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XP祭り2022で基調講演をした報告と、いくつかのとても重要な補足について

まさかの基調講演無事終了!

まさかまさかのご指名で、今年のXP祭り2022の基調講演をさせていただきました。


今年でXP祭りはなんと20年目!初回からスタッフとして参加していた自分としては、20年経っても存在するということに驚くばかりです。

そして、その20年目にこのような機会を頂いたことに不思議な縁を感じます。ありがとうございます。

講演自体は、昨年お話した『忘れられたXPer』の再演の依頼でした。

https://www.slideshare.net/kkd/xper-xp2021

自分の2000年(29歳)からのキャリアと日本のアジャイルの歩みが重なっていて、自分史でもあり、かつアジャイル黎明期の話が垣間見える内容でもあります。ただ、あくまでも私というフィルターからみた出来事・歴史なので、正確さよりも、コンテキストを知るという観点で見てください。(勝海舟の『氷川清話』的な)

今からみると、2000年代は小さな小さな歩み、遅々として進まない状況でした。でもなんといっても楽しかったし、あがいて、もがいて、苦しんで、そうやって僕たちの世代は進んできました。どの時代でも、何でもそうなんですが、ひとりひとりの現場での葛藤も含めた小さな歩みが重なって、今につながっています。

思えば、当時の自分は、本当に何も知らない無邪気な子供でした。包容力があり素晴らしい先輩たち、そして同時代に生きた技術に一途で優秀な仲間が周りにいたからこそ、自分のような人間が、このような場に立たせてもらえているのです。

講演動画が一般公開されました(更新)

講演動画はXP祭りに申し込んだ人向けのみに、DiscordのXPJUGコミュニティで30日間限定で公開されていたのですが、安井さんから次のような依頼があって、それを川口さんが受けて一般公開になりました。

正直、膨大な内容を時間内で必死に収めようと早口で聞き取りにくいところが多々あります。こんな講演で恐縮です。時間が許すなら0.75倍で視聴して頂けると速度はちょうどよいかと思います。

全体性へのチャレンジ

今回追加した「全体性」の話は自分としての挑戦としてテーマに含めました。本当はもっと詳しく話したかったのですが、時間がどうしても足りないため詳細に踏み込むことはできませんでした。そのため今回は「個人の全体性」の部分に注力しました。

元々は、システムの全体→主客非分離→「私」→分離した個人→内的世界、という流れで説明しようとしていたのですが、『Battle』の全体性の定義をみていたら、2つの全体性の話があり「こ、これは!!」ということで、対象の全体性と、個人の全体性について急遽分けたのでした。全体性については、まだまだ伝えたいことがあるので、別途記事または本にしたいなぁと考えています。

今回のまとめとしては、一見、アレグザンダー(CA)のいう全体性と、ティール組織の全体性と、心理的安全性は、まったく異なるように見えますが、根っこはつながっているというのが私の仮説です。

このあたりはクラフトマンシップで置き換え可能と考えることもできますが、僕はもう少し踏み込みたいと考えています。

感情の取り扱い

感情の種類・取り扱いについては詳細には触れていません。ここでは intuition, feeling, emotion, などなど色々なものを含めての総体として使っています。本来、感情は思考と共に両輪で扱うものであって、それが一方(思考)に偏っているからおかしなことになっていると捉えてます。左脳・右脳といってもいいかもしれないですが、どちらかではなく両方必要だという立ち位置です。

不快感情さえもあってはいけないものではなく、不快感情を感じ、味わうことで、その奥にあるメッセージに繋がる必要があるということです。コントロールして抑え込んだり、なかったことにするからこそ、抵抗が起きるのです。

今回の講演の例では「怒り」という感情があり、その裏に「本来欲しかった〜がなかった」という満たされないニーズがあり、創造のエネルギー(意欲)に転化していたのだと見ています。(これは後づけの解釈です)

怒りは大きな感情エネルギーなので、怒りを創造エネルギーに転化できると、いろいろなものが創造できると思います。怒りほどでなくても、不安や悲しみを感じて、自分のニーズ・何が満たされていないのかに繋がることで、そのニーズを満たすために、自分が何をするべきかに気づくことができます。

このあたりはNVC(非暴力コミュニケーション)のスキルを参照してください。感情の取り扱いについては、別途自己共感のスライドでも取り上げています。

意識レベルについて

意識レベルの話は『パワーか、フォースか』の意識のマップと、XPやスクラムの価値の話が自分の中でつながって(伝え忘れたけど、TDDもそうですね)、単にエモい話としてではなく、人間のエネルギーの使い方の話と捉えてほしいです。

そういえば、自分が愛媛に引っ越す前に、友人たちに送別会を開いてもらったことがありました。その時に「今、何に興味あるんですか?」という質問に、この『パワーか、フォースか』を回答した記憶があります。当時はまだ全然わかってなかったのですが、10年以上たってようやく言語化できるようになったのでした。

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他にもいろいろな手法がある中で、なぜアジャイルがここまで世界中で広まったのか?それが意識レベルでみた時にパワーの領域に入っていたからだ、というのが一要因なのではというのが個人的な仮説です。

各種方法論が乱立していた時代に、それぞれが違いを際立たせ差別化するのでなく、互いの共通項に目を向けて、ひとつのアジャイル宣言を作り上げたという逸話はまさにパワーの意識の例です。

ルールで縛りコントロールしようとするやり方、失敗を極度に回避しようと意識は、あきらかにフォースレベルの意識です(なぜなら「あってはならない」という恐れから始まっているから)。アジャイルは、不安や恐れを受け入れて、勇気のレベルに上がったからこそ、パワーの領域に踏み込めたのでしょう。そして、そこが突破口であったということです。

意識レベルは、常に自分の行動の中で意識することができます。たとえば、誰かに質問するときの意識が、「自分のわからないという不安を解消したい情報収集するため(フォース)」なのか「心から相手をエンパワーするため(パワー)」なのかで意識レベルがまったく変わってきます。そして行動の結果も変わってきます。

フィードバックをする時についても「自分の不満を相手に単にぶつけたい」からなのか「相手をよりよく導きたい思いやり」からなのかで変わってきます。

可能なかたは、行動の際に、意識がどこから来ているのかを見る癖をつけるのをおすすめします。僕はこの考え方を『ザ・メンタルモデル』の由佐さんから学びました。僕自身もフォース(分離)の意識から発言していることも多く、自らの内省を続ける日々です。

注意:意識レベルの取り扱い

意識レベルは、モノサシとしてみてしまうと「高いほうがいい」「上げないといけない」「低いままでは駄目だ」というような思考や、良し悪しの評価判断のモノサシに簡単なってしまいます。ここに気をつけないといけません。「〜しなければならない」というものでもありません(この意識がすでにフォースレベルの分離の意識)。

もし自分の意識がフォースレベルに留まっているのだとしたら、しっかり感情を味わい、ニーズに繋がり、癒やしてあげてください。意識レベルを上げる事を考える前に、感情やニーズにつながることを先に行ってください。(そもそもあげようと思ってもあがらない)

「ああ、また不安から行動してしまった」となるなら、「自分は本当に不安でいっぱいだったのだなぁ」という自己共感をしてあげてください。

私も分離の意識に入って「ああ、入っちゃったな」と自覚することがよくあります。意識のマップは、自分や他者の意識レベルを評価判断するためでなく、あくまでも自分や他者の意識の起点やあり方について考えるきっかけとして使ってもらえると嬉しいです。

世代ごとのテーマ

私たちの世代は、ソフトウェア開発が、本来は創造性に溢れ、喜びに満ちた行為であるはずなのに、いつしかフォースレベルの意識に落ちてしまったものを、なんとかパワーレベルの「勇気」にまで引きあげる役割だと考えてみると、いろいろ辻褄があいます。

そしてこれからの時代は、意識レベルを「何があってもいい」という受容のレベルや「(無条件に)相手を思いやる」愛のレベルにまで意識を高められるか、はたまた、当たり前という状態から、やらされ感、しなければならない、というフォースの意識レベルに再び落ちるかの、どちらの道に進むかにかかっていると思います。(もし落ちたとしても、いつかまたパワーの極に向かうと思います。これがスパイラルで上昇していくイメージです)

より高い意識レベルを実現するには、更に何かを加えるのか、あるいはまったく別の考え方や手法があるのかもしれません。これまでの考え方に囚われず、さらによりよい方向へ前進できると素晴らしいと思います。

ちなみに、CAが見ていた世界も同じように勇気よりも更に上の意識レベルが必要で、かつ古い業界であるが故に、アジャイル以上に普及の道が険しいのではないでしょうか。

近年、SDGsのような考え方が当たり前になり、家を自分でセルフビルドする人も増えてきました。まちづくり的にも、ポートランドを始めとする成功事例が増えてきました。時代が変わって更に各所で再評価が増える気がします。CAは今年の3月に亡くなりましたが、僕らも40年以上遅れて、改めてCAのレベルに向かわないといけないと考えています。

PFがなぜ受け入れられたかの伝えられてないもう一つの仮説

そして、講演でひとつ伝え忘れていたことがあります。それはPF(プロジェクトファシリテーション)がなぜ広く受け入れられたか、についてです。

以前にも、アジャイルスクラム時代のPFというテーマで発表したことがあります。

https://www.slideshare.net/kkd/agilescrum-23542237

その時の発表では「門としてのPF」という位置づけで考えていました。しかし、この時、プロジェクト・ファシリテーター協会の理事もつとめていた松本潤二さんが、少し納得いかない雰囲気だったのがずっと気になっていました。

今回の講演の中では、PFを「日本のコンテキストに合わせてアジャイルをカスタマイズして体系化した」と伝えました。

でも、改めて意識レベルというレンズで見てみると実はそれだけではないと言う気づきがおりてきました。それはQuality of Engineering Life(QoEL)というコンセプトです。

QoEL自体は平鍋さんのオリジナルのコンセプト・言葉です。実はこの言葉が生まれた背景がありました。当時、平鍋さんのお父様が闘病の末亡くなり、その時に知った終末期の患者に対して使われる生活の質(QoL)にQoELのヒントを得ていると話していました。(この件について書くことを許可頂いた平鍋さんに感謝します)

クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、略称: QOL)とは、一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた『生活の質』のことを指し、ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。

Wikipedia「クオリティ・オブ・ライフ」より引用

平鍋さんは尺度こそ用意しなかったものの、エンジニアとしての人生の質を高めるためのPFということを伝えていました。オブラブのサイトにある説明には次のように書いています。

もう一方で、プロジェクト(あるいは仕事)を個人の最優先事項と考えるあまり、ハードなプロジェクトで燃え尽きてしまったり、人間関係で行き詰ったりしてしまう人もいます。私たちエンジニアは、質の高い仕事をしたい、自分の技術を磨きたい、よい仕事によって顧客に認められたい、という本質的な欲求を持っています。私たちは近年、「ビジネス」を優先するあまり、エンジニアとして質の高い人生の時間を過ごす、という価値を忘れてしまったように思えます。 プロジェクトファシリテーションは、プロジェクトの成功とともに、「エンジニアとして人生の時間の質(QoEL : Quality of Engineering Life)」を高めることを目的としています。

http://objectclub.jp/community/pf/ より引用

PFのスライドの中には以下の項目も含まれています。

仕事の中で、プロジェクトを越えて続く人間関係を得るために
やりがいと信頼関係で、プロジェクトに取り組むために

https://www.slideshare.net/yattom/project-facilitation-from-hiranabe/ より引用

この事実を顧みて、一つ訂正しなければなりません。当時、PFが現場に受け入れられたのは、単なる日本に導入しやすいアジャイルのサブセットだったからだけではなく、QoELという感情に訴えかけるコンセプトが含まれていたからに違いありません。

事実、平鍋さんの講演を当時聞いた人たちは、どの人も口々に「いやぁ、よかった」と言っていたのを思い出します。聴衆の感想が「役に立った」ではなく「よかった、感動した」なのです。それだけ感情に訴えかけるものがあったのです。

PFの5つの価値を見てみても「笑顔」があるのが素晴らしいですよね。

https://www.slideshare.net/yattom/project-facilitation-from-hiranabe/ より

平鍋さん本人は、私からみると「勇気」というよりも「受容・愛」の人でした。常にメンバーのことを受け入れ気にかけてくれる、そういう方です。

PFのQoELというコンセプトは、勇気というよりも「人間の本質を大事にしよう」というメッセージでした。成功のために人間性が必要だ、ではなく「成功と同レベルでQoELが必要だ」(むしろQoELの方が大事かも)というメッセージです。

スクラムにも幸福指標(Happiness Metric)というパターンがあります。幸福度が高い組織は、生産性も高いということです。しかし生産性を上げる(成功)ためでなく、同時並行で目指すといのがPFのQoELの位置づけでした。

TRICHORDにも搭載したニコニコカレンダーというプラクティスは、こういった指標の先駆けでした。しかしプロジェクトの成功のためという指標に使おうとすると、人々は真実を明かさなくなるという弊害もありました。真実を明かしてもよいという場でないと機能しなかったのです。

私自身も、TRICHORDの説明をする時に、こういうことを話していました。

たとえ、プロジェクトが成功したとしても、ニコカレが真っ青(Badのマーク)であったら、それは本当にプロジェクトの成功と言えるのでしょうか?

平鍋さんは、PFの中で人々の人生の質に目を向けました。そしてその高い意識レベルの元、講演の中で伝え続けました。PFが広くに受け入れられた理由は実はここにあったのではないか?というのが講演の後に降りてきた私の気づきです。

案外、17年の時を経て、プロジェクトファシリテーションを今の人達がみてみると響くものがあるのかもしれません。興味があれば是非みてください(PFの講演動画はどこかにないかなー?)

最後に

最後に、先にも書いたように、一人ではなく、多くの素晴らしい先輩方、同時代に生きた大勢の素晴らしい仲間たちがいたからこそ、こんな私でも、新しいパラダイムの始まりとその発展の時期に、様々な体験ができました。

今見ると自分のしてきたことの小ささに、残念さや物足りなさもありますが、その時その時精一杯やってきたのでこれが最善だったのでしょう。本当に楽しい旅でした。もうしばらく僕の旅は続きます。皆さんもよいXPの旅を!

おまけ

今回の講演のために、これまでの自分が発表してきた登壇資料のうち、現存してSlideshare/Speakerdeck/Docswellにあがっているスライドを年ごとにMiroにまとめました。100本以上ありますが、年ごとに興味対象が変わっていて移り変わりがよくわかります(さすがマルチポテンシャライト気質w)

ご興味あれば御覧ください。(今後も更新します)


皆様のサポートによって、より新たな知識を得て、知識と知識を結びつけ、実践した結果をアウトプットして還元させて頂きます。