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見えない湖 17

 廊下に出て歩いて突き当たりの階段を登って二階に行く。廊下の両脇には教室のような部屋がいくつもある。二階に上がって左に曲がった。最初の教室に入っていく。ここには、立体のアートがあった。陶器や彫刻などだ。だが、この立体造形たちも一般的に見るものとは違い、異質だった。小さな陶器は縄文土器のようにどこから飲むのか分からないようなとげのある形をしているものがあった。また、彫刻も薄い板を削っただけのものがあった。どれも不思議だった。このアートたちは、さっきいた青年のように悩みながら、苦しみながら作っているのかもしれない、と思った。
 一通り見終わり、建物を後にする。
「いやー、これをただで見られるなんて僕たちはもう死んだみたいだ。僕だけ楽しんで申し訳ないね。付き合わせてしまってごめんね」
「いえ、楽しかったです。それに、こういったもの見たことがなくて新鮮で、不思議な気持ちになりました」嘘ではない。しかし、気持ちの悪い空間を出てほっとしている。だが、またもう一回見てみたいという衝動がないか、と言えば嘘になる。
「はっはっは。不思議な気持ちと思うことはいいことだね。作り手もそう思わせるのに必死なのかもしれない。そのために飲まず食わずで、創り上げているんだろう」嬉しそうに言った。「知らないけど」を付け加えて。
「そんなこと言ってました」僕は言った。
「言ってた?誰かと話したのかい?」
「はい。気分悪くて外に出た時に、中の絵を描いた人と話しました」
「そうか。それは良かった。何か言ってたかい?」
 ダンさんは笑いながら話しているが、少し目の婉曲がまっすぐになったことは見逃さなかった。何かダンさんも思うことがあるのかもしれない。
「何か『楽園』か何かと言ってました。僕も気分が悪くてあまり覚えてないんですけど」
「『楽園』ね」明らかにダンさんの表情は曇った。「君はその話を聞いてどう思った?」
「想像があまり付きませんでした」
「そうだよね。信じ難いしね。行ってみたいと思った?」
「不安もありますけど、見てみたいです」
「あの絵たちを見て帰りたいと言わなかったから、君は行けるかもしれないね」
ダンさんは腕を組んで考える。数秒後、「ちょっとついてきて」とダンさんは言ってスタスタと歩き始めた。
 来た道を帰っていく。後ろを振り向くと、どんどん建物から離れていくのが分かる。道端には、雑草が顔を出し、これ以上入って来れないようにしている。来た時には、下の風景を見る余裕などなかった。
「この世界に『楽園』は存在すると思うかい?」ダンさんは振り向かずに言う。
「あるんじゃないですかね。そこにいる人が『楽園』だと感じたら」
「なるほどね。やはり君は鋭いね。ナイフを通り越して日本刀だ」
 僕は、『楽園』という言葉が頭にこびりつき、急に怖くなってきた。今まで『楽園』の存在も、『楽園』への憧れも持ったことなど無かった。しかし、その言葉を口にすることによって、より現実的に存在を確認できるかもしれないという気持ちが沸き上がってきた。
 分かれ道まで戻って行く。ダンさんは迷わず、先の見えない山道を進んでいく。僕は行きたいと言ったことを後悔してきた。
 進んで行くと、どんどん道幅が狭くなってきていることに気付く。道もコンクリートから、土に変わってきた。太陽の光も徐々に届かなくなってきている。道幅の狭さと比例して、僕の不安は大きなものとなってきた。木々は人が入ってこれないように大きくなっているみたいだ。
 ダンさんに言われるままついてきている。新しいものや見たことのない世界が広がっている。飼い主に引きずられる犬のように、僕の意思はほとんどなかった。僕だけの意志でここに来たいかと言われれば、そんなことはない。だから、結果的によかったのかもしれない。

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