坂井聡さん著「知的障害や発達障害のある人とのコミュニケーションのトリセツ」

とても読みやすく、エッセンスがぎゅっと詰められた本だった。自己決定を支援する。言葉にこだわらない、やり取りの成立を大事にする。合理的配慮とは、特別扱いすることである。あるいは、同じ土俵に上がることである。

1,おしゃれかっこよさについて。

 「かっこいい」というのはこれからの特別支援教育を考える上で重要なキーワードである、という。障害のある人だって、持ち物はかっこいいほうがいいし、過ごす場所もおしゃれなほうがいいじゃん・・・!ということ。一見パターナリスティックで眉をひそめそうになるけど、私も、よく考えると賛成。それが最優先になって他がおろそかになってしまったり、本人の意思に反して「客観的おしゃれかっこいい」が強制されてしまったりしては困るけど、「おしゃれでかっこいい」を伝えるということも、社会の捉え方が「その他大勢」と異なる彼らに、時間で動くとか、「待つ」とかそういうことを伝えて社会とのすり合わせを行う取組と同じなのではないかと思う。むしろ見た目から入っちゃう人たちの多いことを考えると、「おしゃれかっこいい」って大きいような気がする。
「おしゃれかっこいい支援が良いに決まっている」という理由はたぶんこういうところにあるんじゃないかと思う。

2,見かけたツールの意味。 

 タイマーは、見えない時間を視覚的に把握するため。スケジュールは、一日の活動を視覚的に知り、見通しを持って行動するため。場所の物理的構造化は、場所と活動を対応させて見通しを得るため。課題や作業を行うときも、何をどれだけするのか、課題が終わった後何があるのかなどを視覚的に把握できるようにする。ルーティンにしておく。コミュニケーションを場面と機能で記録・整理して評価する。
これらはいずれも、自分が実習した施設で取り入れられていることだったが、こういう意味があったのかと分かった。知的障害のある人の場合は、「音声言語による言葉が理解できない場合でも、同様のことを示す写真や実物を見せることで理解できることが多い」。これは、知的障害施設の基礎の基礎と言ってもいいかもしれない。
でも、おそらくこういったことは何も知的障害の方々の身に当てはまることではない。「わかりやすい環境を整える」、「見通しが持てるようにする」、「言葉でわかりにくければ視覚的に示す」。これは子供相手でも大人相手でも、誰とであっても、気持ちよく過ごすためのアイディアになるのではないだろうか。

3,「支援のない社会に慣れさせる」支援の意味。

「社会は構造化されていないから、構造化されていない社会でもやっていけるよう訓練する」。これに似た話は支援者から聞くこともあった。「社会には大きな音もあるから、感覚過敏の子も、大きな音に慣れるようにさせる」。「社会には待つ時間もたくさんあるから、待つ練習もする」。その支援本当に適したものなのか。本人の負担なく社会とチューニングしていける方法があるのであれば、そちらをまずとるべきではないか。構造化してうまく社会と付き合えるようになれば、徐々に減らしていけるのは経験が示している。感覚過敏の子なら、イヤーマフをすればいい。ただ待たせるんじゃなくて「どうしたら待ちを気持ちよく過ごせるか」その環境を考える。私はそういう支援のほうが適切だと思う。

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