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コンパッション都市/コミュニティの目指す世界とは -アラン・ケレハー先生との対話を通して見えたこと-

この記事は、個人としての感想文です。「コンパッション都市」提唱者のアラン・ケレハー先生と4日間共に過ごし、対話をして得た気付きを私の経験と視点から言葉にしてみます。この記事の感想・批判・シェアは大歓迎です。この記事がまちづくりとケアを担う日本各地の方々に少しでも参考になればと願っています。

"I'm very confused..."
私はとても混乱していた。

アラン・ケレハー先生来日企画の最終日。
総括イベントもいよいよ終わりに近づき、各参加者が締めのコメントを述べる時、
私は自分の順番が廻ってきてもそう答えるのがやっとだった。

一方で、そう答えられる環境こそが、コンパッションな場だとも思えた。

コンパッション都市/コミュニティは、医療福祉従事者だけではない、あらゆる分野、世代の人々に通じるパブリックなテーマだ。
200ページ超えの著書を読んでも私の理解は追いつけておらず、この記事でも到底伝えきれない。

それでも、どんな質問も誠実に返してくれるアラン先生との対話を通して、彼の言葉を咀嚼することで、少しずつその輪郭を掴み、同時に自分の今までの思考と活動の浅さも思い知った。
まだまだ理解も実践も追いついてはいないが、その一部だけでも言葉にしてみたい。

「コンパッション都市」提唱者のアラン・ケレハー先生は、グローバルに活躍する医療社会学者だ。
オーストラリア出身で社会学を学び、医療福祉専門職の資格を持たない最初の緩和ケア講座教授となり、その後は日本、アメリカ、カナダなどの教授を歴任した。
2024年は英国ノーザンブリア大学教授として来日した。
専門はpublic healthとend of life care。
直訳すると公衆衛生と終末期ケアだが、少し日本語の意味合いと異なる。
特にパブリックヘルスについては、「いかに社会を変えるか」という政治・市民活動の意味合いをより強く感じた。

アラン先生が『コンパッション都市』を書き下ろしたのは2005年。
日本語訳が出たのは2022年だが、日本国内で医療福祉と地域づくりが近づいてきた今だったからこそ、医療福祉の分野を中心に衝撃とともに注目されている。
既に日本でも「社会的処方」や「コミュニティナース」などといった言葉とともに「病院の中だけで解決できない患者さんの課題を地域で解決しよう」という動きは広まってきている。
私は本を読んだ当初はそんなムーブメントの一環とも思えた。
しかし彼と対話を重ねて、医療者以外の人々にも届けるべき、より包括的で社会的な運動だと実感した。

彼との対話で特に私が特に学びとなった4点を振り返りたい。


1. 双方向のケア

コンパッション都市を理解しようとする時、まず「コンパッション」という言葉のぴったりな日本語訳が見つからずに悩んでしまう。

しかし、アラン先生は「名前は重要ではない」という。
例えば、みんなが親しみやすいなら「リンゴ」という名前の運動でも良いんだ、とまで言った。
むしろ、日本では敢えてカタカナのまま訳された馴染みの薄い言葉がタイトルになったことで、「コンパッションってどういう意味?」という質問が出て本質の意味を捉えるきっかけとなると言える。

コンパッション都市の概念の中心には、"together"「共に」という考え方がある。
臨床家の視点では、ケアとは、他者に対して何をするか。
一方で、コンパッションとは、私達が共に何をするか。

地域の中では誰にでも病気、高齢、悲しみや死別があり、ケアを提供することもある、という前提のもとで、双方向の関係性にあることが最も重要なのだ。
ケアを提供する人々も学ぶ姿勢が重要であり、死別した人やその家族、地域の関係者から更にケアを学ぶことができる。

実際、コンパッション都市を実践する世界中の街では、全く違う名前のプログラムが数多く存在するが、根底にある「共に」という双方向のケアを意識しているからこそ、共通のプログラムとして認知されている。
「共助」という言葉が近いかもしれないが、助けるだけではない。
もっと自然に、日常生活の導線上で、好きなこと、ワクワクすることを共有する機会を作り、交流の中で共に支え合う経験を提供することだ。

2. 死と喪失について

コンパッション都市の主な関心の対象は、高齢、病気、死、喪失だ。
背景には、WHOの健康都市憲章への批判、緩和ケアサービスへの批判がある。

健康都市の考え方に代表されるように、医療福祉分野は"health and well-being"「健康と幸せ」を達成するために環境を改善し社会を変えることに関心を持っていたが、死や死に逝くこと、介護など誰もが遭遇するはずのことにほとんど関心が向いていなかった。

元々、死や喪失は地域コミュニティの多面的な関係性の中でケアし合っていた。
ここでいう喪失は、アイデンティティの喪失を含み、少数民族の文化などに限らず、母親になると「◯ちゃんママ」と名前で呼ばれなくなるなど身近な例もある。
死や喪失、高齢などはネガティブなイメージが多いが、ポジティブな側面もあり、多面的な関係を重視するコミュニティであれば、死に逝く過程も、喪失経験も健康と言える。

緩和ケアが資金不足に陥った時、ニーズに応じてサービスを提供する方法論の限界をアラン先生は指摘した。
医療福祉の専門職化もどこまで続くのか。
実際、病気や死が迫っていても人も、医療の専門職と過ごす時間はわずか5%で、残りの95%は1人、家族や知人と共に地域で過ごしている。
この95%ルールを考えれば、専門職サービス提供で5%の時間を改善するより、コミュニティ形成により95%の時間をいかに豊かにするかに向けて、地域住民と専門職の協働が必要だとわかるだろう。

3. パートナーシップとリーダーシップ -医療者はまちで働かなくていい-

私は今まで、病院の中で解決できない患者さんの背景の課題を、地域内の繋がりの力で解決するために、離島や都市部で活動に取り組んできた。
同じような想いを持ち、まちに出る医療者も日本各地で増えているが、ほとんどの人が病院の勤務時間とは別に、仕事終わりや休日に活動している。

仕事ではないからこその自由や楽しさもあるが、自主性に頼り続ける以上は多忙極める医療現場内での理解や仲間は得られにくい。
地域活動が長期的に健康に貢献することは研究でも分かっているが、仕事として時間をかけられない状況にモヤモヤとしていた。

そんな同じ悩みを抱える病院スタッフの方が、勤務時間を削って地域活動時間を作っていることを打ち明けた時、アラン先生の回答にとても衝撃を受けた。
「医療者は医療者として求められる仕事をしてください。地域で活動しないで良いのです」
どういうことだろうか。

多忙な医療者は、community work/地域活動を自ら運営してもいつか限界を迎えて持続可能ではなくなる。
医療者自らが主導する活動は、短期的で一方的なサービス提供になる危険性が高い。
まちに出る医療者には、地域活動を運営する市民とパートナーシップを組み、より大局的なcommunity development/コミュニティ形成の視点から、市民と共に進む方向を示すリーダーシップが最も求められている。

「多くの活動で医療者がコーヒーを出しているけれど、地域の人がコーヒーを出す状態が理想的ですね
「この関わり方なら、あなた達のコンパッション都市の活動は週2時間で十分できるはずです」

また、私達が関わる活動が、持続可能かどうかを確かめる簡単な質問もあるという。
あなた達が参加をやめたら、その活動は次の日も続いているか?
もし活動が無くなるのなら、それはパブリックヘルス活動ではなく、専門職のサービス提供だ」

アラン先生の言葉を受けて振り返ってみると、
私が今まで地域で活動してきたものの中には、サービス提供となるものも多くあった。
また、地域を知る・関係性を作るという目的もあったからではあるが、地域活動に参加する時間を取りすぎていたのかもしれない。
もちろん活動の立ち上げ期は大変だし、時間の投資が大事なこともある。
しかし、最終的に市民の手で自走するというゴールを忘れてはいけない。
活動が自立すれば医療者が余裕を持って関わることができ、負担が少ないと分かれば関わりたい医療者も増えていくだろう。

病院内ワークショップにて
医療者・地域のケア職と対話を重ねた

4. パブリックヘルスの実践に向けて

冒頭でも述べた通り、コンパッション都市/コミュニティは、医療福祉従事者だけではない、あらゆる分野、世代の人々に通じるパブリックなテーマだ。
医療福祉の専門職にとってエビデンスは大事だが、それだけで社会変革は生まれないという。

「例えば、西洋医学は1000年の歴史上95%がエビデンスがないまま信頼されてきました。腫瘍学は1945年〜1970年頃までほとんど成果を挙げられませんでしたが大量の資金が投資されました」
歴史上、効果が証明されていない分野に資金が流れることも多かったという。社会変革を生むためには、政治経済的な訴え、いわゆるロビー活動が重要だ。

医療でも地域でも現場が好きで、政治や資金調達は苦手意識のあった私には新鮮なメッセージだったが、「ロビー活動」の想像がつかなかった。
どうすれば良いのだろうか。

アラン先生の答えは明快だった。
「あなた自身の喪失体験をシェアすることが変化を生みます。あなたの経験を相手の物語に接続できると成功することが多いのです」
たしかに、アラン先生の話を聞いた後、病院の経営者のような人達も
「私の父も亡くなる時は、、、」
「私自身もそろそろ考えなければいけないと思っていました」
と自分ごととして語っていた姿が印象的だった。
「医師も政治家も、誰かの家族であり1人の人間として平等です」
社会学者として、科学的に正しいことを相手を信じて伝え続けてきた彼だからこその重みがあった。

また、社会変革にはトップダウンとボトムアップの2つのアプローチがある。
Compassion Cities/コンパッション都市は、Citizenship/市民権の意味を含む社会生態学的なトップダウンの活動
Compassion Communities/コンパッションコミュニティは、草の根のボトムアップ活動
と、アラン先生は位置づけた。
「草の根運動と政治運動は同時に、両方向から進めることが大事です」

終わりに -connecting dots-

4日間、アラン先生と共に過ごし、人々が互いに支え合うより良い心豊かな社会に向けた熱いメッセージを、数え切れないほど頂いた。
彼は世界中の街の変革に関わってきたが、その代表例としてイギリスのフルームを何度か取り上げた。

フルームは2019年に私が留学した街だ。
当時は英国内で制度化されたばかりの社会的処方のモデルケースとして勉強をしたが、フルームはコンパッションコミュニティも実践に取り入れていた。その結果として、緊急入院率は5年弱で14%低下していた。

アラン先生の言葉とともに、フルームで出会った人々と取り組みを振り返ると、社会的処方としても、コンパッションコミュニティとしても本当に素晴らしい街で学べたと実感する。
当時私がフルームで学び、コロナ禍を経た変化を更に取材してまとめた内容については、共著としてまとめた。

私が目指す世界の一歩先として、5年を経てまたフルームと繋がることができた。
当時お世話になったヘレンとジェニーにメールをしたら、とても喜んでくれた。
日本の中でも、世界でも、同じ目標を持つ人達がいる。

コンパッション都市でも、社会的処方でも、言葉が最も重要なのではない。
言葉は私達の足りない視点を気づかせ、目指す世界の方向をはっきりさせる羅針盤だ。

地域の文脈に合わせて、共にケアしケアされ、生まれる前から死んだ後まで、地域の人が主役になり続けながら、草の根と政治両面から住みよい社会に変えていく。
そんな考えをこれからも広め、実践していきたい。


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