川上 巧太 "床屋での毎日を配信!!"

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川上 巧太 "床屋での毎日を配信!!"

🔸アパッシュチャンネル製作者🔸28歳/アパッシュプレス🔸アパッシュチャンネル運営🔸動画編集任せてください🔸日記記録 YouTubeアパッシュチャンネル→ https://www.youtube.com/channel/UCFq2bKcoZx4RuLrDx-EgUVQ

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初めまして。実家が床屋でこれから3代目になる過程の日記を付けていきます!!

初めまして。 最初はやっぱり自己紹介からしていきたいと思います。私は、実家が北海道は旭川にあります床屋さんの息子です。 私が継ぐと3代目になります。そんな実家を持つ私ですが、現在理容師の免許を持っていません。旭川理美容学校に通信学生として通っている最中です。なのでカットをしておりません。ですが、正社員として会社には属しております。 私の主な収入源は、、、、http://www.barberapache.com/ 理美容業界の道具などを自社のホームページにありますオンラ

    • アパッシュ1年目振り返ればクズみたいな人生だった

      こんばんは。アパッシュの巧太です。今日でノートを書き始めて7個目の記事になります。多くの記事を書くにあたっては、やっぱり私のことを知っていただきたいと思い、私の人生を振り返っていきたいと思います。 社会人1年目の川上 巧太の生活私の1年目は働いていないと同然の生活でした。いわゆるすねかじり状態です。アパッシュに居候をしているような感じでした。その時は、今のようにバーバースタイルという言葉がこんなにも全国各地で飛び交っているような状況ではなかったです。なのでアパッシュも理容

      • アパッシュ新たな可能性を募集します!!

        今回は、アパッシュから発信されました求人内容についてお話したいと思います。去年鈴木 琢将軍が新たにメンバーに入り、スタイリストが4名で動いてます。そこに永田 吉伸くんが加わり、大きな力となって現在のアパッシュの形があります。 今回、新型コロナウィルスの影響もあり、多くの方々が様々な出来事が起こったと思います。その中で思った事は、床屋の大切さです。 多くの方が私たちのアパッシュに来てくれました。一時期休業要請などもあり、静かな期間もありました。それでもお客様は、また元気な顔

        • 職場は将来の夢を共に共有出来る場所なんだ

          私は、本当によく思います。自分からこの場所が良いと思って面接を受け、決めて入った職場なのに文句を言っている多くの方を。 どうしてそうなるんですか?自分が決めた場所なのになんで暗い言葉ばかりが出てくるんですか?本当に疑問に思うばかりです。現実は、ちょっと思っているのと違った、会社の上の方針が変わったからなど多くの要因は確かにあると思います。ですが、やっぱりそれは今は楽しいんですか?とやはり思ってしまう。 そんな言葉や暗い姿をアパッシュに入ってから見た事がありません。全員が1

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        • 川上 巧太とは何者??
          5本

        記事

          私は、現在バーバーかどうか。何してるの?

          私は、現在技術者の話で言うとまだ理美容学生です。通信学校を今から3年前に入学し、旭川の理美容学校で通っている途中です。今年度の3月か4月に国家試験を受けて合格すれば来年度から理容師の資格を得ることが出来ます。 ですが、現状来年から技術者として働いていきたいなという願望はありません。この3年間で得たものは、髪を切ることへの楽しみや興味などは確かにありました。実際に学んでみてやったら楽しそうであるとは思いましたが、正直なところカメラを持って、撮影をする毎日の方が楽しいです。それ

          私は、現在バーバーかどうか。何してるの?

          床屋を継ぐ以外の選択肢はなんだったか。

          昨日、実家の家業である床屋を継ごうと思ったきっかけのお話をさせていただき、そのきっかけがなかったら今の自分はなかったわけですが、その以外にあった選択肢はなんだったのかを少しお話しさせていただきたいと思います。 こんな話をすなくても良いんですが、私のご紹介にもなると思ってお話します。私は、小学校4年生からずっと野球を続けていました。高校では、1年生の時に夢の舞台甲子園に出場することができて、最高の経験ができました。 自分の代では、残念ながら地区で敗退してしまって甲子園に行く

          床屋を継ぐ以外の選択肢はなんだったか。

          実家の床屋を継ごうと思った瞬間はこの時だった

          大学4年生の時に語学留学として行ったアメリカの経験だ 私は、北海道の札幌にあります北海学園大学に当時通っていました。そこで専攻して学んでいたのが英語でした。なんとなくの最初の選択でした。そんな深い理由もなく、英語喋れたらカッコ良いかなぐらいの感覚で英米文化学科に入り、学んでいました。 ある日、大学3年生の時に本格的に授業の内容などがのレベルが上がってきて気付けば、大学での成績が学年で最下位なほどの成績でした。これはやばい!!と思ってもう感覚的に英語を学ぼうと思って、留学す

          実家の床屋を継ごうと思った瞬間はこの時だった