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「死にたい」という気持ち

希死念慮、とも言う「死にたい」願望。

去年抑うつ症状が出て休職してからというもの、ふとした時に「死にたい」が頭をよぎることが増えました。

その時々で、漠然とした願望から詳細な計画の立案まで、もしくは死ぬタイミングを考えてみたりと度合いは様々です。
私の場合、両親も兄弟もおりますのであからさまな自殺は出来ないのですが、ならば事故に見せかける自然な死に方は…と常々考えています。

なぜ、死にたいのか。
生きるのに疲れたからです。

これを抑うつというのかもしれませんが私は医者ではないのでわかりません。死にたい以外は健康な気もします。

以前、毒親育ちの女のコと付き合っていたとき、彼女は希死念慮の持ち主でした。
当時の私は上京したてで物事がうまく運んでいたので、死にたいなんて欠片もなく、どうしたら彼女の希死念慮に共感して取りさる事ができるのかと色んな事を試しました。
結局、理解及ばぬまま別れましたが、今になってようやく彼女が普段から胸に抱いていた穴を理解できる気がします。

死にたいには種類があって、

・プレッシャーからの解放
・呪われた人生からの解放
・死を使っての告訴

プレッシャーからの解放は、「こう生きるべきだと言う理想に忠実に生きる事に大層疲れたので解放されたい」が「死にたい」に、

産まれてから今まで、何も楽しくなかった、未来もきっと楽しくない。この呪われた人生から解放されたい」が「死にたい

死を使っての告訴はよくある焼身自殺とか、そういうものだと思います。たかだか一人の人間の声を世間に響かせるには圧倒的な死を使ったアピールしかない、と思うのでしょう。

私の「死にたい」はプレッシャーからの解放で、
彼女の「死にたい」は呪われた人生からの解放を意味していたのかなぁと。今になっても噛み合わなかった。合掌。

「死ぬのは良くない!」と言いますが、それはどうしてでしょう。
親や友達が悲しむから?じゃあ親や友達がいない人や、親や友達から死を望まれていたら死んでもいいのでしょうか。
個人的には友達に「死ぬのは良くない!」と言われるより、今の賃貸の大家さんに「死ぬのは良くない…」と言われる方が効く気がします。迷惑ですもんね。事故物件。すみません。

「死にたい」と思いながら生きるのって辛いですよね。

趣味だったものに手を出して楽し〜〜!となっていても、ふと(死にてぇ…)となります。尿意くらいの感覚です。
周りにも言えないし、言ったところで向こうもこっちも気不味くなってなんとも言えない雰囲気になりますし、なにより死ににくくなります。割と八方塞がりです。
希死念慮を消せるような努力をしたらいい!とか言われてもその気力もないし、私みたいなタイプはレールから外れたら自己価値ゼロなので一朝一夕には無理ですね。困った。
デモデモダッテちゃんなのは自覚してます。どうしようもないのです。

この「死にたい」はいつか消えるのでしょうか。


守るものを持つといいよと、メンヘラ先輩に言われた事を思い出しました。
なんとなく、子供ができたら消えそうだなと感じるのですが、こんな死にたがりの親は子供にも迷惑でしょう。それに私、単為生殖できません。合掌。

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