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ゲーム『バイオショック インフィニット』で学ぶ「格差の構造」

この記事では,ゲームにある社会科学の概念を学んでいきます.ぜひ,ゲームをプレイしてこのノートを読み,学術的背景に目を凝らしながら楽しんでください.

今回取り上げるゲームは『バイオショック インフィニット』です.

大人気『バイオショック』シリーズの第3作品目です.1・2作目は海底都市「ラプチャー」が舞台でしたが,第3作目の「インフィニット」は空中都市「コロンビア」が舞台になっています.

1912年,ニューヨークの私立探偵であるブッカーはとある男女から借金を帳消しにする代わりに「少女を連れ帰るように」と言われ,空中都市「コロンビア」に送り込まれます.コロンビアでは,カムストックという男が自らを「預言者」と名乗り,(ある種)ゆがんだキリスト教的観念に基づく宗教によって,人々を従わせています.ブッカーはどうにかして少女エリザベスと出会い,脱出を試みます.

このゲームは,1912年を舞台にしていながら,現代のアメリカが抱える問題を捉えている,という点が社会学者からみて非常に面白い点です.人種差別,宗教,経済格差,ジェンダー,先住民の蹂躙など様々な問題を余すところなく描いており,100年前の課題がいまだに根強く続いていることを意識させられます.ゲームのシナリオとしては,これに物理学や生物学などの科学的知見とドラマ,そしてゲームのメタ視点が重なり,非常に味わい深い作品に仕上がっています.

今回のnoteでは,特に「格差」に焦点を当ててみましょう.


奴隷制の正当化

空中都市コロンビアは,作中ではリンカーンが奴隷制を廃止することに反対し,アメリカから独立した都市国家として存在しています.リーダーはカムストックであり,経済面のアドバイザーはフィンクという実業家が担っています.

さて,ゲームの冒頭で入手できるボックスフォン(音声が記録されていて,作品の裏側や隠しアイテムのヒントなどを聞き取ることができる)に,フィンクがカムストックに「奴隷をコロンビアに連れてくること」を提案していることがわかります.

フィンクの思惑としては,コロンビアに住む中流~上流階級の市民は,空中に浮かぶコロンビアは「天国に近い都市」と認識して住んでいるので,掃除などの雑用を自分がやることを考えていない.だから,奴隷が必要なのだ,という魂胆でした.

フィンクは黒人奴隷をコロンビアに連れてきて雑用や労働をさせます.カムストックはアメリカからの独立の理由をさまざまに述べましたが,本当はこの「奴隷制の正当化」が念頭にあったのではないでしょうか.(カムストック自身は奴隷制の正当化の論理として「彼らに仕事を与えるためだ」と述べていますが……)実際,コロンビアにおける黒人の扱いはひどいものです.人種間の結婚はリンチの対象になり,最低限の生活への保障もありません.

搾取されるアイルランド系移民

フィンクは実業家であり,コロンビアでは人々に超能力を与える「ヴィガー」という商品を開発・販売していたり,自動販売機の設置・運営,警備用の改造人間「ハンディマン」など手広く事業を進めています.

彼の労働力は,コロンビアで仕事を失った失業者やアイルランド系移民が中心になっています.コロンビアにおけるアイルランド系移民の扱いもまた,人種差別的です.作中では,アイルランド系移民を「役立たずの飲んだくれとふしだらなあばずれ」(原文ママ)とあらんかぎりの罵詈雑言でののしっています.

フィンクは,アイルランド系移民を一手に集めて,工場で働かせています.彼らはシャンティ・タウンという貧民窟に押し込められ,今日の食事にも困る生活に追い詰められています.彼らは現金ではなくフィンクの商品しか買えないトークンを給与として支給され,どこに行くこともできない生活を強いられているのです.

生まれと制度によって固定化される格差

コロンビアでは,これらの構造は制度化され,格差を固定しています.ゲームの冒頭は中流~上流階級の市民の生活を垣間見ることができます.そこでは,人々はごみのないきれいな街で,平和に暮らしています.しかし,一歩踏み込めば黒人奴隷が強制労働をさせられ,貧民窟で移民が苦しむ生活が見えます.しかも,これらが奴隷制や会社・工場によって制度化され,格差が維持されている状態になっています.

ここまで,すべてゲームの中の架空の都市の話です.しかし,どうにも架空の話に聞こえません.これらの問題は,現代のアメリカでも見られる格差の構造だからです.リンカーン以降,アメリカは奴隷制を廃止しましたが,いまだに根強い人種差別が存在します.それらは就ける仕事にも影響を与えています.移民にしても同様です.この点は,以前にも「統計的差別」の回で触れましたね.

このゲームで取り上げられている格差は,制度によって強化されている以前に,生まれの違いによって生じている点です.人種・移民等の属性はもはや個人でどうこうすることのできない属性です.格差から抜け出すのは,並大抵のことではないでしょう.

奴隷制が廃止された以降も市場原理や人々の規範など,「制度」として生き残った結果,今でも人種間の格差が固定化されている,という状況が,このゲームが浮かび上がらせる現在のアメリカ社会の姿なわけです.

不可視化される格差

さらに,この問題がさらに深刻なのは「見えない」という点です.もう一度,ゲームの世界に戻ってみましょう.

ゲームの中では,前半には中流~上流階級の平和な街,後半ではアイルランド系移民と黒人奴隷の貧民窟という2つの街が対照的に描かれています.これら2つの街が交差することはありません.特に中流~上流階級の市民は,もう一方の街の現実に触れることはありません.あるとすれば,カムストックかフィンクの言葉を通してのみ知るだけです.

このような状況は現実でもある話です.近年ではゲーテッドコミュニティ(Gated Community)のように,柵や塀で囲まれた住宅地に住む人々も珍しくはなくなってきました.このような世界では,人々による世界の認識も,互いにズレていく一方になります.なぜなら,互いに互いが見えない存在になっていくからです.

日本の「見えない/見てこなかった」格差

そうなると「格差」はあたかもなかったかのように扱われていきます.日本の「一億総中流」の流れも,ある意味ではこのような「見えない格差」を見えないものとして扱ってきた結果だったのかもしれません.日本では現在,さまざまな格差が2000年初頭から問題になっていますが,格差の状況というのは,実はそれほど変化していません.生まれの違いによって生じる格差(具体的には父母の職業・学歴が子どもの職業・学歴に影響を与える)は,戦後から変わっていないことが,社会調査データの分析で明らかになっています.たとえば,以下の記事が参考になるでしょう.

要するに,昔も今も日本は格差社会だったわけです.この格差は意識しないと見えないものかもしれませんが,眼前にあります.国や時代や違えど,『バイオショック インフィニット』のテーマは私たちにも重い課題を突き付けてきます.