監獄なのかもしれない」という賢一の言葉通り、灯花を義務のなかに閉じ込める壁の意味合いもある。
夏咲は物語冒頭に向日葵畑で倒れていたし、想い人「健ちゃん」が帰ってくるのを待って佇んでいる場所でもある。"逢瀬の場所" といったところか。

自分が町から出られないこと知らなかったんか・・・


いや、京子さんは十分に灯花を縛っているしあの家は娘にとって地獄だろう。なに「普通の家庭の親でも同じ」だよ。
2章もそうだったけど、賢一は結局のところ道徳的で保守体制側の人間だという言動をしてイライラする
ファーwww 自分たちは両親がいない。片親がいるだけマシだと思え、って最悪の説教やん
そして灯花に「わたしちょっとぜいたく言ってた」と言わせてしまう脚本・・・
2章のように最後で賢一の正しさが崩れる展開になってくれないとマジで困るぞ

京子さんは親としてヤバいけど、これはさすがに「ヤバいこと」として描いているのでまぁセーフ
2章で姉妹関係と支配国-被植民国の暴力性を扱ったが、今回はがっつり親子関係の暴力性だ。


法月のとっつぁんの圧迫誘導尋問、怖いけどシーンとしてかなり良く出来てる。見事に洗脳される灯花がよく描けている
母親のもとで奴隷みたいな生活を送っていた(それに気づいていなかった)灯花が「自分は奴隷だった」と自覚してそこから自立しようと決意すること自体も、もっと大きな抑圧者による洗脳の範疇である(ことに気づいていない)という・・・なんて皮肉で痛ましい

一人になって自堕落になったからって、灯花が悪いってわけじゃなくない?
自分のなかにルールをしっかり持てないのは、長年義務で縛られていたのだから当然のことじゃん
賢一は(そして国家は)アフターケアをちゃんとすべきなのに、賢一まで「灯花が悪い」と思っているのには心底軽蔑する

にしてもこのBAD ENDのCGいいな・・・BAD ENDで気にいるのって珍しい
パンチラにちゃんと意味があるCG
灯花の無感情な声の演技もめちゃくちゃ良いし、「委員長」だった設定も見事に回収している
TRUE √がこれを越えてくることは難しいんじゃないかな・・・

「特別高等人候補生」の設定ってBAD ENDにも一定の説得力を持たせる装置としても機能していると思った。
普通のエロゲでのBAN ENDって冷静に考えると意味がわからない。恋愛・人間関係でBADもなにもないし、BADでも人生は続くし(死ぬ場合はあるけど)
でも、本作ではヒロイン攻略はあくまで「試験」であるから、明確に失敗がありうる。
BADの存在は最終試験の難しさ、および人が人を管理することの難しさを描いているとして肯定的に評価できる。
もちろん、試験なんかなくても人が人と関わっていくことは途方もなく難しいことなのだけれど、
本作ではそうした交流に、あくまで「特別高等人の最終試験」という制度を当てはめている。
これはヒロインと交流していちゃいちゃすることに都合よく理屈を付けるための、その気持ち悪さを "隠蔽" するためのものではない。
むしろ、その暴力性を決定的に明るみに出して物語上で検討を加えるための装置として機能している。
この点がメタエロゲ・エロゲを批評したエロゲとして非常に評価できる。

それから、灯花の担当は3人中で2番めだから、担当が外れたら次は夏咲に行くし、さちとは既に円満な形で担当が終わっている。
この「次に担当している子(夏咲)」と「すでに担当を終えた子(さち)」に賢一が挟まれている感じが面白いなと思った。


・・・まぁ予想はできたが、いくら他に露骨なクズキャラを作って「実は京子さんは灯花のことを想っていた」方向に持っていったとしても、
京子さんが灯花にしてきたことは虐待以外の何物でもない。それをなぁなぁにしてイイ話でまとめるのだけは勘弁してくれ〜〜
まぁ2章も姉妹のイイ話っぽくまとまりかけたところでまさかの結末になったし、本章でも期待はしているが。

磯野、毎回すげえ有能な「こんなこともあろうかと」要員で草
・・・マジでメタキャラなのか? 樋口健と森田賢一について何か勘付いているようだし

京子さんと灯花の関係の真実
・・・なるほどなぁ。疑似姉妹の次は疑似親子か
確かに京子さんが灯花にしていたことはひどいことだけれど、それも京子さん自身が親から受けた虐待があとをひいているもの。
つまり、全ては構造的な問題が大元にあって、京子さんだけを罰すればいいというわけではない。
灯花の義務をはやく解消しなかったのも、過去のトラウマと法月のとっつぁんの仕業な部分もかなり大きいだろう。
こうした、より大きな社会的・権威的システムに問題を帰すのは2章とも同じだな。やはり法月のとっつぁんがラスボスか
灯花が風呂で寝たり電柱に頭ぶつけたりといったドジ行動まで伏線だとは思わなかった。

あと、結局あのサイコホラー幻聴沙汰は未解決で、賢一自身の問題(おそらく最後の√で解決されるやつ)ってことでいいのかな

それから、灯花の部屋の窓からの景色が夜間はダンボールか隣の家の壁みたいなので遮られてるっぽいのは何なんだ?伏線?

構造的な抑圧の連鎖を断ち切るのは灯花のいい意味での弱さ、バカさ、優しさ。
それも、「もう連鎖をいっさい引きずらない」などと高らかに宣言するのではなく、「でも、やっぱり、ちょっとは引きずっちゃうんだろうなぁ……」と等身大かつ真摯な着地をするところに好感が持てる。灯花もいいキャラだなぁ

3章これ終わりどころを見失ってない?まだ山があるのか?

あと今のところ灯花とのHシーンないけど、まさか2章でさちと付き合ったから?
章および高等人試験の進行と、ヒロインとの恋愛の進行は独立している?? (前者とは別に後者は好きに選べる。ただし誰か1人のみ)
もしそうだとしたらかなり斬新な構成ではないだろうか。


灯花は「最弱キャラ」という形容が相応しいほどに色々と脆く、イジりやすいキャラクターではあるんだけど、その弱さが単なるコミカルな個性にとどまらず、
この地味で重苦しいシナリオ上で、いかに灯花が弱い存在かますます刻銘に描かれていく。この辺りがとてもうまい。

親の暴力性だけでなく「子供」の脆弱性までここまで踏み込んで描くのか。
子供に全てを任せたら無責任・放任で、全てを決めて縛ったら過干渉・虐待

そして、親子関係だけでなく、特別高等人候補生の賢一という権力的存在に灯花がすがる様を描写することで、その抑圧性と、その巨大な権威に重力でひかれるようにすがりつきたくなる子供(弱い人間)までを射程に捉えている。
物語の主人公は才能があって特別で「活躍できてしまう」がゆえに、ギャルゲー文脈においてヒロインに対して優位(=抑圧的)な立場から彼女らを「救う」ことができてしまう、しかしその救うという行為は彼女たちの自立性や主体性を損ねる1つの暴力行為に他ならない。
すげえなぁ・・・兄弟、親子や国家機構といった権力空間を描きながら、同時にエロゲという権力空間をも重ねて議論している。
ディストピアものかつメタエロゲだ。

なるほどなぁ。支配-被支配の関係の肯定。
階級制というか選民思想というか。虐げられる側に灯花はアイデンティティを持って、主人公にすがってしまう。
しかも、バッドエンドの1人で自立しようとして堕落するのとは真逆でありながら、結果的に(CGの雰囲気まで含めて)似た方向に着地しそうになっている、というやるせなさ。
ニーチェでいう奴隷道徳というやつか。(ちがうか)

うわーーーー
そしてここにきて、灯花が賢一に委ねた大事な選択を、さらにプレイヤーに(仮想的に)委ねる、という階層性・・・
これどっち選ぶのが正解とかあるの!?そもそもこれバッドではない??



"灯花にとって、この母親は弱すぎる" か・・・本当に弱いのは灯花じゃなかったということか。

これって2章のさちとまなの関係をなぞっているように見えて実はブラフ?
さち ー 京子
まな ー 灯花

という。3章では救う(更生させる)べき対象が攻略ヒロインではなかった。
そしてまなのように灯花は自身の庇護者に対して無垢で健気な献身を捧げる
しかしまなは最後の最後でさちの絵を認めなかった。灯花は?

虐待を受けた子供は全てを自分のせいにする・・・CARNIVALを思い出す


"自分が必要だと思う人間に対して、揺るぎない信頼を寄せる真っ直ぐな瞳"
"怖いほど、子供じみた眼差し"

これまで「弱さ」としてのみ描かれていた灯花の依存癖が、京子に対しては「脅威」すなわち「強さ」へと反転して作用している。

"親でも子でもなく、ただ、人と人が、お互いを必要とし合っていた。"
これはどうなんだろう。なんか「これは百合/BLなどではない。人と人の結びつきなのだ」的な言い回しと似た欺瞞を感じる。
だって、京子さんと灯花はどう考えても親子だろう!?親子だからこそここまでこじれて、親子だからこそ灯花が京子に救いの手を差し伸べられたんじゃないか。
そこを、こうした言い回しでなにかより高尚で尊いもののように表現するのには納得がいかない。
この表現をしたのは地の文つまり賢一(おそらく)なので、まぁ作品自体の主張と完全にイコールではないのだけれど。
賢一にはそこをわかっていてほしかった。

え、結局、親子は代行サービスだったの違かったの!?
とっつぁんめ……!後味悪すぎぃ!!!
まぁ、たしかに全く顔も声も立ち絵もないのが不気味であった。せめて一度面会はしようよ、と。
その意味では灯花の選択はじつはきわめて妥当な案なのだと思う。すごく理性的かつ合理的な判断。

でも、やはり2章も3章も未解決の問題を残す形で終幕している。課題は次に、最後の√に引き継がれている。

「子供」性についての話だった。
まぁ灯花はじゅうぶんに立派な選択をしたと思うよ。
結局は幼少期のトラウマから嫉妬で狂ってしまった京子さんがいちばん子供だったのだけれど。

まぁしかし、虐待被害者である子供がその"生来の"優しさで全てを許し受け入れる──という筋書きは、表層は感動的だけれど、
結果的に被害者側のひとり損なので、現実的には問題含みである。

ただ、ここでは優しさが(虐待を受けていたことによる)優柔不断さ・自立できなさと結びついているのが面倒くさい。
つまり、灯花の優しさ=優柔不断さは決して "生来の" ものではなく、それまでも京子さんの抑圧の結果である、というもの。
とすると、どこまでも京子さんのマッチポンプというか、自分が子供を傷付けたことによって、その子供を「自分を許してくれるように」育てた、とも言えるわけで、やはり灯花は大きな抑圧のなかから逃れられていない。
灯花の優しさ、「子供らしさ」が京子さんたちを縛る、連綿と続く抑圧の連鎖を完全に断ち切ったわけではない。
やはり灯花もまだその渦中にいる。断ち切ったこと自体が、まだ断ち切れていないことを自己言及的に示すという絶望的な構造
これが社会構造への絶望につながる。

法月は、国などの社会構造という「わかりやすい悪」に飛びついて責任を他者になすりつける者たちを「豚」だと糾弾したが、保守・体制側の人間のプロパガンダとしてはこれ以上ないくらい筋が通っている。そりゃあ、自分らが支配している民衆がみんな「社会じゃなくて自分に責任があるんだ。私が悪いんだ」と思ってくれたら権威を維持できて好都合だよなぁ。でも、そんな民衆こそ「豚」ではないのか?
社会構造に反抗することと、社会構造を粛々と受け入れて搾取に甘んじることのどちらが「思考停止」なのか

あーーあと、結局灯花とのシーンは一度も無かったけれど、これは2章でさちと付き合ったから?
でも、さちとも全然付き合ってる描写ないし・・・
まさかシーンがあるヒロインとないヒロインがいるわけがなかろうし・・・
でも物語的に賢一が大音親子に付け入るすきはない気もする。


灯花と付き合う√がないか調べるために、さちの裸選択肢まで戻る
あぁ、ここで「いまさちを受け入れたら今後もさちだけを愛するし、他の女の子とこういう関係になるなんて許されない」と言っているのがマジだったのか。
こういうパターンのエロゲもあるんだな。浮気するエロゲしか最近やってないから、単なるフリかと思っちゃった。ごめん賢一

「あたし5分だけ凹んじゃった!」とか、さちさんポジティブというか健気すぎる・・・ほんと良い奴だなぁ

2章エンディングスタッフロール あれ、灯花√エンドのときスタッフロール無かったような
にしてもまじでHシーンないままさち√終わった。・・・ってことは、グランド√true のためには誰とも付き合わないまま行く必要がある?
このシステムは、ヒロインを救って義務から更生させるという「仕事」(シナリオ)と「恋愛」を完全に切り離している。二者択一ですらない。双方がもう一方に影響を及ぼさない。
これは画期的かもしれない。
本作は「恋愛シミュレーションゲーム」では決してない。ヒロインを「攻略」する、ということは付き合うことでもHすることでもない。
本作のような構造がどれだけエロゲで一般的なのか(他にもあるのか)がわからない。


3章
→お、新テキストが!!!これは灯花と両想い√入りそう

お、「夏咲に会いに行く/さちに会いに行く/やっぱりどこにもいかない」の選択肢でさちの選択肢が消えている。これは付き合ってないからか。

あれ、灯花とのシーンに行けない。まさか存在しないなんてことは・・・

もう一度3章はじめの選択肢から
→(京子さんを救い出して親子関係が修復したところで)夜這いきた!!!!!

>部屋に行かない
あ〜〜賢一が振るんじゃなくて、そもそも灯花に告白させないのか。なるほど〜〜
→たぶんそのままtrue

>部屋に行く
・・・これ、もしさちと付き合ってたら灯花はそもそも夜這いに来なかったのか?それとも、夜這いには来るけど賢一が断るのか?
毎晩キスしとんのかーいw
激あまあま。かわいい。めっちゃかわいいけど興奮はしない
腕の火傷痕を隠すために服を脱がせないのかっこよすぎる
→いくつかCG無しのイチャイチャがあってTRUE END
こころなしか、さちのときよりもしっかり恋人っぽかった気が。


さちとも灯花とも付き合っていない√で4章を始める



4章 手のひら

What force is more potent than love?


健の回想
客観的には健はなにも悪くなく、自分の命を優先して当然だが、健の主観では皆との約束を裏切ったことが大きな罪なのだろう
あとお姉ちゃんは大学を退学して父さんと共に革命活動をして捕らえられ強制収容所にいるらしい
父を殺しお姉ちゃんを捕まえたのは法月のとっつぁん

夏咲ちゃんはおどおど気弱系なのか天然マイペース系なのか、両者がなんか変な具合に混ざっている印象
しかも幼少期は正統派の真面目天使美少女だし

「言われたとおりに生きるのが楽」というのは灯花っぽいけど、こっちは義務でそうしているわけじゃなくて自発的なもの


なっちゃん、素でけっこう性格と口が悪そうなのがいい


ぼっちガチ勢だなぁ

校舎の工事おわってる!

社会と自分自身に失望しているなっちゃん、自分か??

なつみちゃんとの幼少期回想、すべてがテンプレ展開。
クラスのマドンナ女子がなぜか自分を特別扱いして親切にしてくれるが、そのことで男子たちからいじめられる(リーダーは地主の息子!)
男子の妄想。僕ヤバ
ただ、このシナリオもどんでん返してくる可能性が高い。気が抜けない

というかマジで親父の教育どうなってるんだ。息子が学校行ってなくても何も言わないとか

のんのん最終話のれんちょん!?

「「現実に、こんな少女いるわけがない。」」

自分を頑なに拒絶する人間と距離を詰めるためには、相手に自分への罪悪感を与えればいいのか。なるほど

なっちゃんは健だと気付いているから賢一をじろじろ見つめている?


高等人の職権を濫用して、なっちゃんとデート
これまで、ヒロインを「攻略」することが、恋愛から切り離されて高等人の仕事としてこなされてきた。
しかし夏咲の義務は「恋愛できない義務」であり、その解消・更生には必然的に恋愛が関わってくる。
ヒロインを攻略するという暴力性を高等人の社会的地位によってギリギリ合理化してきたが、そのラインが今回は崩れそう


幼馴染ヒロインとの感動の再会
ヒロインに格好つけて接近する気持ち悪さを、「過去にあなたが自分にしてくれたことをそのままやり返しているだけだから」という文脈でカバーする戦略
でも、要するに、幼い頃に卑屈だった自分にさんざん優しくしてくれた上に、いまでは卑屈になったヒロインを思い切りリードして優しくしてあげて気持ちよくなれる、という得しかない案件。なかなか上手い方法だとは思うけど。

BLEACH5巻チャドの巻頭歌

ヒロイン と 被更生人 って発音似てるな

ヒロインたちを更生させ、夏咲をかつての明るかった夏咲に戻す過程であるとともに、森田賢一が樋口健へと戻るリハビリテーションの過程でもある。

恋愛の行き着く先は体の接触だから「異性に触れてはならない=異性を好きになってはならない」になる、というのはエロゲじゃないと成立しない理屈でよい

夏咲の両親、収容所じゃなくてもう死んでそう

とっつぁんは賢一の最終試験に夏咲の更生を選ぶことで、完全に樋口健としての過去を振り切らせようとしているのかな

「誰かに水をもらえなくても、自然の雨が降りますから」
「おれたちは、自然を切り開いて社会を発展させてきたんだよ?」
いきなり社会スケールの話になった。
ここでの「自然の雨」とは、夏咲にとってなんのことだろう?
すぐあとで「社会」を拒絶しているから社会保障とかじゃないだろうし……


夏咲の過去独白。とつぜんテキストの表示形式が変わってびびった

さすがにカサブランカの蕾より段違いに文章がうまい

「もうすぐ秋ですね」のあとに山に登って、高所だから一足先に秋めいた風が吹いてくる、というのも上手い
高度とか地理的な空間性を、季節という時間性へと結びつけている

うわ〜。露骨な悪人だけでなく、はじめ親切にしてくれた善人でさえも、最終的には「男」となって誘惑関係に変質してしまう、というのを、
本人の口から、回想CGなどを一切挟むことなく、冷静に語られるのはなかなか迫力がある。
「本当のお父さん」なら自分を性的な目でみないはずだ、というのはまだ世界を甘く見ている気もするが、まぁ夏咲の父親は普通にいい人だったのだろう。


あの山を抜けると炭鉱のある小さな町にたどり着く。
山に囲まれた盆地


そういや、こういう分岐のあるノベルゲーム形式だと、大事な登場人物が自殺したりしても、その重みがそれほど感じられないのでは。
だって「あぁBAD ENDか。別の選択肢を選べば死なないんだろうな」と想像できてしまえるから。
ノベルゲームでの自殺は、普通の小説や漫画や映画などにおけるそれとは質が異なる。
仮にその死がどの√でも避けられないものだとしても、その不可避性がプレイヤーに認識されるのは、すべての√を見尽くしてからであって、彼女が自殺したその瞬間ではない。""ノベルゲームでのヒロインの死の重みは、いつも遅れてやってくる""──このように言えはしないだろうか。
もちろんこの原理的な「遅れ」は、自殺・死に限らず、あらゆる行為・動作・イベント等に敷衍できるだろう。

↑の「遅れ」だが、夏咲と健が再会を果たしたのに、本当の意味でお互いが再会を認識できるまでにはかなりの時間がかかったという「遅れ」をなんとなく想起させる。あるいは、本当は最初からどこかでなんとなく気付いていたが、必死にその重大さを、いま自分の目の前で大事なことが起こっているのだと認めることが怖いような、その怖さが遅れに繋がるように思える。

ここで実相寺アングル──1/3分割構図

え、とっくに校舎の工事おわってブルーシート取り除かれてなかった?


さち、灯花、夏咲
正義、慈悲、愛
向日葵の少女たち


ここで4章が終わった!!!
次の章への繰り越しのため、ちょっと短め

これまでの章と同様に、いやそれ以上に、少女の穢れのなさと強さをナイーヴに礼賛した典型的にお涙頂戴で都合の良いプロットだ。
三秋縋やいま流行りのライト文芸なんかでいくらでも似たような物語を探せるだろう。
大したことはない、はず、なんだけどなぁ……まぁ、そこそこに感動はさせられた。
しかし、本作はずっと、暴力的な社会構造の話をしてきたはずだ。まだ終わっていない。さて、最終章がどうなるか。



5章 車輪の国


I shut my eyes in order to see.

樋口健が法月に会って高等人を目指し始めたのが7年前。
夏咲が尋問され義務を負わされたのが4年前。



法月の最終的な目的は、監獄の誕生や死刑の導入といった法改正なのか、それともマジで森田賢一を自分好みの特別高等人にすることなのか

・・・あぁ、やっぱりずっと賢一の後ろにお姉さんが付いていたのか?
存在を認められない義務だから、他の人もいなかったことのように振る舞っていると。

あらかじめ叙述トリックだと知っていなければまぁ驚いたかもしれないなぁ
大音家のソファで傍若無人に寝そべっていたとか草。ある意味やりたい放題の最強状態じゃん。「無敵の人」か?

上述の「気づかないふりによる(本当の意味での)再会の遅れ」はこの件にもまさに言えるな。

常に近くにいたわけじゃないのか。恩赦祭やさちとの洞窟探検、夏咲を担当していた最近は別行動していたと。

お姉ちゃんの大学時代、灯花とは都会ですでに知り合っていたと。

璃々子視点ではルックバック
賢一視点ではルックバック(してはいけない)

立ち絵が映る通常時の画面デザインでは、主人公の背後にいる人物は決して画面に映らない。
ノベルゲームの形式をうまく利用したギミックだといえる。

この「前しか見えない」「背後は画面に映らない」という定理は、ノベルゲーム形式における主人公の(誤用じゃない正しい意味での)""世界観"" について掘り下げるときに有用そうだなぁ。前半分というか、きわめて限定された角度でしか世界を捉えられない、ということだもんなぁ。
ちょっと違うけど、解離性同一性障害のギミックがエロゲで多用されるのも、一人称形式と相性が良いからだろうな。
とはいえ、それは一人称小説でも同じだ。ノベルゲームならではじゃない。

ノベルゲームにおける一人称の特性
小説の一人称とは異なる。視覚情報が加わるから。とすれば映画や漫画とは違わないのか?
(一人称映画ならともかく、一人称の漫画ってあんまり見たことないけど)
あとは、FPSに代表される、ノベルゲーム以外のゲーム形式との比較も必要だろう。

それから、「喋ってテキストボックス上に台詞として認識されないと基本的に立ち絵が出ない」という点も重要だろう。立ち絵だけでなくテキストボックスだって画面のいち部分を占めているのだ。
つまり、後ろにいて視界に入れないようにしていたから画面に映らなかったというだけでなく、璃々子がいっさい声を発さなかったから(台詞や立ち絵が表示されずに)画面に映らなかったのだ、という面も確実にある。(WA2 Coda冒頭の冬馬BGVとか例外はあるけど)
これもボイスという聴覚情報があるゲーム形式ならではだろう。小説では聞こえていても書かない、ということが可能だし、漫画もまぁフキダシ等として書かなくてもギリセーフか。(有声)映画はさすがにキツいから、ノベルゲームと同等だろうけれど。

あぁ、ジュラルミンケースに大量の下着が入ってたのもそういうことか。かなり前のことだからすっかり忘れてた。
(なぜ学校の人たちはドン引きしていたのか?姉のものだと知った上で、ドン引きしないと姉を認識していることになっちゃうから、ドン引きの演技をしていたってこと?)

やる気のないお粗末なBAD END

向日葵畑を絵に描いて残そうとするさち
メタに読みたくなっちゃう

そうか、まださちは健だと知らないのか……

灯花と璃々子はどういう関係だったんだ……
大学進学して内乱前に一緒にいたんだよな

にしても、樋口健を知らない灯花が幼馴染メンツのなかに1人混じっているのは興味深い
それでも異物感がなく、しっかり打ち解けているのも良い
灯花と璃々子が知り合い、というのもこの点でバランスがとれている

でこでこでこりーんの伏線回収〜〜〜www
ぶっ殺すぞ!もか……例のサイコホラーはなんなんだろう

そういや、磯野の隠れ家の内装が健の家のレプリカなのは背景CGの節約という面もあるのか……

さちが璃々子にタメ口なのとても良い

やっぱり樋口三郎と法月のとっつぁんは昔馴染みの学友……五夏か!?


""振り返ることが許されないほど、お姉ちゃんはすぐ後ろにいたのだ""

「相変わらず、綺麗な背中してる」

「社会の中にいるのに、まるで牢獄に閉じ込められているようだったわ」


極刑がどう考えても最強というか、当人よりむしろ周囲に負担を強いる義務であることがここにきて非常に有用になるのは、
社会のルールに散々振り回されてきたからこそ、それを逆手に取って一矢報いている感がある、という意味でも良いかもしれない。


テキスト全画面表示は賢一ではなく完全な三人称か。

璃々子さんの大学の専攻は哲学ってことでいいのかな

「彼らは、また深い理由もなく、降って沸いた社会悪が真実であることを期待した。」
単に大衆を味方につけてうおおおおと盛り上げるのではなく、こうして大衆の愚かさを描くのは良い

うーむ………せっかく社会構造の暴力性を糾弾しているのに、家族や子供といった家父長制や血族主義は素朴に礼賛してしまっていて非常にもったいない。
祖先の義務を国家が自分に負わせるのも、子供を産んで幸せな将来を期待するのも同様に一方的な抑圧行為では。
反出生主義的にダメだというよりも、本作が描こうとしているテーマ自体の一貫性を損ねるからよろしくないと思う。

""馬鹿ばかりだった。親族の安っぽい遺言に呑まれ、興奮している。""
いいぞ夏咲をいじめていた少女!

うーん………まぁ一貫して姉妹や親子、兄弟といった家族の話をしてきたので、ここで素朴に家族の尊さを主張するのは理にかなっているのかもしれない。
でも、単に家族を礼賛していたのではなく、その内部の暴力性、家族という社会構造に必然的に伴う権力勾配を取り扱ってきたのだから、最後までちゃんとそこに向き合ってほしい。
また、ヒロインで唯一夏咲だけは家族メインではなく健との恋愛メインなので、その意味でも異端であって興味深い。(まぁ母親との関係は語られているけど)


「たとえ何度踏み潰されようとも、向日葵はまた、太陽に向かって花を咲かせるのです」

向日葵をあまりに素朴に、文字通り明示的に正義の象徴とすることにも、ちょっと賛同はできない。
僕らのエモの象徴たる向日葵をそんなお仕着せの正論や政治性で染めるな!という主張は、政治から距離を取ろうとする立場がもっとも色濃く政治的な立場である、という論によって退けられるか?


なるほど。ただひとり内乱の重みを知らず、健たちと昔馴染みではない灯花だからこそ、璃々子と昔馴染みである灯花だからこそ、璃々子に扮するという展開は上手い
しかも3章の「決断が苦手」という文脈まで汲んでくるのか!!やるな〜

""人間は身体という器に支配されている"" by法月
人間は社会という監獄に支配されている。身体という社会

灯花への精神攻撃だけ税金の無駄遣いとかいう明らかに弱いので草

知ってた

ええ……そこで「身体」の存在の肯定につなげてくるのか。ちょっとワロタ>吸ってたクスリを実際に調べて体験してみないとわからない

そうか、まだ誰とも恋愛関係になってないからまた選び放題なのか

灯花は欲張りで選べないことを美徳としているからなぁ

完全にオロナミンCのCM
最後の最後は仲間の友情パワーと根性論

ここで選ばせるのかい

>お姉ちゃんと社会の変革を

とっつぁーーーん・・・ツンデレのとっつぁーーん・・・

エンディング曲の最後まで行く前にエンドロールが終了して、尺余りでタイトルロゴがずっと映ってることあるんだ。

そのための選択肢かーい!!w
台無し感が・・・


璃々子√おわり

There is no such things as society.
ポストモダンな社会構築論か?

これまでずっと社会構造や革命の話をしてきたのに、なんだか急に微温的で堅実で保守的な結末になった。

攻略サイトを見ながら他のEND埋め

さちEND
まな・・・大きくなって・・・

灯花END
灯花のご両親との会食。ちゃっかり磯野まで大音家の食卓についてるの草

2人とも、夏咲にフェアじゃないからといって、試験が終わるまでは正式に付き合っていないことにする。めちゃくちゃ物分りがいい。わきまえる女たち……
まぁさちも灯花もすごく良いやつだから不自然ではない。
賢一側も一途であることを絶対に貫くようにできている。

さちの2つ目のシーンはBADのときだったが、灯花は普通にtrueの√中で2シーンある。

あれっ!?!?
どう選んでも夏咲ENDにならずにハーレムENDになってしまう。おかしいな


夏咲END
最初っからやり直したらできた

かまいたちUSJのネタみたいなことやってる
日向夏咲=山内健司 説

あ、夏咲√だと賢一は国の改革を諦めるんだ。

オールクリア!!!





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