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『プロ倫』から意識高い「成長教」を理解する:ウェーバーの理解社会学の現代への応用

自己啓発ブーム

2020年は,自己啓発本がブームとなっていたようです.コロナ禍の影響で,自宅にいる時間が増え,その間に何かを学び取ろうとしてビジネス書や自己啓発本を手に取る人が増えた,ということが背景にあるようです.

電車の中吊りでも自己啓発本の広告が増え,YouTubeを開けば様々なインフルエンサーが「生産性の向上」を語るようになりました.ビジネス関連のオンラインサロンも増え,「どのようにすれば『成功』するのか」ということを議論しています.

そして,そのような自己啓発に取りつかれた人を描いた漫画が『夫は成長教に入信している』という漫画です.これから子どもが生まれる夫婦,妻ツカサと夫コウキの物語です.

夫のコウキは「成長」することに夢中で,スティーブ・ジョブズの真似をしたり,オンラインサロンに出たり,コスパを常に意識したりしながら仕事での「成功」を夢見ています.妻のツカサはそんな夫を「成長しようと植木鉢に根を張る植物」のように表現します.

このようなコウキの姿は,(ここまで大げさでなくても)どこかで見たことがある光景ではないでしょうか.ひょっとしたらあなた自身にも当てはまる部分があるかもしれません.海外では似たような概念にハッスルカルチャーと呼ばれるものがあります.自らを追い込み,労働時間を超えて頑張る文化です.

ここで一つの問いが浮かびます.なぜ,多くの人々が自らを成長に駆り立てるのでしょうか? 行き過ぎた自己啓発は,生活様式を変え,戻れないところまで進んでしまうこともあります.あるいは,過剰な労働による精神的・身体的なダメージや過労死をもたらすこともあります.そこまで追い込むのはなぜでしょうか.今回は,ウェーバーの『プロ倫』と理解社会学を念頭に置きながら,この問いに一つの解釈を与えましょう

『プロ倫』の議論

まずは,ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(通称『プロ倫』)の議論を振り返っておきましょう.初めて触れる,という方は以前の記事も一緒に参照してください.

『プロ倫』は「禁欲を是とするプロテスタントが資本家に多かったのはなぜか」という問いに答えた本です.ウェーバーはプロテスタントの資本家の行動原理を,当時彼らのおかれた状況から理解する「理解社会学」という立場から明らかにしました.彼らを支えた行動原理は予定説職業召命観でした.

図1:『プロ倫』の構造

カルヴァンは「死後,救済されているか否か」は実はすでに決まっているのだ,という考えを主張しました.これが予定説と呼ばれているものです.この予定説をうけ,プロテスタントが最も気になることは「自分が救済されているか否か」ということでした.

そこで登場するのは職業召命観です.プロテスタントは「職業は神に与えられたもの(召命されたもの)」という考えをもっていました.この考えがベースとなって,予定説から生じる救済への不安を「仕事に没頭する」という形で解消することになりました.つまり,神から与えられた仕事を頑張ることで,救済に近づくのではないか,と彼らは考えたのです.

稼いだお金は(倹約を是とするので)私腹を肥やすことには使わず,そのまま仕事・事業へ投資し,ますます資本を蓄えます.これがウェーバーが示したプロテスタントが資本家となり,資本主義をけん引するプロセスでした.

『プロ倫』から「成長教」を見る

では,この『プロ倫』から自己啓発と成長を求める「成長教」を見てみましょう.キーワードは「成功」です.

自己啓発にいそしむ人や漫画「成長教」に登場したコウキは大雑把に「成功」を求めています.将来に対する「成功」のために,生産性の向上,コスパ,成長,昇進,などなどを求めているわけです.

しかし,「成功」を求める人にとって厄介な問題が2つあります.1つ目は不確実性です.「成功」は将来の不確実な話です.自分が「成功」するか否かはわかりません.「将来,自分は成功できないかもしれない」という不安に常に襲われることになります.

2つ目の問題は目標となる「成功」があいまいであることです.自分がどのような状態になったら「成功」した状態なのか,自分でも理解していないことが多いのです.仮に「昇進した状態が成功だ」と思っていても昇進に終わりはなかなか見えません.絶えず続く競争に身を投じなければなりません.あるいはひょっとしたら,当初の「成功」を達成した後も,あらたな「成功」を追い求めるトレッドミル効果のような状態が生じるかもしれません.

これらは『プロ倫』の議論でいう予定説のような機能を果たします.

このような「成功」への不安のなか,自己啓発本やインフルエンサーたちは「こうすれば「成功」する」あるいは「成功者がやっていること」を提示します.実際,書店を見るだけでも様々な「ハウツー本」がありますし,YouTubeを見ても「イーロン・マスクのモーニングルーティーン」といった動画が目に入ります.

このようにある意味で「リスト化された「成功」への道筋」が与えられると,「これを行えば「成功」できるはずだ」という考えが湧いてきます.これはちょうど『プロ倫』でいう職業召命観のように機能します.

図2:成長教の構図

このようにおぜん立てされることで,「成功」を求める人は「「成功」への道筋リスト」をこなしながら仕事に没頭することになります.仕事に没頭して,利益が得られるか,というとそうとは限らないのが『プロ倫』の議論とは異なる点です.

『プロ倫』では得られた利益を仕事に再投資することで資本を蓄えていくわけですが,日本において会社に勤めて急に給料が上がることはありません.あるいは,うまくいかずに仕事を失敗してしまうこともあるでしょう.実際,漫画「成長教」のコウキは仕事でうまくいかない日々がありました.

しかし,利益が出なくても失敗しても彼らにはある確信があります.それは「リストを消化しているので,「成功」には近づいている」ということです.この実感はさらに仕事へ没頭するモチベーションになります.こうすることでより深く「成長教」へのめりこむことになります.

「成長教」との適切な距離をとる

「成功」を追い求めることは何も問題はありませんが,それで体を壊したり,社会的な不和を呼び込むのは考え物です.何事にも適度な状態があるものです.

「成長教」に過剰にのめりこまないためには,自分がどういう状態をよしとするのか,理解することです.たいてい,自分が設定した「成功」は一朝一夕に手に入らないものです.「成功」とは別に「自分が何を求めているのか」,自分に再度問いかけ,それを満たすことを考えてみるといいでしょう.

このような作業は自分にとって「成功」とは何かを(再)定義することにもつながります.あいまいな「成功」に振り回されず,明確な目標を設定することで,「「成功」への道筋リスト」を追うことなくやりたいことを達成できるかもしれません.

今回は『プロ倫』から「成長教」を理解することを試みました.ほかにもアプローチの仕方があると思うので,自分で仮説を立てて分析してみるとよいでしょう.