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門脇研上映会01 /『花様年華』の非言語的説明と象徴性

こんにちは。B4の成定です。

個人的に映画のレビューをnoteで書いているのでそちらも是非よろしくお願いします。


今回は6月に行った上映会のまとめをしたいと思います。

『花様年華』(2000)| 監督:ウォン・カーウァイ 出演:トニー・レオン、マギーチャン 制作国:香港、フランス | 1960年代の香港を舞台に、既婚者同士の切ない恋を描いたウォン・カーウァイ監督のロマンス映画。主人公のチャウは香港の短編作家・劉以鬯(ラウ・イーチョン)がモデルとなっている。また相手のチャン夫人の名前は同監督の『欲望の翼』で同じマギー・チャンが演じた人物と同じスー・リーチェンで、本作は『欲望の翼』の続編、『2046』の前編ともいわれている。


多くの映画監督に影響を与えただけでなく、ファッション、香水など多方面にインスピレーションを与えた『花様年華』。この映画の鑑賞会を行ったきっかけは卒業設計のゼミ発表で取り上げたことでした。


あらすじ


舞台は1962年の香港。ジャーナリストのチャウ(トニー・レオン)は妻と共にあるアパートに引っ越してくる。同じ日、隣の部屋にはチャン夫妻が引っ越して来ていた。チャウの妻とチャン夫人(マギー・チャン)の夫は仕事のせいであまり家におらず、二人はそれぞれの部屋に一人でいることが多い。そして実はお互いの妻と夫が浮気していることを察し始め、そのうちに二人は次第に親密になっていく。 (Wikipedia |花様年華

当日は一度通常通り再生しながらチャットで気になるポイントを共有し、鑑賞後再び倍速で振り返りを行いました。


ヴェンチューリ的非言語的象徴性の紐解き


・非言語的説明と象徴的説明のまわりくどさ


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『花様年華』の大きな特徴の一つは、冒頭から現れる登場人物の説明が一切なされないことからも象徴されるように、因果関係を一切説明しない回りくどさにあると言えます。つまり、非言語的説明を特徴としながらも、その象徴的説明となる部分が非常にわかりづらいのです。

例えば、時系列はバラバラでありますが、そのタイムマーカーの役割を果たすチャイナドレスや香港料理など、慣習的な文脈での中で描かれるため、我々のようなその文化の外側にいる人間にはとてもわかりづらくなっています。

ヴェンチューリのナショナル・ギャラリー増築棟が建築の歴史的背景を知らなければ読み解けないように、ウォンカーウァイの『花様年華』は背景となる知識や経験・慣習がキーになります。BIGや藤本壮介のような明解な建築、あるいはインターステラーやゼログラビティのような非言語的でありながら説明的な映画=感覚的に解釈可能な物とは異なり、万人に理解されようという姿勢は見られません。


・スローモーション=こぶ


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また映画においてスローモーションが同じ音楽(夢二のテーマ)に乗せられ何度も登場することも印象的です。

スローモーションは多くの場合、物語の山場やドラマティックな演出で用いられる「異質なもの=こぶ」であり、使う回数が少ないからこそ「盛り上がり」を生みます。建築でいうならば大吹き抜けのようなもので、このようにたびたび使われるようなものではありません。

ウォンカーウァイはこの「こぶ」をあえて山場からずらし、くどさのない一周回って自然なスローモーションを描き出すと同時に、ふたりだけの時間をリアルな時間から切り離し、リニアな世界の中に閉じ込めているかのようにも感じられます。


・フレームの中のフレーム / 鏡越しに見る世界


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また印象的なものとして不思議なカメラワークが挙げられます。私自身卒業設計のゼミ発表で『花様年華』のカメラワーク分析を行ったこともあり、上映会中は意識的に追っていました。

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ほとんどのシーンにおいて、壁やモノでさらに小さくフレーミングを行っています。時にはガラスやカッティングシート越しに描かれ、主人公にいたってもあまり姿が見えない場合もあります。

映画自体、それぞれの伴侶が不倫をしていることを知った男女の秘密の関係を描いており、フレーミングが繰り返される全体の構成が二人の秘密をのぞき込んでいるようにも感じさせます。

同時に、香港らしい狭い部屋・廊下を最大限に活かしながら過去を映し出すメタファーとして用いられているのが鏡です。

「男は過ぎ去った年月を思い起こす 埃で汚れたガラス越しに見るように 過去は見るだけで 触れることはできない 見えるものはすべて 幻のように ぼんやりと…」

映画のラストに挿入される文章です。これは「私たちは、今は、鏡を通してみるようにおぼろげに見ている。」という人間の記憶の儚さについて言及した新約聖書の一節から引用されています。

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当初狭い部屋の中で一連の動作を描き切るために鏡が導入されたそうですが、鏡の存在は『花様年華』において最も重要なモチーフとなりました。例えば二人が密会をするホテルの一室には三面鏡が一つ、壁面の装飾が一つあります。二人が鏡越しで互いの様子をちらちら見ているところを三面鏡を流れるように撮影したり、壁面の装飾付きの鏡越しに二人の食事を写すことで二人だけの時間であることを強調すると同時にこれが過去を振り返って頭に浮かんだ「美しかった思い出」の姿であることが分かります。


ウォンカーウァイ以降の映画、ポストモダン以降の建築


・複層的な美しさとデジタル映画


『花様年華』が公開された2000年前後は、デジタル映画やCGが出現した時代でもありました。高い彩度を特徴とするフィルム映画で撮影していたウォン・カーウァイは、映画史においては最後のフィルム映画世代といえるでしょう。技術の進歩の波の横で、自らの映画的美学を追及し、回りくどい象徴的説明や不自然なカメラワークで結ばれない男女の曖昧な関係を描いた本作の持つ複層的な美しさは「青木淳建築に似ているのではないか?」という議論も出ました。

「ウォンカーウァイ以降の映画を考えるって、青木淳以降の建築を考えるってことと同じかも。」


・本当のアヴァンギャルドは誰?


鑑賞後の議論の中では、技術を追求した先にリアルがあるとする「モダン」とその先にはリアリティが生まれないとする「ポストモダン」のうち、『花様年華』は「ポストモダン」であるという見方が出ました。

「この時代にこそメディアの在り方に依存しないで、映画の文法や構造で勝負しようっていう最後の技術的な成熟だったといえる。」

「本当のアヴァンギャルドは技術者であって表現者ではない」という「モダン」な捉え方に対し、カリフォルニアイデオロギーを引用しながら、こうした単純な進歩主義を批判する議論がありました。

そうした進歩主義批判ののちに「ゼロ・グラビティ」的なリアリスティックで感覚的に理解可能な表現が台頭しました。

・ 進歩主義を諦めた時代的モチーフと不倫

『花様年華』の舞台となった60年代は、それまでの単純な科学進歩主義が破滅を呼び、「モダン」が行き詰った時代であり、「どこにも正解はないのだ」という相対主義に足を踏み入れた時でありました。先ほど述べたように2000年代もカリフォルニアイデオロギー直前の、似たような鬱屈とした状況にあり、いわば進歩主義の否定ともいえるような映画は極めて同時代的でありました。

議論の中では現代的な名作の例として『アナと雪の女王』が挙げられました。一見CGの技術発展により精密でドラマティックな映像がうまれたことに着目されがちですが、女性参画が叫ばれる現代において、古典的な『雪の女王』をリメイクする形で同時代性と普遍性を同時に兼ね備えていることが名作といわれる所以であるという分析がされました。

まとめ


1997年に香港はイギリスから返還され、中国の特別行政地区となり、自分の意志で切り開けることが否定された進歩主義批判のモチーフと不倫の関係性が重ね合わされ、当時の現代性と普遍性にタッチするという「アナ雪」と同じことが起こっていると言えます。デジタル革命直前の鬱屈とした時代を反映している『花様年華』が持つ同時代性と普遍性が物語の構造そのものまで介入していると言えます。加えて、当時の技術的な縛りを相対化して、いかにそれを乗り越えていくことができるのかという「限界こそが美しい」であるという姿勢は2020年こそ議論されるべきであると言えるでしょう。

目先の技術革新・発展にとらわれず、それを前提としたうえでその作品そのものの同時代性や普遍性にこそ目を向けるべきではないでしょうか。


おわりに


7人ほどで行った上映会でしたが、想像以上の議論の深さに戸惑ってしまったのが率直な感想でした。

第二回の開催に向け、2020年における同時代性や普遍性をテーマとしているであろう映画を探していきたいと思います。


B4 成定(助:M2 伊藤)



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