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「授業はお好み焼き」なのだ。

「学校の先生をしている」と伝えると
ご自身の学生生活を思い出す人と、
いわゆる青春学園ドラマを思い出す人がいる、ということが
ここ数年でわかってきた。

というのも、
「学校」というキーワードを、中から見る人と外から見る人に分かれると思っていて
中から見る人は、自分の頑張り、勉強、部活、学園祭などを思い出し、
クラスの親友、部活の仲間、憧れの先輩、可愛い後輩の裏に
「背景」として存在していた「先生」を思い出すらしい。

逆に、外から見ている人は、もう完全にドラマのことを思い出すようだ。

「先生」になってから学園ドラマを見ていると、ふと、違和感を覚える。

「授業」のシーンが全くないのだ。

あったとしても、授業中に主人公が手紙を回したり、こっそりとメールを送りあったり、周りの生徒の会話を聞いたりという場面で
授業はあくまでも「背景」として扱われる。

どの職業でも同じだとは思うが、
ドラマや映画での職業の取り扱いは、あくまでフィクションで、デフォルメだ。

ドラマの中での「先生」は
生徒に熱く青春を語り、昼夜問わず生徒のもとに駆けつけ、
時々、職場の中で恋をしている。
最後の一文はさておき、生徒に関わることは全て「生徒指導」である。
もちろんこれも大事な仕事だが(勤務時間問題とかは一旦置いておいて)
先生の仕事の本分は「授業」なのだ。

教師の多忙化が叫ばれて久しいが、
一体教師が何の仕事をしているのか、わからない方も多いと思う。

「何がそんなに大変なのか?」
「夏休みは休めるんじゃないの?」
と、思うと思う。普通に。何なら私も思ってる。

「一応公務員なので、夏も平日は普通に勤務日ですよ」というお答えは一旦脇に置いておくとして

ドラマの中の「先生」のように、生徒指導に駆け回る事例は、どちらかというと少ないと思う。

学校にもよるし、教えている児童生徒の実態にもよるし、部活動を担当しているかどうかでも変わってくるけれど
それでも、一番大切なのは授業で、一番時間を割いているのもきっと授業なのだと思う。

児童生徒は(※小学生は児童、中高生は生徒、と呼ぶ)
朝学校に来てから、少なくとも5時間は授業を受けることになる。

その時間が、勝負なのだ。

授業と、生活指導を分けて考えている方もいる。
別に、考え方に正解も間違いもない、というのは大前提だけれど

私は、授業の中で生活指導をするもの、だと思っている。

行動が気になるお子さんがいれば、授業の中で、みんなと一緒に直せるように働きかける。
対症療法でやっていたって、埒が開かない。追いかけっこになるだけだ。

「国語や算数で生活が変わるの?」
変わるし、変える。
それが私のポリシーだ。

授業の中で、集団でみんなが心地よく過ごすためのマナーを学ぶ。
授業の外でも、「みんなで心地よくね」と声掛けしたら同じように振る舞えるように仕込んでおく。
授業は教科書「を」教えてるんじゃない。教科書「で」教えているのである。

ここ3週間くらい、この辺りの話がずっと胸の中にモヤモヤと溜まっていて、うまく発散できていなかったけど
ようやく今日少し、まとまった。

授業はお好み焼きなのだ。

勉強っていうのは、内容もそうだけど、
思考の道筋とか、考え方とか、資料の探し方とか、ノートを自分が分かるように取ることとか
生きていくのに欠かせない技能を身につけるために必要なこと。
私にとって、勉強は、嗜好品ではなく主食なのだ。

「腹落ちする」という日本語がある。
私はこの言葉が好きだ。
知識は頭に入るものじゃなくて、お腹に入るものだと思っているから。

授業をするときに
どう見えるかばかり気にして
教材の見た目に命をかけたり、保護者に受けのいいプリントを手作りしたり、
まるで活発に発言が飛び交っているかのようにサクラを仕込んだり
そんなのは、お好み焼きの本体なしに、ソースや青のりだけかけているようなものだ。
ソースの掛け方だの、青のりの散らし方だの、鰹節を目の前で削りますだの
トッピングとか見栄えだけ気にしていても、お腹は膨れないし、美味しくない。
学びの世界に「映え」は後からついてくるものなのだ。

見た目は悪くても、ほかほかのふかふかで、具材がたっぷり入ったお好み焼きを私は食べたいし、
そういうお好み焼きを子どもたちに提供したい。
大きなお口でお腹いっぱい食べてほしい。
何なら、おかわりもしてほしい。
そういう授業がしたい。
苦手な具材があるかもしれないけど、それはこちらがわかって、食べやすいように調理してあげればいいだけ。下茹でしたり、細かく刻んだり、他の味と混ぜたり。それが教師の仕事の根幹だと思うのだ。
それだけやっても食べてもらえない時はあるけれど、それはお客さんが悪いのではなく、料理人の落ち度である。お客さんの口に合うように、研究を重ねるだけだ。

振り返りシートで「よくわかった」に丸をつけた人が何人いたとか
全体の発言が何回出たとか、主任にウケる授業をできるとか
そんなのはどうでもいい。

大事なのは、子どもたちのお腹の中に何が残って、
子どもたちがちゃんとお腹いっぱいになって、
その元気なお腹で、次の学びに向かえていること。

腹が減っては戦はできぬ。

子どもたちを、ワクワクの学びでお腹いっぱいにできる先生になる。
それが私の仕事のポリシーだと、そう思う。



#仕事のポリシー

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