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第1回勝手に月評 -住宅特集2020.11月12月号-

0.はじめに 

こんにちは、M1の村上です。
門脇研では昨年から行ってきたgpz(月評ゼミ)を今年も継続する運びとなりました。今年からの新しい取り組みとして構成員がnoteにて「勝手に月評」を執筆し、議論を世に開く試みを行います。時折ゲストとして多方面からの専門家をお招きしますが、本noteにて記される「話者」と「意見」は必ずしも本人の意図に合致しないことを初めに断っておきます。あくまで学生が自身の責任で建築を「勝手に」批評する場、として暖かく見守っていただけますと幸いです。

本年のgpzに関して↓


-取りつく島のなさ-


昨年1年間新建築の読み合わせを行う中で、建築家による建築の語られ方がたびたび議論になりました。特に現代の雑誌では技術論や、環境性能、開発の建付けなど「正しいこと」だけが語られる場合が多く、読み合わせの中では納得感こそあれ、批評する際の取りつく島のなさに批評のむずかしさと一抹の寂しさを感じていました。
ここでの「取りつく島」とは、「建築が社会的に、あるいは建築作品史上の位置づけが可能か」という意味で用いていますが、昨年の1年間でこのような建築の見方も門脇研に随分となじんできました。
今年から研究室のセミラティス化の取り組みの一貫として、月評の読み合わせを他研究室を巻き込んで行っているわけですが、読み合わせの中で門脇研のメンバーでの議論が盛り上がる作品とそうでない作品が分かりやすく別れる場面も多く、ゲストにお招きした島田陽さんにはまた違った観点で建築をとらえる視座をご教示いただくなど、良くも悪くもこの1年で門脇研の「建築のみかた」が醸造されていることを痛感する機会となりました。


-豪邸はいかに批評可能か-

特に11月号は規模の大きな豪邸がいくつか掲載されており、その読み解きのことばが見つからず苦労しました。
オプティカルグラスのリヤド(中村拓志&NAP建築設計事務所)は低層の住宅地に立つ、ガラスブロックのファサードが特徴的な住宅です。NAPはこれまでOptical Glass Houseで同様の取り組みを行っています。この時は8車線の前面道路の喧騒という切実な敷地条件にこたえるべく、都市からの遮断ではなく、むしろ接続の方法としてガラスブロックが選択されていて、内部にはフィルターを通した幻想的な光庭を獲得し、都市側からは2階のレベルにガラス越しの庭がぼんやりと浮かんでいるような立ち現れ方をしていました。
しかしながら、本作では構成は類似しているものの、前作程の外部因子からの切実な要請は紙面からは読み取ることができず、「静かに暮らしたい」という施主の要望に素直に答えたという以上はこちら側から踏み込めない歯がゆさを感じます。
また、「豪邸」に対する回答として、ガラスブロックの目地から派生した組石というコードで全体をコーディネートする手法は全体を通して上手くコントロールされている印象を受けますが、一方生活像や空間と目地の関係性はこの広大な敷地ではむしろ希薄化していて、豪邸ならではの回答と言えるかはいささか疑問でした。

尾根の屋根(長谷川豪建築設計事務所)も山間部のヘアピンカーブのそばに立つ、セカンドハウスであり機能的にも立地的にも社会からはある種切り離された所に位置する住宅といえます。本作はヘアピンカーブの喧噪と、尾根に広がる有機的な世界を切り分ける装置として円弧を描く大屋根が用いられており、エントランスの下り階段とその先の屋根によって切り取られる見晴らしとも相まって大変演出的な空間体験を作り上げています。幾何学的な屋根と床の平面が少しずれて立ち上がり、足元には基礎梁に腰掛が用意されているなどシンプルながら小さな居場所と様々な角度の見晴らしを作ることに成功しています。
また、基礎の上に直接屋根が乗るプリミティブな現れは建築自体が完成された世界を作り上げることなく体験に広がりを持たせていて、これは、斜面地を掘り起こして大地の中に身体的な居場所を作り上げる住まい方に似つかわしい構法と言え、山間部ならではの社会と立ち向かっている作品と評価できるのではないかと感じました。

House T(谷尻誠+濱谷明博/SUPPOSE DESIGN OFFICE)は東京で1軒屋を持つことに対する新たな選択肢を示唆する住宅です。これまで語られにくかった経済と建築の関係性にコミットすることを目的とした本作は、地階をレンタスルペースとして地域に開放することで、経済的な負担を抑えながら地域にも貢献する都市住宅のあり方が提示され、納得感があります。しかし、金銭的な話は特に学生には実感を持ちづらいこともありますが、建築家の自邸が紙面上で不動産的な観点だけで語られるのは少し物足りなさを感じました。
一方、ここで試みられた長屋の原風景を開口の少ないRCと環境装置によって再構築する試み自体は、作品史として位置づけられる展開可能性を秘めているように感じますが、作者自体がそれを避けようとしているためか、本誌では十分に語られず、その内容を十分に理解することはできませんでした。

-建築が対峙する社会-

細分化される住宅地の問題は古くから建築家が取り組んできた課題で、狭小地をさらに細分化し、スキップフロアにすることで立体的な広がりを作り出す解法は、ある種建築家の狭小住宅の定石感がありますが、武蔵小山の住宅(タトアーキテクツ)の敷地は建て床が2間×3.5間程とその中でもとくに小さい敷地です。本作はその床をさらに4分割にすることで、建築をスケールダウンし、家具のスケールが支配的な世界を作り出しています。ここで家具というスケールを持ち込むことで、細分化された階段は動線としてだけではなく、むしろ生活の中のインテリアのような表情を持ち生活に溶け込んでいます。また、出窓が身体的な居場所になっていたり、中心を貫く華奢なS柱は手すりのように感じられるなど建築と家具の境目がぼやけていく様を紙面を通して実感することができます。生活の中で建築と人のより親密な距離感を作り出すことで、狭小地ならではの新しい住まい方を提案した本作は、敷地の社会的な文脈にも、あるいは狭小都市住宅の作品史の文脈にも位置づけられる強度を持った作品といえます。

サクラと住宅(神田篤宏+佐野もも/コンマ)は旧時代的な工法の二分法でいうと、フォーマルなもの(RC)とインフォーマルなもの(木造)のせめぎあいに挑戦した作品といえます。本作は各階の梁や床をずらしながら、例えばRCの躯体が2Fレベルでは大きなテーブルのようなスケールに鎮座して家具のようにふるまい、3Fでは木造がRCの躯体を突き破るように屋根をかけています。このようにRCと木の相補的な関係を作りながら、時にその主従関係を反転させてこの2分法の解体に応え、それでいて細やかに生活の要求に無理なく応じていて、この構造形式の柔軟さも存分に生かされた作品と評価できます。
しかし、この緊張関係の中に、桜の木がどのような位置づけで関係しているのかは今一つ読み解けなかったです。作者は本作を内在的要因と外在的要因の2項の関係で解いていますが、桜の木を第3項としてもう少し積極的に建築とインタラクションを起こすような解法もありえたのではないかという感想を持ちました。

三杉の舞台(大室祐介+高橋一浩+沓沢敬)はインフォーマルなものをどのように制御するかに重点を置いた作品です。楽しさに任せると制御できないセルフビルドを建築作品としてつなぎとめるために、建築家をあくまで黄金比など比率をモデレートする立場として位置づける仮説は大変大胆で、現代の建築を取り巻く環境に対しても示唆に富んでいます。建築自体の仕上がりもセルフビルドとは思えないほど美しいのですが、この美しさは作者が言うような比率の基づくものであるかは、議論がわかれました。


-自立する建築の可能性-


でぐさんち(米田雅樹/ヨネダ設計舎)は伊勢の岬に立つ、塔状の住宅です。
矩形の平面を田の字に4分割したプランの中央を階段が貫いた構成となっていて、1階は開放的な土間に車庫や作業場が配され、2階に上る階段の途中でスキップフロアになっている個室に階段から直接アクセスする特徴的なプランです。この1.2階は階段室等の壁で構造を成り立たせ、梁と階段の衝突を避けているのに対し、3階は階段からのびる中央の柱で小屋を支持することで開放的かつ一体的な空間を作り出し、4方に開ける岬の風景を全面に取り込んだプランを成り立たせるなど、プランやその構成に関して創意工夫に富んだ作品でした。
一方、建築の構成の強さ故それ自体で完結的な世界を作っている印象もあり批評する際の広がりについては議論が分かれる作品でした。
島田さんには、寄りかかる文脈に呼応しながら発生するインフォーマルな現われから面白さを発見する都会的な立ち方とは違う観点で、伊勢の岬に自律的に立つ本作品を評価する視点もあり得ると助言いただきました。



-予定不調和な議論をめざして-

これまでの議論で、批評のしやすさから社会的なフックで建築をとらえられる作品の議論が学生間で盛り上がる傾向を感じましたが、一方で建築自体で自立的な世界を作り上げる作品を評価する視点も重要であると感じました。
また、座談月評(住宅特集2012)でも触れられていた、建築家が対峙する「不確かさ」は必ずしもネガティブなものである必然性はなく、むしろ11月号で掲載されたような豪邸に対する建築の問いかけは今後もっと積極的に議論される必要性を感じました。今後も研究室の枠にとらわれず輪を開くことで議論が予定調和的になることを避け、多様なみかたのあり方を自覚することが本年の課題だと実感しました。
また、門脇先生からは多様な見方を知る事は重要である一方で、全方位的な正しさに寄り添う必要はなく、むしろ自らの見方に自覚的であることが肝要だとの激励をいただくなど、今後の指針と個人の自覚に対する示唆に富んだ第1回の読み合わせでした。


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