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TVドラマ『カルテット』(2017)感想


ふだん(実写)ドラマは滅多に観ないのだけど、去年アマプラで『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021)を観てとても面白かったので、同じく佐野亜裕美×坂元裕二のタッグ作品である『カルテット』もアマプラで観てみた。

『大豆田とわ子』の感想は惜しいことに残していませんでした……どこかにメモしたような気がするんだけどなぁ……。



5/28(日) 1, 2話観た。
さすがに面白いっちゃ面白いんだけど、とにかく「謎」(嘘)をてんこ盛りにして物語をドライブさせていこうとする姿勢が根本のところで気にくわない。「良いシーン」もつくろうと思えばいくらでもつくれまっせ、感もなんだかムカつく。というか、そうやって量産体制からつくられた「良いシーン」が真に良いシーンになるわけがない。
1話観終わってまずはすぐに軽井沢-東京間の距離感を調べたよね。『映画 ゆるキャン△』を思い出すバイタリティ。
あと「夫が失踪した翌日にパーティに出席してこんな笑顔で写真に写れるでしょうか」ってさすがに人間を舐めすぎだろう。なにその「外身にあらわれているものがすべて」的価値観。実写ドラマってこわーい

6/1(木) 3, 4話観た。
すずめ回と家森回。3話のすずめ回はさすがに直球のお涙頂戴過ぎて面食らった(泣いたけど)。幼少期に「天才超能力少女」としてTVに出演させられ、ヤラセがバレて一生の十字架を負わされた恨みがある「嫌な父親」の死に目に娘として会いに行くべきか否か。そんなの真紀さんが優しく手を握ってあげながら力強く言い聞かせてあげるまでもなく、「全然会いに行く必要はない」だろう。すずめを徹底的に「可哀想な被害者」として造形し、仲間内で救い合って連帯を深めるプロット……この骨子にはまったく乘れないが、すずめの風変りな性格などのディテールが上手いからなのか、なんやかんやで感動はしてしまう。「みぞみぞしてきた」の謎は解けなかった(そもそも出てこなかった)。

『大豆田とわ子と三人の元夫』といい、『花束みたいな恋をした』といい、崩壊した〈家族〉のオルタナティブをいかにして打ち立てるか、が坂元裕二作品のひとつのテーマとなっているのかな。新たな家族像・共同体像の模索というか。そこで本作では軽井沢という東京からほどよい距離にある避暑地が舞台となっている点は重要だろう。
今のところ『カルテット』はめちゃくちゃヘテロ中心主義なので、『とわ子』での親友・綿来かごめや終盤の女性同性愛の描写はかなり挑戦したんだなぁと思う。

4話の家森回は……小学生の息子が一人いて妻とは離婚調停の別居中という設定をぶっこんできて、これまでチラチラ見せていた怪しいヤクザ的な男たちに追われて脅されている件はそれほど重大ではなくあっさり解決してしまう代わりに、妻への愛憎と息子への愛と、自身のどうしようもないクズさ・愚かさに焦点が当たった、なかなかに難しい回だった。被害者属性100%のすずめ回とは好対照に、妻に「お前と結婚してなければ今頃は……」という禁句を発してしまった家森の(それでも息子と暮らしたいから今さらやり直そうなどと楽天的に提案してしまう)加害性が糾弾される。エロゲとかで男主人公にこういう展開が起こったら死ぬほど好みなんだけど、家森のことはもともとあんま好きになれないし、「息子のことは好きだから息子の前だけでは自己満足のために良いお父さんであろうとする」というのも嫌いだ。自分のようにバイオリンを習わせようとするところなんかも気持ち悪い。そうした、典型的な、有害な男の〈父親〉としてのロマンを徹底的に糾弾するプロットではあるので評価したいといえばしたいけれど、最後に息子とバイオリン二重奏をお店で披露させるところとか、タクシーで去っていく息子(と妻)に手を振って、ひとり泣くシーンをクライマックスとして置くところなど、まだまだ家森に「甘い」面は目立つ。だから、古き悪き〈父親〉を葬るというよりは、粛々と弔っているような印象をもつ。このバランス感覚が非常に人気ドラマ的というか、坂元裕二的というか、現代的というか……。っていうか、前話から続いて、「子供に自分の身勝手を押し付ける有害な父親」の話をやってるんだな。

あと、毎話思うけど、このドラマ、ちゃんとした音楽好き・弦楽好きには合わなそう。音楽を人間ドラマの演出道具としか認識していない感じが。とりあえず毎話、その回で焦点を当てた人物に(思い出の曲を)いい感じに演奏させるシーンを入れりゃあそれっぽくなるでしょw 感がある。

4話終盤、真紀の自宅で夫の靴下を片付けようとしない真紀に対して猛烈なアプローチをかける別府には笑ってしまった。真紀の夫をベランダから突き落としたのは真紀であるらしい、というこれまた衝撃の告白とか、家の扉がガチャガチャなって鍵を開けて入ってくる謎の人物とか、衝撃の事実・謎でとにかく来週まで視聴者の気を惹こうという週ドラ的な姿勢が慣れてないのもあって食傷気味です。ミステリーが苦手なのにも通ずるところがある(←謎で物語をドライブさせるつくり)。

今気づいたのは、4人のうち男性ふたり(家森、別府)はみんなから名字で呼ばれているが、女性ふたりは……すずめは下の名前で、マキは巻 真紀というハンバート・ハンバート的な上と下が同じ音なので、どっちのつもりで呼んでいるのか分からない。「男は(結婚しても名字変わらないことが多いから)名字呼びだが、女性は(名字が変わることが多いから)下の名前で呼ばれる」という非対称性を攪乱するかのような非常に示唆的な設定である。


6/2金
5話 カルテットぬか喜び回
上げて落とす。ベタ(泣ける)

6話 巻夫婦回
説明過多。
『花束みたいな恋をした』のやや年増ver.みたいな。
義母に夫との馴れ初めや心情を詳らかに語るなんてあり得ないでしょと思うけど、離婚を決めていたのならすでに真紀のなかでは義母じゃなくて赤の他人だったなのかもしれない。(まぁ舞台が教会の最前席で神に向かって告白していたってことなのだろうけれど。)
語り終わって義母が態度を豹変して真紀のことを認めて信じるようになったのもようわからんし嫌い。これも告白者の神聖に触れたってことなのか。
たほう夫(クドカン)のほうの告白を聞いたすずめも一転彼を見下して強気になるのもようわからん。クズ男認定したら高圧的に出れるのか。(神への告白の対応付けをしたらすずめ=クドカンにとっての神ってことになる)

6/4日
7話 離婚回
殺人したかと思わせといてふつうにナシにしてコメディ始めるの、『花とアリス殺人事件』みたいで好みではある。さすがに同じ手段使い過ぎてウザいけど。

8話 再出発回
内容あんま覚えてないけど、再び四角関係恋愛痴話が再燃したというか、ここで燃やし尽くすために色々やっていたような気が。家森さんってすずめちゃんのこと好きだったのか。そして家森さんのことを好きな人は特にいない、と・・・。

6/6火
9話 真名発覚-任意同行回
展開とか台詞回しとか演出とか色々と下品だよな~ おもしろくなくてもいちおう感動して泣きはするんですけど。
(元)義母とかあの富山県警とか(あとアリスとか)露骨にコロッと嫌なふるまいをしてくる人物を配置するの、雑だなぁと思う。あと、カルテット4人のなかでも特にすずめと真紀の女性同士の関係に力点が置かれているのもあんまししっくりこない。満島ひかり演技上手いのにあんな形骸的な台詞言わされててかわいそう。なーにが「好きはこぼれるものなんだよ」だ。
家森さんが癒しキャラ・一筋の清涼剤と化している。はじめからそうだったかも。

10話 最終回
お~わり!!! うん。まぁ、なんだろうな・・・やっぱ4人でわちゃわちゃしてるときがいちばん面白くて、変にシリアス衝撃展開入れなくて良かったのでは。「大人は秘密を守る」ってことで、最後の最後で真紀さんが本当に義父を殺していたと明らかになるのをやりたかったのだろう(こぼれるのは「好き」だけでなく正反対のものもってことだ)けれど、現実の視聴者は作中の週刊誌や世間とは違うので、マジでどうでもいいんだよな……どうせやるなら、ほぼ被害者の加害行為じゃなくてもっと振り切ってほしかったとも思うけど、この作品の希求するトーンはこういうものなのだろう。なんだかな~~終盤で一気に合わなくなった感はあるな~~ カルテットの関係を美しく楽しく尊く描くために、それ以外の世間やら他人やらを雑に露悪的に設定する脚本が苦手だ。そんなものを利用せずとも、いや、利用しないほうが、この4人を魅力的に描けたと思うんだけどなぁ。。そもそも「ドーナツホール」=「みんな欠けたところがあるからこそ魅力的」という中心テーゼからして本作の人間観の薄っぺらさを示しているとはいえるが……。

そういえば当初は「全員が片想い」的なのもキャッチコピーであったと思うけど、その恋愛要素もそんなに前景化しなかったな。いや、8話でそこは終わらせて、あとは「恋愛」がないことになった仲良し男女4人組の話にして着地させていた。恋愛モノが後景化したこと自体は別にいいけど、そうなると代わりにやることが、しょーもないお仲間の絆礼賛テーマにうっすい音楽モノのガワを被せたものだったので残念だ。音楽ドラマとしてはまじで酷かった。fox capture planの劇伴は良いんだけどね……。あと最終話の車中特殊エンディング演出も良かった。

まとめると、最終的にはそんなに好きじゃなかったとはいえ、たくさん感動したし普通にそこそこ楽しめはしました、というかんじ。『大豆田とわ子』のほうが刺さったなぁ。





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