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見えない湖 23

 いつもと変わらない朝だった。目覚めると共に五感が冴え渡ってくる。小鳥のさえずりがいつもと同じようで違うように聞こえる。台所からほのかに香る味噌汁の匂いも同じだ。敷布団をたたみ、居間に行く。いつもと同じ畳、襖、囲炉裏、障子、台所、冷蔵庫。変わったことと言えば、ダンさんがいなくなってしまったこと。何も変化はなかった。ただ、一人の存在が突然いなくなるという実感は、すぐにはわかない。しかし、ダンさんはもう帰ってこないだろう。
 それは、囲炉裏の横の机に手紙が置いてあったことで確信に変わる。卒業式の答辞や送辞の時にしか見たことのない折り方の紙だった。開けたくないけど、いずれ開けないといけない日が来るだろう。僕は、意を決して開けた。そこには、ダンさんの魂のこもってるであろう字が並んでいた。

カイくん

 これからどんどんと暖かい季節になっていくね。この何ヶ月か楽しかったかい?
 僕は本当に楽しかったよ。今までしたことがない経験もたくさんした。
 説教くさいことをたくさん言ってしまったことも謝りたい。ごめん。
 本当に、僕は病気で寿命がもう少ししかないことなんて忘れてしまった。
 今までの人生ではもう死んでもいいんだと思うことばかりだったけど、この何ヶ月かはもっと生きたいな、なんて思った。
 厚かましいにも程があるよね。でも、厚かましく生きていいと思うんだ。
 見なくていいこともたくさんあったと思うし、見なければいけないこともたくさんある。
 自分で判断することなんて難しいことだし、簡単にできることじゃない。
 君はいつか空想の話をしていたね。僕は、この今見ている景色こそが空想だと思う。なぜなら僕たちは、人間の視点でしか物事を捉えられないからね。
 だから、君の空想はもしかしたら真実に近いかも知れないね。
 自分が見たい景色は自分でしか掴めないんだなと改めて感じた。これを感じれるようになったことは、カイくんのお陰なんだなと思う。ありがとう。
 本当はこの家で最後を迎えるべきなんだろうけど、やっぱり僕は自然に帰るべきなんだと思った。(探さないでね)
 僕の中で君と話せた時間は本当に忘れられない。この思い出だけは、誰にも取られないように、しっかりと握ってあっちの世界に持って行くから。
 頑張ってる人に頑張れなんて言えないけど、未来あるカイくんには心の底から「頑張れ」って言いたい。
 先行ってゆっくり待ってるから、ゆっくりのんびりきてね。
 何も言わなくて、勝手に先に行っちゃってごめんね。僕も謝り病だね。
人間界ではないところから、君を見守ってるよ。くれぐれも、飛行機とか新幹線(もしかしたらリニアモーターカー)でこんとってね。徒歩か、最悪自転車でよろしく。
 じゃあまた

ダン より


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